見出し画像

”居場所”は、家族よりも不確かで、コミュニティよりも確かなものだ。

人にとっての”居場所”は、心の所作だ。

”家族”は、血縁や法的な繋がりなど、他者に規定されたある意味絶対的なものだ。だけど、人によっては家族との間に居心地の悪さを感じたり、ケンカをしたりする時、そこに”居場所”はない。

一方、”コミュニティ”はそこに実態はなく、人と人との関係性の中で後付けで規定されるもの。家族のように強い繋がりではなく、関係性にメリットや意味が見出せなくなった時、いとも簡単に瓦解してしまう。やはりそこに”居場所”はない。

”居場所”は、突き詰めると個人の中で「ここに居ても良いんだ」と感じる究極の自己満足、”居ても良い場所”だ。
他者からの目線はもはや関係なく、そこに名前すらいらない。自分にとって、ここが”居場所”足らしめるかどうか。

それはカフェの一席でも、公園のベンチでも、雑踏の中でも良い。でも、そんな”居場所”が1箇所あるだけで、人は救われるものだと思う。

そういう場所を、1つでも作れれば、自分が生きた意味になるんじゃないかなと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

綾村 恭平|子育て中リノベプロデューサー
いただいたご支援は、妻と娘と何か美味しいもの食べに行くのに使わせていただきます。