コミュニケーション障がい発生中につき
コロナ禍になって久しい今日この頃。我が家にはダウン症の息子がいまして。
そういえば全然関係ないけど、一昔前まではよくいろんなところで謙遜用語に出会っては違和感を感じまくりだった。例えば、「愚息」。何これ、インパクトありすぎでしょ。日本の謙譲の美徳も行き過ぎが甚だしい。外(海外)でこれをやろうものなら総スカンだ。
ロシアにいたときも日本人がよくやる「つまらないものですが…」というプレゼントの渡し方は現地の人たちには「は?」って顔をされて全く理解されなかった。それはそれで悔しかったので、「謙虚なわたしからあなたへ、大きくはない、でも小さくもないプレゼントです。そう、小さくないプレゼントですよ」と言って渡してたら毎度大爆笑だった。あいつは本当にハルキムラカミと同じ日本人なのか?!と思われていたかもしれない。いや、ロシアの人たちは行間にユーモアを読み取る人たちだからきっと伝わってたはず。
こうやって本題からズレまくるのもロシア仕込み、ということにしておいてそろそろ本題に。
コロナ禍になって久しくて、完全在宅になって丸2年が過ぎた。フルタイムで子育てしながら仕事もして、家事もする、そして平日はほぼほぼワンオペ。これを実現できているのはひとえに在宅勤務のおかげ。私のいる会社はコロナで働き方ががらっと変わったが、事業の業績は絶好調で右肩上がり。仲間も増えてクライアントに価値提供できることも増えてなかなかに良い感じ。
働き方の柔軟性について、つまり出勤かリモートか出勤か、の是非が問われるとき、大抵は生産性や効率性、コミュニケーションによる円滑性の効果などが焦点になる。だけど、声を大にしていいたい。多様な働き方が許容される環境でしか働けない人たちもいるんですけども!しかもこれは何も子育てに限った話じゃない。もうすぐ本当に本格的に来たる高齢化大国、日本。介護の波がガツンと押し寄せるそのときにあたふたしてももはや遅い。効率も生産性もたしかに大切だけど、それ以前にワークしながらママ業して、家事という大業もほぼほぼ1人でするときに問題視されるのが効率性だけであって本当に良いのか。
…本当は1番話したかったことはこれじゃない。タイトルも変えるしかない、いや、あえて変えずにいくか。社会問題をよくわからないところから一方的に刺す問いで終わってしまっていいのか…一抹の不安はあるが、まあいいや。あちこち道草をくってしまった結果を真摯に受け止めて本日は閉店ガラガラ。
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