パラダイスの夕暮れ
「パラダイスの夕暮れ」(監督)アキ・カウリスマキ(78min)
1986年にフィンランドで制作された、アキ・カウリスマキ監督のプロレタリアアート三部作の第一作目。
主人公ニカンデルはゴミ収集人。単調で鬱々とした日々に嫌気がさした仕事の相棒に、独立してのし上がるつもりだから一緒にやらないか?と持ち掛けられ、微かな希望と歓びを感じてすぐ後、相棒は仕事中に倒れて急死してしまう。
変わりゆくであろう未来に希望を見出していたニカンデルはバーで荒れ、気が付くと留置所に。同じく留置されていた失業中のメラルティンと話をするうちに、ちょうど空きが出たからうちはどうだ?と会社を紹介し、二人の友情が始まる。
そんなニカンデルが恋に落ちたのが、スーパーでレジの仕事をしているイロナ。ニカンデルが手を怪我していることに気づいて手当をしてくれる彼女と遠慮がちに交わされる視線は匂わせ以上の濃厚さでありながら、だからといって恋の甘さはあまりなく、秘された本心と情熱が表にあまり出ないところもすごくいい。
「かもめ食堂」の映画の裏話で、キャストの方たちがフィンランド人は日本人と同じように内向的で口数が少なく、控えめな人が多いと言っていたけれど、そんな内面を映画全体で表現するかのようにカウリスマキの映画では色彩も明度もごくごく最低限に抑えられている。
ニカンデルはデートの服をドキドキしながら選び、花束を買い、歓びで胸の内はふわっふわでも、表情は嬉しい時も悲しい時も無表情。彼女もニコリともせず辛くても淡々として見せるので、本当に恋が始まっているのか、今はどんな心持ちなのか、微妙な空気と小さなシグナルで察するしかないところがもどかしくも、不器用さがまたいい。デートでも浮かれた感じはなく、つまらなければ花束を突き返してプイと帰ってしまう。ニカンデル…と不憫に思いながらも、このデート本当につまらないので反省会でもしようか!と苦笑してしまう。
ニカンデルとメラルティンの友情も仲良しな空気感はあまり感じられない。表情や言葉とは裏腹に、しっかりとお互いを思い合い助け合ったりもするが、とにかく恋も友情もツンデレすぎて読み取りにくい。でも情熱は唐突に湧き上がり、ロマンスはロマンスとして確かに存在する。ここがカウリスマキの癖になるところかもしれない。
将来への不安から「食べていける?」と聞く彼女に、「毎日イモだ」と返すニカンデル。つまらないデートから速攻で帰り、花束は無常に突き返し、嬉しそうに笑顔も見せない彼女は、こんな甘さの欠片もないプロポーズに「いいわ」と即答し、新天地へと旅立つ車で初めて笑顔を見せる。自分勝手で常に機嫌が悪く、諦観に包まれた彼女の裏にあったのは全てへの不安だったのだろうか。甘味を一切排除した台詞に渾身のロマンスを詰め込んだカウリスマキ最高の名シーン。イロナの最後の笑顔を見る為だけにでも、この78minを費やす価値は大いにある。
なんとかなるんじゃないかと理由もなく無敵感に包まれる、あの一瞬のきらめき。ラストは希望と現実に揺れる歌で切なく締めくくられていく。
それでも夢見がちに微笑む彼女の今はきっと満たされている。長い人生、束の間の甘さも悪くない。