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語られることのない歴史を動かす者たち:東京都現代美術館:「ホー・ツーニェン エージェントのA」

開幕当初から気になってはいたがなかなか行くことができなかったホー・ツーニェン。重い腰を上げて観に行ったら本当によかった。よほど気にいる展示でないと15分ほどで出てきてしまう性格の手前、すぐ観終わるだろうと夕方から観に行ったのだが気がついたら1時間、とてもすべて把握できるまで観ることができなかったことに後悔が残った。炎天下の清澄白河はあまり行きたくないのだが、もう一度時間がある日に観に行かなくてはと思い、閉幕ギリギリに駆け込んだ。

これまで歴史教育が不十分だと他国からたびたび批判されていた日本だが、最近になって過去の戦争を再解釈する作品が増え始めている気がするのは気のせいか(というより、言及せざるを得ない状況になってきている)。これまでの日本の在り方をふりかえることで、今何が起きているのかを探ろうとする人が現れ始めているように感じる。

そんな中で東京都現代美術館で開催されたのが、ホー・ツーニェンの大規模個展「ホー・ツーニェン エージェントのA」である。展示を見ることができなかった方々にも知ってもらいたいということで、このnoteを書きながら振り返ってみることにする。

ホー・ツーニェン
東南アジアの歴史的な出来事、思想、個人または集団的な主体性や文化的アイデンティティに独自の視点から切り込む映像やヴィデオ・インスタレーション、パフォーマンスを制作。既存の映像、映画、アーカイブ資料などから引用した素材を再編したイメージとスクリプトは、東南アジアの地政学を織りなす力学や歴史的言説の複層性を抽象的かつ想起的に描き出す。

東京都現代美術館 公式HP

これまで、東南アジアの歴史的探求をテーマに制作を続け国際的に注目を集めてきたホー・ツーニェン。近年では、東南アジアの近現代史につながる第二次世界大戦期の日本、特に京都学派への関心からスタートしたプロジェクトを展開している。

今回の展示でテーマとなっているのは、政治や歴史の媒介者(エージェント)に対する関心と、あらゆるものの存在と生に根源的に関わる「時間」に関する新たな探究。

というと難しく感じるが、要するに時間やスパイをテーマに起きながらも、世界の変化に関与する媒介者に焦点を当てているといくことだ。

ここからは、作品を振り返りながら簡単な概要をまとめているが特に《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》について長く記載している。というのも、この作品が強烈であったばかりに、他の作品については正直あまり記憶がないからだ。

語られない何者かの姿を伝える媒体者ホー•ツーニェン

展示を見て、私はホーの持つ私たちの歴史の中に存在していたものの、明確な記録を知ることのできない何者かの姿を明らかにすることに対する使命のようなものを感じるとることができた。本展の作品群もその点で一貫しており、絶版になった記録や、口伝えの伝説から見えてくる人物像を明確に作品化しているものもあれば、存在していた時間そのものを複数性として捉えているものもある。
ホーは決して知られていない事実を世間に晒そうとしているのではない、研究者としての探究心と彼自身のアイデンティティが積み重なって作品という形で可視化されている。


ホーの作品にはトラがモチーフとして多く登場する。マレーの人々にとっては、あらゆる境界を超えて行き来することができる存在であり、人間の祖先として身近で恐れられている存在でもある。

東京都現代美術館ホームページより 《ウタマー歴史に現れたる名はすべて我なり》

《ウタマー歴史に現れたる名はすべて我なり》
ホーの最初の映像インスタレーション作品。シンガポールの起源を紐解く作品。シンガポールを命名したとされる王子サン・ニラ・ウタマの歴史と神話が混じり合う諸説をめぐり、これまで記されてきた建国の物語を解体する。ウタマは「ライオンの町(シンガポール)」と名付けたが、東南アジアにライオンは生息しておらず、実はトラと間違えたのではないかという仮説を軸として展開される。コメディ作品のような芝居をする俳優たちが演じる物語は、作り上げられた建国の歴史自体もが持つ不確かな作為性に目を向けさせる。
本来は絵画20点と映像1点の作品であるが、今回の展示では絵画のイメージを取り込んだ映像作品としてまとめ、2面のインスタレーション作品に仕上げている。

《一頭あるいは数頭の虎》
マラヤには人間に変身する「トラ人間」の記録がある。英国が植民地支配した虎の生息する森、そこにやってきて英国に復讐を果たした「マレーの虎(山下奉文)」が率いる日本軍。日本軍降伏後に戻ってきた英国軍に森で襲いかかる野生のトラ。トラ人間を辿ることでこの地域の姿が徐々に明確になってゆく。

東京都現代美術館ホームページより 《CDOSEA》

《CDOSEA》
第二次世界大戦中に生まれた「東南アジア」という言葉に対するとても同一の言葉では語ることのできない、地域によって異なる文化、宗教、言語の存在を透明化していることに対する問題提起から生まれた作品。「東南アジアに統一性を持たせるものは何か?」という問いが形になったプロジェクト「東南アジアの批評図鑑」の一部である本作は、A〜Zのアルファベットに合わせて作られた用語集が、「アナーキズムのA」「バッファローのB」といった具合に映像作品としてまとめられている。
鑑賞者はヘッドホンを装着し、スクリーンの前に置かれたマウスを動かすことで、好きな用語の映像を見ることができる。ひとつ一つの映像が長いので全てを見ようとする鑑賞者と同じタイミングで居合わせるとなかなか作品を鑑賞することはできない。

本稿では詳しく語らないが、映像作品として上映されている《名のない人》《名前》、前述の《一頭あるいは数頭の虎》は、この作品を作るプロジェクトの過程で派生して生まれた作品だ。
《CDOSEA》のLは《名のない人》の主人公、ライ・テクのLなのである。

《名のない人》
フランスや英国、日本軍のスパイとして活躍したマラヤ共産党総書記、ライ・テクをテーマとした作品。ライ・テクという名は30ある名前の中の一つにすぎない。混血児だった故か特定の国にアイデンティティを持つことなく、戦況によって居場所を変えながらスパイとして生きた彼の世界を描く。マラヤを支配しようとした勢力らと深く繋がりを持ったライ・テクの人生は、東南アジアの歴史そのものである。断片的につなぎ合わされた映像に使われているのは、俳優トニー・レオンが出演した作品の数々。特に多く使用されているウォン・カーウェイの映画作品らが、この作品の世界観を彩っている。

名前
マラヤ共産党に関する最も重要な文献「マラヤにおける共産主義闘争」を著者である、ジーン・Z・ハンラハンを取り上げた作品。使われている映像はアメリカとイギリスの映画から抜き出した何者かがタイプライターを打つシーンである。短い映像をつなぎ合わせて作り上げた人物像は、断片的な情報しかなくゴーストライターと言われているハンラハンの存在を的確に描き出している。ハンラハンは著書の中でライ・テクの存在についても言及しているという。

《名のない人》《名前》はマラヤ共産党をテーマに、歴史上の人物として語られているものの、何者であるのか、実在した人物なのかがわからない、伝説とも言える2人の人物をそれぞれ扱っている。

《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》

ここからは展示の中心となった、山口情報芸術センター[YCAM]とのコラボレーション作品《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》について語りたい。というのも、3つの映像作品とひとつのVR作品から成る本作は、京都学派への関心がなく事前情報がないであろう人(私を含めて)にとっては非常に難解であり、理解しきれぬまま会場を後にしたのは私だけではないだろうと想像できるからである。

《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》は京都帝国大学で1920年に設立された学生ネットワーク、京都学派をフィーチャーした作品。《左阿彌亭(さあみてい)》から始まる映像作品は、記録を閲覧することが難しいため日本の歴史では語られることは少ないものの、1930年代から40年代初めに大きな影響力を持った彼らの存在を詳細に描き出した作品であった。

《左阿彌亭(さあみてい)》《空》《監獄》の3つの映像作品は各7分45秒の映像はそれぞれ壁面スクリーンに投影された映像と、前方に設置された半透明のスクリーンの映像2つを重ね合わせて観ることができるようになっている。

《座禅室》は4つの空間からなるVR作品である。3つの映像作品では、京都学派の人々の講演をテーマに作品が作られているが、映像内で実際の講演を聞くことは出来ない。それができるのがこの座談室なのである。
本展では事前に整理券が配布され、限られた人数しか体験できないようになっていた。開館10分後に美術館に到着し、残っていた最後の枠の整理券を手に入れたものの時間に間に合うことが出来なかった私は、体験をすることが出来ていないので、簡単な概要だけ紹介する。

《左阿彌亭(さあみてい)》

《左阿彌亭(さあみてい)》

作品ではそれぞれスクリーンで異なる映像と音声が流れる。1枚目のスクリーンで4人の座談会の様子が映る場面でのみ、ふたつの映像が綺麗に重なり合わさる。映像室に入る前に作品全体のキャプションがあるものの、事前情報がない人はこの時点で大きく混乱することになるはずだ。

京都学派の第2世代を代表する「京都学派四天王」西谷啓二(哲学者)、小山岩男(哲学者)、小坂正明(哲学者)、鈴木成高(歴史学者)の4人の学者が1941年 11月、真珠湾奇襲攻撃の約2週間ほど前に行った座談会。西田幾多郎のお気に入りの部屋であったとされる京都円山公園の高台に立つ左阿彌亭で実際に行われた当時の様子をリサーチをもとに再現している。

この座談会は冊子「中央公論」の企画として開催された『世界史的立場と日本』である。世界史が展開する中での日本の世界史的立場を確かめる目的で企画されたものの、話が進むにつれ徐々に熱を帯びる彼らの会話から、倫理では説明のつかない戦争を推し進める人々の思考を除くことになる。

ホーのリサーチにより、この座談会には4人だけでなく会話を記録した、新聞社社員であり速記社の大家益造が同伴していたことが判明している。この作品では大家の視点が作品の見えない主体となって存在している。作品越しに彼らの会話を知る私たちにも感じる戦争理論に対する異様な興奮と違和感は、当時その場で客観的に聞いていた大家にとってどれほどのものだったのだろうか。

作品から読み取れる内容はこのようなものだが、2枚目の壁面の映像に注目をするとまた違った事実を知ることができる。ここで流れているのは創始者である西田の公開講座『日本文化の問題』について言及した内容である。アメリカとの戦争を回避しようと西田が模索していた事実は、第二世代4人の座談会の様子とは違った印象を与える。

田辺元の声が聞こえる《Sky 空》

《空》

椅子を挟むようにして左右に大きなスクリーンが設置されている。そこで読み上げられているのは、1943年に京都帝国大学で発表された『死生』と呼ばれる講演。創始者、西田の後継者であり京都学派の二番手であった田辺元によるこの講演は、戦場への徴兵を強制されることとなった文系学生に向けて行われたものである。「国家のために死ぬとき、人は神となる」とこれから死へと向かう学生に対して、死生との向き合い方を語る。その音声は特攻隊を彷彿とさせるガンダムのような機体が空を飛ぶ映像とともに流れる。これらの機体が空中分解しやがて塵となって消えてゆくことで、鑑賞者は特攻隊としての臨死体験をすることになる。

三木清と戸坂潤が収容された《監獄》

《監獄》

1945年に獄中死した京都学派左派と呼ばれる、三木清と戸坂潤を扱った作品。そこで語られるのは、盧溝橋事件をきっかけに日本が東洋を統一すると説いた三木の『支那事変の歴史的意義』。この談話は、後の「大東亜共栄圏」に発展する「東亜協同体」の基礎となっている。もうひとつが、アジアの平和を実現するために一時的な戦争が必要だと説いた、戸坂の『平和論の考察』である。

アカデミズムの外部での反ファシズム活動、投獄された三木のポストを戸坂が引き継いだこと、死して獄中死。多くの共通点を持つ2人の思考と、そこにある差異が、排泄物が垂れ流されて蛆虫が這う空間で語られる。

《座禅室》

《座禅室》

VRゴーグルを装着し、体験者の体勢を変えることによって見える画像が変わる仕組みになっている。切り替わる場面は4つで、そのうち3つは映像作品で体験した場面の中に入り込むことになる。

姿勢を低く寝転がる姿勢になると、三木清の『支那事変の世界史的意義』と戸坂潤の『平和論の考察』が聞こえてくる「監獄」の中の場面。立ち上がると田辺元の『死生』を聞きながら、操縦機のひとつとなり空中分解する「空」の場面。大家に習って床に座ると体験者が大家と入れ替わって座談会の一部となる「左阿彌亭」の場面。速記者として手を動かすことで『世界史的立場と日本』が進み、手を止めると大家が戦後に書いた『アジアの砂』が聞こえてくる。
そしてもう一つ、これまで映像で描かれてこなかった場面が存在する。それが「座禅室」である。体験者は床に座り体を動かさないようにすることで左阿彌亭を経由してこの空間を体験することができる。座禅室で聞くことができるのは京都学派の創始者である西田の公演『日本文化の問題』である。

横にある部屋ではVRの枠を取れなかった人でもみることができる、映像バージョンが流れている。

時間に間に合わなかったVRのチケット

彼らの会合は3回行われた。1回目が1942年の中央公論誌に掲載されると大きな好評を得て、その後さらに2回開催され、最終的には3回の座談会として、中央公論誌に掲載されることになる。展示室の最後には中央公論も展示されている。

中央公論誌

時間の複数生を可視化する

最新作《時間(タイム)のT》と《時間のT:タイムピース》は、様々なスケールの時間がどのように共存しているのかという関心から生まれた作品。時間にまつわる様々な問いを集め、平等性を持って共存できる構造を探求する試みだと言える。

《時間のT》
60分にも及ぶ映像作品のため、今回の展示で最後まで見た人はどれほどいたのだろうか。映画館のような背もたれ付きのふかふかした椅子でないと途中で立ち上がりたくなる長さではあるが、ホーの特出したリサーチ意欲が存分に発揮された作品だと言える。
ホーが引用しアニメーション化した映像の断片が様々なスケールの「時間」を描き出す。それは素粒子の時間から宇宙の時間まで広がり、単位では表しきれない「時間」の奥行きの深さを思い出させる。私たちの時間の経験や想像に介在するものは何かを問いかけるものである。

《時間のT:タイムピース》 (右)《刑務所(待つ)》(左)《河2》

《時間のT:タイムピース》
各映像室の間に挟まれるようにして展示されているのが、30点の映像と12点のアプリケーション作品から成る作品シリーズ『時間のT:タイムピース』である。哲学、物理学、生物学、社会学、時計学などを参照した異なるスケールの時間を表す、リサーチ的作品である。ホーは時間の複数性に着目し、各所に散りばめた展示方法によって、様々なスケールの時間がどのように両立しているのかを検証している。

この展示を見て、私はエージェントとはホー自身のことなのではないかと思ったのだが、インターネットでリサーチをした限りそのような指摘はなかったので、特に言及はせず胸の中に仕舞っておくておくことにした。

こんな感じで盛りだくさんだった展示は7月7日で終わってしまうのだが、ホーの作品は日本に関連する内容が多いこともあり、またいずれ大規模な展示が行われるはずなので次の機会があったら要チェックだ。

ちなみに現代美術館は二階のサンドイッチ屋さんがおいしいのでおすすめ。展示を見に行った6月は「パイナップルとカスタードのサンドイッチ」があってかなりテンションが上がった。

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