まねっこまねりんとまかとん
我が家のたー坊先生、9月生まれなのでもうすぐなんと2歳に。あっちゅーまというか、長かったというか、このブログをはじめてもうすぐ2年になってしまうのか。と考えると、やっぱりあっという間だったなぁと。
今日のテーマは、「優位感覚」。
人には優位感覚というものがあるらしい。そもそも人間は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚という五感を使って日々の生活の中で様々な情報を得ているのだけれど、どの感覚から得た情報に特に頭や心が反応しやすいかは、人によって異なる。どの感覚を使って情報を得るかによってその情報の理解度とか定着性が変わってくるということ。だとすると、自分も子育てにおいてもそして意外と一番重要な旦那さん育てにおいても、その人にとって優位な感覚を理解してその感覚にあった伝え方をする方がきっとお互いに負荷も少ないし、本人も苦手な感覚を使って頑張るよりも、得意な感覚を使って楽に学ぶ方が圧倒的にハッピーなはず。
自分の優位感覚がどれなのか、わかりやすく知る方法。例えば、携帯電話を新しくしたとき。どんな方法で携帯電話の使い方を学ぶか。
視覚→とにかく真っ先にマニュアルを読破する。私からすると驚きだが、友人に一人いる。とにかく携帯には全く触らずに、まずはマニュアル本を読む人。最近は紙の取扱説明書がついてこないことが多いのに、わざわざネットからダウンロードしてた読み込んでいたり、ネット上の動画を見たりするらしい。個人的には視覚の中でも文字情報が得意な場合(読む・読解)と、動画(動きを見る)に分かれるような気がする。
聴覚→例えば人にやり方を聞く。すでに使っている人にやり方をきく。大抵こういう人は愛嬌を武器に、「えーそれどうやってやるのー?」とすすすと近寄ってきて、おしえてーとお茶目にたのんでくる。全然嫌な感じはしないし、先人の英知から学ぶことを考えると意外とこの方法が一番早いんじゃないかとおもったりする(誰に聞くのかはとても重要)。オーディオブックとかもそうなのかも。紙でも電子書籍でもない、耳から聞くタイプ。
携帯電話の例だと嗅覚と味覚はないので、最後が触覚。触覚優位な人は取説も読まなければ、人に聞いたりもしない。ただひたすら自分で触りたいようにさわり、動かしたいように動かす。どうしてもわからないところだけしれっと取説の特定ページを目次検索している人とか・・たまにいる。ここにいる(笑)
私は完全に触覚優位。とにかく一度は自分で触ってみなければ気が済まない。マニュアルを開いたとて、一番私が知りたいことは大抵一番最初のページには書かれていない。とにかくやりたいことをやりたいように一通りやってみた上で、それでなんだっけ?とやりたいことベースで動画をあさるか、マニュアルの目次で探して特定のページに飛ぶ。人に聞くことはほぼまずない。
面白いのが旦那さん。まずはネットやら取説やらを一通り読破しつつ、大抵プロの人に身を預けて聞きまくる。これは携帯に限らず家電を買う時も、洋服を買う時もそう。ひたすら情報収集をして、お店に行って店員さんに違いを聞いてひたすら会話を楽しむ。いい迷惑なのは一緒に連れまわされる奥さんと何より買うかどうかわからない人から一方的に会話を楽しまれる店員さん(いつもごめんなさい)。これって視覚・聴覚優位ってこと?
ということで、私たち夫婦の行動は時にというかほぼものすごく真逆だったりする。常に最短コースで効率的に生きたい私。でも自分の好きなことに関しては、手で触れて試してみてそして好きなやり方で好きなようにやりたい。対して、もやは情報集すること自体が愉しみでそのプロセスが一番というほど楽しい旦那さん。まずはネットで調べて、人に聞く。店員さんだけでなくて、そこらで買い物しているお客さんにまで声をかけたりするから驚く。
こうやって一緒にいると違いすぎて大抵私のイライラがマックスになり、沸点を突破する。何に怒っているのかわからない旦那さんの「あやちゃんはせっかちだなぁ」のボソリ一言がさらに火に油を注ぐ結果を招く。
でもこうして人には優位感覚があってね、お互い情報の取り方や学び方が違うんだよ、という前提があるとほんの少しだけ相手に寛容になれる・・気がする。「ああ、彼は今視覚優位でああやって情報収集中なんだな」と。
さらにこれが顕著にでるのが我らがたー坊先生。ダウン症の子は視覚・触覚優位といわれているらしい。視覚の中でも読解ではなく、「見て学ぶ」ほう。たしかに、たー坊先輩、1歳9か月ごろから如実にその傾向が強く出はじめた。とにかく、見たものを真似する力が強い。最近覚えたのは、フルネームを呼んで、はーいと片手をあげるしぐさ。大抵満面の笑みでやってくれる。それでも耳のあたりから手がまっすぐに伸びず、コキンと後ろに折れ曲がっていて、「いやぁ、照れますなぁ」といった感じのジェスチャーになってはいるが。
驚くべきは、「敬礼、ピッ」。
敬礼してやって見せたら同じようにできた。そして、「E-Tー!」と言って人差し指のさきっちょを見せたら、彼も指をピンと伸ばしてきて人差し指のてっぺんに合わせてくる(きっとZ世代には伝わらないに違いない)
ほかにも、今日学んだほやほやななのは、「もう1回」でたてる「1」の人差し指。保育園で先生が「もう一回やろうか?」といって指で1を示したら、彼も真似して「1」を示したとか。さきほどズキューンと胸をうたれた先生から興奮冷めやらぬメッセージが連絡帳で届いた。
そういえば、ダウン症の子に「マカトンサイン」を使う療育の先生も多い。マカトンは、英国で考案された障がいをもった人向けの専用のサインでベビーサインのようなもの(と勝手に理解している)。
そういえば、尊敬してやまないPTの先生も、「おしまい」とか「おいしい」とかたー坊先生に話しかけるときにマカトン法も使って指示を見せている。ジェスチャーをみてそこに意味を紐づける。その方が視覚優位な彼にとっては理解しやすいのかもしれない。何気なく遠目で見てきたマカトン。ちょっと勉強してみようかな、なんて。
そういえば、大学時代にほんとーにちょこっっとだけ在籍していた手話サークルのことを思い出した。そしてさらに遡ることはるか幼少期、ミッション系の幼稚園にて「賛美歌 第二編 171 大波のように」を手話付きで学んだこともふと思い出した。たしかに歌詞までしっかり覚えているのは手話のおかげなのかもしれない。触覚優位な私だが。