LGBTQ事情#5 ドラァグクイーンとの出会い
高校の卒業式の夜、夜行バスに飛び乗って東京へ行った。役者の夢を叶えるために。やっと学生服が脱げる、やっと好きなことができる。1秒でも早くこの窮屈から抜け出したかった。
東京は自由の街だった。朝から酔っ払いはいるし、道端で寝ている人はいるし、昼も働いているのかよくわからない人で街がごった返していた。最高だった!
昼はお芝居の稽古をして、夜は毎晩、大人に連れられ、未知の遊び場へ繰り出した。
20歳の誕生日祝いだったと思う。丸の内にあるスナックへ連れて行かれた。
「いらっしゃい」
迎えてくれたママの手の美しさに見惚れた。しわ一つない首や肌。妖艶なしぐさ。ママは、テレビでよく見る有名なドラァグクイーンだった。
周りの大人がお酒を飲んで盛り上がる中、ママがひっそり、私に耳打ちした。
「アンタ、タダで女なんだから、もっと女、やんなさいよ。アタシなんか、お金かけて女やってんだから。うらやましいわよ。」
大股を広げて座り、ダボダボの黒いシャツと半ズボンを着た私は、なんとなくそっと、膝と膝をくっつけた。なぜだか、恥ずかしかった。ママには、私の心の内が見透かされている。
その日から、ずっとママの言葉が頭から離れなかった。
鏡の前に立ち、女っぽい服を着て、化粧をし、"タダの女"をやってみた。役者を目指す私にとって、「女」をやることは、カメラの前に立つことと似ていた。鏡に映る自分は、まるで別人で、明らかに私を見る周りの目が変わった。女って悪くない。自分の"女の部分"を極端に嫌っていた私にとって、ママとの出会いは衝撃的だった。
本当の私はとても曖昧だけど、それは私一人だけが理解していればいい。女を演じるのは楽しく、歳を重ねるたび、自分の中の「女」の部分を気に入っていく。
だから、私は「役者」ではなく「女優」と名乗っている。あえて、「女」というものを前に出すことで得をすることもある。
だけど丸ごと「女」として生きる選択肢はない。いつかは、「女優」という肩書すら投げ捨てたい。「女」を利用するしかない自分自身をダサいと思っているところは正直ある。あのママのように、自分を深く理解し、一人の人間として、強く美しくありたい。そう思っています。
2021年10月6日火曜日
山陰中央新報 掲載分
写真 いしとびさおり