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足元の世界に吸い込まれる、移民の素朴な日常:映画『Here』

ブリュッセルで暮らすルーマニア移民の建築作業員シュテファンと中国系ベルギー人の蘚類(苔の一種)学者シュシュの物語。

本作は粒子の粗い16mmカメラで撮られた懐かしさのあるの世界観と、静止画のような場面の切り取りが繰り返される独特の映像が特徴的。静止したカメラの中では人間と緑のみがかすかに動いており、ポストカードのような場面が繰り返されるためどこを切り取っても絵になる。
監督であるバス・デヴォスは常に人々の小さな営み=地球を誠実に描き続けており、83分の短い映画でありながら満足感のある体験であった。

冒頭、街に植えられた木々の隙間から見える建設中の高層階ビルの映像から映画は始まる。美しい空と緑色に生い茂る植物と共に映る灰色の建物。そのコントラストに違和感を感じないところが、発展した都市に生まれ育った人間の感覚なのだろうか。

ブリュッセルといえば歴史的な建物が建ち並ぶ古風な街を思い浮かべるが、中心部には近代的なビルが建つ。どこか東京に似た雰囲気も感じるが、人の気配がないことでゆったりとした空気感が生まれる。

風になびかれサワサワと音を立てる葉の音に紛れて、建設現場から響く金属を打ち付ける音。人と植物が共に共存する都市を作り上げるのは移民としてやってきた労働者たちだ。

都市は常に上を見上げて進んでゆく。シュテファンは移民として建設現場で働き、常に上を見上げて生きてきた。賃金の安いルーマニアを出て、ヨーロッパ諸国へ出稼ぎに行く若者の数は現在でも多い。ベルギーは古くから移民の流入があり、多文化的なコミュニティが形成されている国である。移民の増加は国の問題ともなっているが、古くから根付いた移民たちの文化はベルギーを構成する大きな要素ともなる。

仕事が長期休暇に入るタイミングでルーマニアへ帰国を計画しているステファンは、冷蔵庫の中に溜まった食品を少しづつ消費しながらマンションを解約して旅立つ準備をしている。別れの挨拶として冷蔵庫から食材をかき集めて作ったスープを、友人やお世話になった人々に配る。寒さの厳しいルーマニアでは暖かいスープ料理が定番フードとなっている。トマトベースのスープに野菜をたっぷり入れるレシピはシュテファンのルーマニア人としてのアイデンティティを明確に表す。

レストランで出会ったシュシュとシュテファン。レストランのオーナーと家族ぐるみの付き合いをするシュシュを見て、ベルギーにも変わらずあり、おそらく世界中どこにでもあるであろう中国系移民のコミュニティの強さを感じる。
移民の人々にもさまざまな背景がある。移住先で完全に住民となり何代にもわたって暮らす人々もいれば、シュテファンのように出稼ぎのために1人で身寄りのない国で暮らす人もいる。
異なるルーツを持つ人々は近くに暮らしていても交わらないことが多い。異文化間で新たなコミュニティを作り上げ生活するためには、越えなくてはならない壁が多くある。その点、ステファンとシュシュは人に群れることなく1人で有意義に生活を送る人物だ。大きなきっかけがなくともどこかお互いが共有できる価値観を見つけ、心地の良い存在となるのに時間はかからない。

アンカにいつ戻るかわからないと伝えるステファン

夜に街中を歩くシュテファン。道の脇にある茂みの前でふと立ち止まると、葉を掻き分けて茂みの中に入っていく。そこで見つけたのは蛍のように緑色に輝く小さな光。その正体が描かれることはなかったけれど小さな宝物であったことは確かである。なぜならその次の日レストランで出会ったシュシュと再会することになるからだ。

雨ばかりだった空が晴れる。シュテファンは車を引き取るために森の中を歩いていた。そこでシュシュが木の幹に座り込んで土を覗き込む姿を見かけるのだ。

"苔は生命に溢れた小さな森なの"

シュシュは上を見上げるシュテファンと違い、常に足元を見ることに夢中だ。苔の研究に没頭し、森に何種類も生える苔を採集しようとする姿はレストランでの彼女とは違い野心的なものを感じる。苔にわずかな興味を示したステファンにルーペを与え、未知の世界へと引き摺り込んでまう強引さも金揃えて居る。

ルーペで覗いた苔の世界は近未来の都市だ。立って見下ろしていると見分けがつかず全て同じように見える苔だが、実は多様な種類の苔が繁殖し一つの森の中で共存している。まるで多文化が混ざり合うベルギーの人間社会の縮図のようだ。
苔は人間社会の発展とは対極に存在する。空気を汚す人間と空気を浄化する苔、植物を伐採し街を作る人間と、土を守り植物の育ちやすい環境を作る苔。正反対の存在が地球単位で見ると同じような生き方をして居るのが興味深い。

映画を通して終始振り続ける雨だが、苔の繁殖には欠かせない。雨の日に精子が泳ぎ出て卵細胞にたどり着くことで受精をする。前半から続く雨の描写は人の営みを映すためのようにも見えるが、苔の繁殖を示すメタファーであり、シュシュとシュテファンの関係の芽生えを予感させるものであった。

ルーツも環境暮らす異なり、交差する事のなかった2人だが、自然という循環の中で見ると実は一本の線で繋がっている、同じ輪の中に入りことに気が付かされる。

美しく透き通った苔の世界。街で聞いた道路に跳ね返る雨の音は羽ばたく虫の音に置き換わる。淡々と植物たちが映し出され、人間はそこに存在しない。

"覚えている?私の色は緑色よ"

夜の雨の中、オレンジ色のライトに照らされた植物たちが小さな声で囁く。この声は植物たちの囁きであったのだろうか。雨に隠れた植物たちが奏でる音が重なり合うと、言葉となって意味を持つことができる。
森に生える苔たちは木の根元や暗く湿った場所に繁殖し、静かに森の基盤を作り上げていく。彼らの静かな生き方は、ベルギーの移民として暮らす人々の姿とも重なる。私たち人間もコケや森の木々と同じように地球を構成する一部として存在している対等な価値を持ち、独自にカラーを持った存在であるべきなのだ。

シュシュの母のレストランに届けられたシュテファンのスープ。それはきっと別れの挨拶なのだろう。レストランのオーナーがシュシュに相手の名前を尋ねる。シュシュが名前を伝える前に映画話終わるのだが、果たして彼女はシュテファンの名を伝えたのだろうか。
またいつか戻ってくるのであろうシュテファンとの再会に希望を持たせながらも、2人が再会し愛を感じる日は来ないような、そんな終わり方であった。

監督はベルギーで注目の若手作家の1人として注目を集めているバス・ドゥヴォス。長編映画の制作は本作が4度目であり、ベルギー国際映画祭ではエンカウンターズ部門の最優秀作品賞と国際映画批評家連盟賞の2冠を手にした。自然主義と人々の静かな暮らしの描き方で今回高い評価を得たが、まだまだ若い監督。ミニマルなカメラワークと移民や小さな声を拾い上げる感度の高さは前作から見える彼の特徴である。

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