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LGBTQ事情#12 差別をしていたのは私だった。
私は被害者だと思っていた。世の中に漂う小さな差別に傷つけられてきた。だけど、私自身が加害者だったことを知った。差別を生み出しているのは私の方だった。
あるトランスジェンダーの方に、
「体にメスを入れていないあなたがLGBTを名乗るのはおかしい。」
と言われた。ちょっと好きになったレズビアンの女の子からは、
「男と関係持ってるなんてキモイから私たちの世界に入ってこないで」
と言われたこともあった。
私の程度では、LGBTQの仲間には入れてもらえないのか……。どうしてそんなにヒドイ言葉で威嚇されなければいけなかったんだろう。LGBTQの世界にも差別はあるんだ。
「私は被害者。」
「孤独なのは私の方。」
最近までそう思っていた。
どうして私が、あんな言葉で威嚇されてしまったのか。それが少しだけわかったことがあった。脚本家で映画監督の井上淳一さんが送ってくれた、この連載への感想だ。一部抜粋する。
「バイセクシャルで上手く生きられない私という、一見低い目線から書いているようで、なんかそれを錦の御旗にして、実は高いところから斬っている、そんな感じがしちゃうんだよね。」
グサグサグサ……。その通りだ。私は、あの人たちに無自覚にマウントをとっていたんだ。それをあの人たちは敏感に感じ取ってああいう言葉を私に投げかけた。それに私は全く気づいていなかった。自分の性の問題だとばかり思っていたが、違った。性の問題ではなく私自身の人格の問題。これまでの連載を読み返しても、私はだんだんエックスジェンダーの名を語って社会にマウントをとりだしている。前回の記事もそう。メイクをしない自分をよしすることで、メイクを必要としている人を斬っていた。何かを肯定したら何かを否定してしまう。じゃあ、どうしたらいいんだ……。
だけど。もしかしたら、差別って、そういうところから始まるのかもしれない。自分の弱さを忘れて、強くなった気がして背伸びをする。いつのまにか同じ弱さを抱えていた人を見下ろす。助けようかと差し伸べた手で傷つける。それはそうだ。助けようなんていう傲慢さにどうして気がつかなかったんだろう。相手はもう手を握ってはくれない。そうしてだんだんと差別の溝が大きくなっていく。私は、苦しかったあの頃を乗り越えた代償として、本当に大事なことを忘れ始めている。
「かっこつけてるから、もっと生身を晒して」
井上さんは言ってくれた。そうだ。まだ恥ずかしい自分を山ほど隠している。忘れてしまわないうちにここに書き起こしていこうと思う。
これ以上、加害者にならないために。自分の弱さをもっと自分で知らなければ。それが結局、他者の弱さ、他者の痛みに敏感になることなのかもしれない。
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山陰中央新報
2021年5月4日火曜日 掲載分
写真 いしとびさおり