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香川檀『ハンナ・ヘーヒ 透視のイメージ遊戯』、水声社、2019年

 コラージュあるいはフォト・モンタージュが20世紀芸術におけるもっとも有力な手法のひとつとなったのは、事象の断片化、既知のイメージの剽窃と異化、異質なものどうしの意表をつく結合や対比といった特徴が、複製技術時代の人間の知覚のあり方と一致したからである。
 本書は、過激な振る舞いで人目を引こうとするダダイストの中にあって一貫した造形志向を持ち続け、最後までそのようなフォト・モンタージュの可能性を探求したアーティストとして、ハンナ・ヘーヒの創作を描き出す。


 本書で取り上げられる、雑誌の写真を切り抜いてコレクションしたスクラップ帖と、第二次世界大戦後に創作された女性的なアイテムで構成されるフォトモンタージュ作品は、それぞれ、コレクションとジェンダーというヘーヒの創作の二つの要をなしている。これらの作品は日本ではこれまでほとんど紹介されておらず、踏み込んだ分析がなされるのは始めてなのではないだろうか。


 ヘーヒの人生は波乱万丈である。妻子ある芸術家ラウル・ハウスマンとの間にできた子供を二度中絶し、作家のブルクマンと同性愛関係を結び、50歳近くになってから親子ほど年の離れた芸術家肌の青年と同棲する。著者はこのようなヘーヒの「生きられた経験」が、作品の素材選択やテーマ設定に密接に関わっていると考える(17頁)。
 たとえば、生活のための仕事としての手芸は、彼女のフォトモンタージュの性質と切り離せない。ヘーヒは生活の糧を得るために出版社の手芸部に勤務し、女性向け雑誌の付録の型紙や刺繍の図案の制作に携わっていた。ヘーヒのフォトモンタージュは風刺的でメッセージ性の強い他のダダイストたちのものとは異なっている。むしろ異質なマチエールを緻密に組み合わせることで生まれる繊細さや、計算され尽くした不気味さを感じさせる。他のダダイストたちがフォトモンタージュによって意味を創出しようとしたのに対し、ヘーヒはモンタージュの形式そのものと、手先の器用さが必要とされるような技術に関心を向けている。


 ナチスによって退廃芸術家の烙印を押されたヘーヒは郊外の家に移り住み、身を隠すように自給自足の生活を行った。そして迫害されて国内外に散り散りになった友人の芸術家たちの作品や、彼らにまつわるドキュメントを守り抜き、「ダダの管財人」としての役割を担ったという。アーカイヴに収蔵された作品や資料は、常に他者による参照を待っている素材でもある。雑誌に掲載された写真やイラストをコレクションしていたヘーヒはそのことを強く自覚していた。このようなヘーヒの収集と保管に対する執念は、おそらく、フォトモンタージュの原理そのものに根ざしているのだろう。

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