双極性障害の私が司法試験に合格する話(398)このまま生きる。
〇〇になりたい。
そういう思いが強すぎて、そうなれていない自分を否定してしまっている。でも、それはつまり、名前のついた、〇〇になれていない、私以外の私のような人たちをも否定していることになる。本当にそう思う?〇〇かどうか、素性も知らずに付き合ってる素敵な人はたくさんいる。もちろん、立派な肩書きがある人には憧れはする。でも、逆もある。〇〇のくせにあんなんだ、とガッカリしちゃう人もいる。
議員さんだから、お医者さんだから、弁護士さんだから、学校の先生だから、だから、いい人だよ、偉い人だよ、あんなふうになりなさい。
そんな洗脳をずっと受けてきた。そうやって人を判断する自分にとって1番身近な大人を私は、「あんたみたいにはなりたくないわ。」そう思っていた。
それなのに、私自身、今、そうなってるじゃないか。だから、苦しいんだ。なりたくなかった大人になりつつある。そりゃ苦しい。
司法試験合格を目指してるけど、やっぱり、本心は、弁護士になりたいわけじゃない。じゃあ、なにがしたいんだ、そこが全くわからないから、それはそれで、迷ってるんだけど。なった時に考えればいいことなのだ。なってもない時には選択肢なんかない。なれる土俵に立って初めて選択肢がある。だからこの悩みは、もう捨てよう。
私がなりたいものは、ない。
何者にもなりたくない。
私は私のまま生きたい。
肩書きはいらない。
肩書きはいらないなら、もういいじゃないか。今の自分は、肩書きなんてない。受験生?無職?自由人?ニート?なんとでも呼んでくれ。私は私だ。美味しいものだって食べたい時に食べられる、会いたい人にはフラッと会いに行けて、見たい景色もフラッと見に行ける。欲しいものは特にないからそういうお金はいらないし、借金なんかもない、むしろ貸してるお金があるくらい、何か締め切りに追われてるわけでもないし、取られて困るものも持ってない。好きな人に好きって言えて、色っぽい素敵な時間を過ごすことも満足にできてる。
なんか、こうやって書いてみると、私ってかなり上出来じゃないかと思う。
なのに、ないものねだりして、なりたくない私になりかけて、腐りかけてた。
危なかった。
体調を崩し、「そっちじゃないよ、間違ってるよ」体の悲鳴がやっと気づかせてくれた。
私は私のまま、ゆっくり生きていけばいい。
大丈夫、私は、いい感じに生きてる。