LGBTQ事情#6 自殺した友人の話
大切な友人を自殺によって失ったことがある。
彼女は、独りでいた私のそばにいつもいてくれた。人懐っこい笑顔が印象的だった。
「誰にも秘密だけど、実は女の子と付き合ってるんだ。」と、私に打ち明けてくれた。当時の私は、女の子を好きになる自分の感情を否定していたせいで、彼女の秘密を受け入れることができなかった。
私が否定的に思っていることが伝わったのか、それ以来、彼女は恋人の話をしなくなった。
彼女の死は突然だった。死に追い詰めた原因は怖くて聞けていない。いや、誰にも分かるはずがない。
だけど、もし、私があの時、自分自身を肯定できていたら。彼女ともっと話をして、共有し合っていたら。そうしたら、もしかしたら、彼女を救えたんじゃないか。
彼女の死を自殺という言葉で片付けてはいけない。彼女を殺したのは、私だ。私は、殺人の片棒を担いでいた1人だったんだと、本気で思っている。
自分が自分を否定する感情は人を殺す凶器になる。私が自分の女の子を好きになる感情を否定していたことは、きっと彼女を否定することとつながっていた。
爆弾やミサイル、ピストルや刃物なんて持っていなくても、人をあやめることは今の時代、簡単だ。誰もが自由に、世界中に言葉を発信できる時代。ネットに投稿されたひどい言葉によって、芸能人が亡くなるニュースに衝撃を受けた。
だけど、そんな凶器と化した言葉が生まれるのはどこから?一人一人の心からだとすると、言葉にしなくても人を殺せてしまうことになるのではないだろうか。とんだ拡大解釈かもしれないけれど。
少なくとも私は、言葉にしなくても、自分を否定する気持ちだけで、人を殺すこともあるんだということを、この時に身をもって知った。
私たちはみんなどこかで影響し合っている。食物連鎖みたいなもので、バッタが絶滅したら、それを食べるカエルが死に、カエルが死んだらそれを食べるヘビが死ぬ。それは、100年後までも影響するのかもしれない。誰かが自分の心の中で知らずに自分を殺しているなら、それはいつか誰かを殺す。
それを食い止めるために今の私にできることは、私の心の中で殺している私を助けること。今は自分の性に対する感情は否定していない。一歩進んだ。そして次の段階へ。彼女を殺した罪悪感さえも、大切に認めてあげなければ。そう簡単にはいかないけれど。
でも、もう絶対に凶器は持ちたくないから。誰も殺したくないから。
2021年11月3日火曜日
山陰中央新報 掲載分
写真 いしとびさおり