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なぜブログのタイトルが「オランダへ」なのか。
そういえば、全く気にしてもいなかったけど、本当にすこーしずつだけど、ブログを読んでくれる人がいて、たまーにポツリポツリと聞かれる。
「なんでブログのタイトルが【たー坊、オランダへ】なの?」
我が家のダウン症児アイドル、たー坊がたー坊なのは良いとして、なぜにオランダなのか。
ブログを書き始めたのはちょうどほぼ1年前くらいで、当時たー坊が生後3か月くらいのとき。た―坊は生後まもなくダウン症の告知を受けた。脳天ずこーんとハンマーで殴られたかのような衝撃で、その頃のことは本当にうろ覚えなことが多くて大抵は記憶の彼方に飛んでいたりする。
その後、衝撃からの回復期まっさかりだった20年12月。頑張ってブログを書き始めよう、と自分に約束をした。
「タイトル何にしよっかなぁ」ってポーっとしてたら、ある1冊の本に出会った。
ダウン症の子のパパさんとママさんであれば恐らく知っているだろうメッセージ。素敵だから改めて紹介しちゃおっと。
エミリー・パール・キングズレイさんの「オランダへようこそ」。
「オランダへようこそ」
私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。とてもワクワクします。
そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。
「オランダへようこそ!」
「オランダ!?」
「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」
でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。
あなたは、ここにいなくてはなりません。ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。
ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。
でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。
きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。
心の痛みは決して、決して、消えることはありません。だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。
というメッセージ。
エミリー・キングズレイさんはセサミストリートの作家を長く務め、1974 年にダウン症のある息子さんが生まれてからは、障がいを持った人のために色々な活動をしてこられたそう。この「オランダへようこそ」というメッセージは1987年に書かれたもので、日本でもその和訳が今もなお語り継がれている。
このメッセージに出会ってから何度読み返しては泣いたことか。いまだに読むとジィーンとする。我が家にとっても大切な大切なバイブル。
ただ、今改めて書いてみて思ったのは、ちょっと何か違和感もある。
『イタリアに行くはずだった。ガイドブックも買った。言葉もちょっと勉強した。夢にみたイタリア。でも到着したらなぜかオランダだった。「ただちょっと違う場所だった」』
たしかにそう。到着したのはまさかのオランダで、そんな準備全然してなかったし、行ったこともない国で、え?あれ?って感じ。
「先月ローマ言ってさー」
「えーそうなんだーいいよねー!」「どこいったの?!」「あ、真実の口いった?!写真とった?」
「うんうん、もちろんー!」「手を入れるのちょっとドキドキするよね」
なんて、そんなやりとりはできないわけ。たしかに。
そこは同感なんだけど、じゃあオランダに着いたことは本当に「心の痛み」なのか・・イタリア行きってそんな「失った夢」なの?ということ。
告知直後の不安定期は確かにそうだそうだ、と思ってこれを読んではよくメソメソ、ジメジメした。でも今この瞬間は本当にそうなのかな、って思う。人は成長するもんだなぁ。
たしかに、たー坊は人より発達がとてつもなくスロー。家にいると全く気付かないけど、社会に出てみると、と言うのは大げさで、保育園に行ってみると、健常の子たちはお部屋の中を走り回っている。たー坊は一人床にゴローン、ゴローンとしている。いまだに寝返り返りができないので、いつも片道切符。他の子たちがイスに座って机に向かってスプーンをつかみながらご飯を食べているのに、たー坊は今だにバウンサーで半ば天井をみながら先生に全介助で食べさせてもらっている。散歩に行けばみんなは走り回り、落ち葉を拾ったり、虫をツンツクしているのに、たー坊は一人乗りのベビーカーに乗って先生に落ち葉を差し出されては、クシャっと掴んでその音や感覚を愉しんでいたりする。お友達がほしいおもちゃを欲しい場所でほしいがままにお友達同士で遊ぶんのに対して、たー坊は手が届く範囲にあるおもちゃで一人満足げに遊ぶ。でもたまにお友達がおもちゃを取ろうとすると、そこは握った手を決して離さない(怒るわけでもなく、泣くわけでもないそう)。たしかにたー坊のいる世界は「イタリア」からは程遠そう。
でも恐るべしは、そして一番大切なのは、たー坊がイタリアじゃないオランダでもいっつも「ニコニコルンルン」していること。何でこの子はこんなにごきげんなんだろう、と不思議なくらいいつも本当に幸せそう。お世辞にも簡単じゃないオランダの世界でも彼は心底ハッピーだ。イタリアだろうとオランダだろうとスペインだろうと、彼はきっとどこに行ってもニコニコルンルンなのだろう。動け(か)ないたー坊に代わって周りの友達が寄ってきてくれる、そして先生たちが手を差し伸べてくれる彼の世界には、ありがたいことにまだ差別も区別も存在していない。彼の中には、
「今この瞬間、超愉しくてハッピー」
しか存在しないんじゃないか。それ自体がハッピーなこと。そんな風に毎日を過ごせることはオランダに着いた彼ならではの特権なのかもしれない。だから、そんな彼と生きる今、私の前には「心の痛み」や「失った夢」はあまり出てこない。ハッピーは結構強力であっという間に伝染する。だから我が家には今ハッピーが渦巻いている。
もちろん、「早く歩いてほしいなぁ」とか「いや、せめて腹ばいを1歩だけでも」なんて思ったりはするが。
ちなみに、欧米の人がイタリアのこと、オランダのことをどんなメンタリティからたとえに使っているのか、理解するのは難しいけれど、少なくとも私が垣間見たほんのちょっとの「オランダ」はとても不思議な国だった。
単に数時間トランジットで滞在しただけのアムステルダム。何となく神秘的な匂いがした(気がする)。空港のカウンターの高さがやたら高くて、トイレに入ったら便座がこれまたやたら高くて座ったら足がプラプラなるほどだった。ガリバーの国か、と妙に納得した。空港のお姉さんたちはみんなとてつもなく綺麗で、でもちょと冷たそう。困っている顔をすると怪訝な顔をして助けてくれる、そんな感じ。情報が少なくて参考にならない。。
興味本位で読んだ「世界一幸せな子どもに親がしていること」は、オランダ人の旦那様と結婚してオランダで子育てをするアメリカ人とイギリス人の2人の著者が、それぞれにその違いを体感して驚きながらオランダ流の子育てメソッドを語っている本。
これを見ると、幼少期からフィンランドで子育てをしたかった私も、今やオランダの方がもしや良かったりするのかな、なんて思ったりする。(そして結局は日本で子育てをしている)
読めば読むほど不思議の国オランダ。いつかたー坊を中心に家族みんなで行ってみたい。
【オランダ坊や、ようやくおすわりが安定か】
【おすわりは好きらしい】