傷を抱えた私の弱さとともに
家族の声が聞こえる部屋で、人の気配を感じながら怠けものみたいにごろごろしている。お母さんが紅茶を入れてキウイを切ってくれて、半額セールのロールケーキと一緒に食べた。一緒にいつもの温泉に入りに行く。木や湯気を見つめながら、身体の力が抜けていくのを感じていた。自然と身体の力が抜けていって、凝り固まっていた思想が柔らかく目の前に現れてくる。
ここ数日は、ずっと苦しくて、その正体が何なのか分からなかった。触れることを避けてきた傷に触れて、人を傷つけたり、関係性をうまく築けなかったり、それと共に生きていかなければならないことがすごく悲しかった。私の傷はどこまでも醜くて、それを直視することはとても苦しい。自分に繰り返し伝え続けてきたものしか考えられない。私が今どこにいるのか、何を感じているのか、心の中に何が生まれているのか。感情が荒波のように揺れ動いて、たまに飛んでくる飛沫で身動きがとれなくなる。ふらふらと漂って、宙づりになっている。私が今どこにいるのかを見つけられないことはとても怖かった。
それでも、いろいろなことが徐々に見えはじめてくる。わたしは矛盾する感情や思いで満ちていて、複雑で。それを捉えることはとても難しい。
傷を抱えてから、私は傷をえぐらないように、自分を守りながら生きてきたのだと思う。人と親密になりすぎることを避けたり、バウンダリーを引いたり、本を読んだり、書いたり、友人と対話したり。そして今、私の生傷に直接触れることは私をとても混乱させた。私がこういう風にしか生きていけないこと、たしかに今を生きていること。私はそれを受け入れてあげたい。傷と共に生きていくこと、少しずつ癒えていく道を歩み始めていること、まだ癒えていないこと、傷を抱えた私の弱さ。その全て。
私には傷がある。それでも、私の世界は外にも開かれていて、美しいものを見つけることができる。いろんな場所へ行って、多様な人と出会って、一緒に過ごして対話をして、本を読んで、書いて、友人と過ごす。私はたしかに癒えていく道のりを歩いている。
友人に手紙を書こうと思った。時として、私の思いは文字にした方が他者に届くことがある。手紙を書いて、彼に会いに行く準備をする。彼が私に会いにこの静かな町を訪れてから、いろんなところに私たちの物語のかけらがあるのを感じる。私が18年間生きてきた町。決して同じであるものはなくて、前とは何かが違っている私がそこに立っている。見える景色が少しずつ異なっていく。お気に入りのラーメン屋さんが近くにあるから、今日の夜は彼をそこに連れていこう。