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96nekotaro
”居場所”は、家族よりも不確かで、コミュニティよりも確かなものだ。
人にとっての”居場所”は、心の所作だ。
”家族”は、血縁や法的な繋がりなど、他者に規定されたある意味絶対的なものだ。だけど、人によっては家族との間に居心地の悪さを感じたり、ケンカをしたりする時、そこに”居場所”はない。
一方、”コミュニティ”はそこに実態はなく、人と人との関係性の中で後付けで規定されるもの。家族のように強い繋がりではなく、関係性にメリットや意味が見出せなくなった時、いとも簡単に瓦解してしまう。やはりそこに”居場所”はない。
”居場所”は、突き詰めると個人の中で「ここに居ても良いんだ」と感じる究極の自己満足、”居ても良い場所”だ。
他者からの目線はもはや関係なく、そこに名前すらいらない。自分にとって、ここが”居場所”足らしめるかどうか。
それはカフェの一席でも、公園のベンチでも、雑踏の中でも良い。でも、そんな”居場所”が1箇所あるだけで、人は救われるものだと思う。
そういう場所を、1つでも作れれば、自分が生きた意味になるんじゃないかなと思う。
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