
双極性障害の私が司法試験に合格する話(54)ライトハウスを観た。
「モノゴトは、知っていた方が、楽しいよな」って思える映画を観た。
映画『ライトハウス』
「面白かった!」と言ってしまうには勿体なく、世の中に溢れる面白い映画たちに紛れさせたくなく、だから、黙っていたい映画ではあるんだけれど。
こういう映画を好きだと思う自分の趣味をどうかと思ったりもする反面、世界でしっかり評価されている以上、私はちゃーんとミーハーなんだと安心する。
またこの監督がどんなものに影響を受けてきたのか、というのが、フラッシュバックするのが面白く(実際どうかは知らないけど)黒澤明とかの時代の日本映画っぽいなー!とか思うシーンもあったり。ギリシャ神話の一幕?!と思わせるシーンがあったり。
だけど、この面白さは、誰かに伝えることはできない。伝えようとするならば、私が小さい頃、ギリシャ神話に夢中になった時の話からしないといけなくなるし、さらにその記憶や感情を話せるほどの、語彙力がない。この映画の良さを伝えるために私にできる最善の行動はただ、「黙る」こと。それなのに、もうこれだけ、喋ってるんだから、自分の節操のなさにあきれちゃう。
呆れたまま喋る。まだ、いくぞ。
冒頭で述べたように、「モノゴトは、知っていた方が、楽しい」と思えたのは、この映画の随所に普遍的な歴史や物語の断片が織り交ぜられていて、それをどれだけ見つけられるか、その楽しみを感じる映画なんじゃないかと思ったから。
ストーリが面白い、とか、役者がすごい、とか、音楽がいい、とか、人には人の楽しみ方があるけれど。私はこの映画を、自分が辿ってきた道を肯定してくれる映画だなと思った。
何が面白くて、何に価値があって、というようなことをこの監督たちと語り合えそうでそれを想像するだけでワクワクする。あれ知ってる?これ知ってる?って話すためにもっといろんな本や歴史や映画を観ていつかの訪れもしないそんな日を夢見て、また私は世の中に溢れるいろんなものに触れるんだと思う。
もっといい映画に出会いたい。いい本を読みたい。素敵な人が影響を受けたものたちを知りたい。たくさんたくさん浴びたい。そんなふうに思うのは、私にとってとても幸せなこと。
だけどそう思ってしまうのもどうかという悩みもある。
最近は、作る喜びより、受け取る喜びの方が大きいような気もしてきたから。これまでお金がなかったから、映画観るなんてたまの贅沢で、たまに選ぶ映画が外れたりすると、自分の観たい作品は自分が作るしかない!って思っていた。それが、ある程度お金を映画を観る事に使えるようになってからは、こんなに素晴らしい映画が世界にはあるんだ!と、リスペクトをして満足する。次はどんな作品を生み出してくれるのかなってワクワクする。
映画を作りたいという夢が、映画を観ることで溶け出している事にも気付き出してる。
今の私の興味は、司法試験を合格することのみ。
数年前まで島根で女優と名乗って仕事をしていたけれど、今名乗りつづけているのは違う気もする。(11月に2年ぶりのドラマの撮影はあるけれど)
今はただただ、司法試験に合格することしか頭にない。女優という肩書きにネガティブな感情があるわけでもない。ただ、放置している事に対して気になる部分はある。
白黒つけなきゃ気が済まない自分のめんどうな性格なんだろうけれど。まぁ、全部、司法試験に受かってから考えよう。
今は、目の前の課題をやる、それだけだ。
ライトハウスの事は、忘れたくない映画なので、書き残した。
ライトハウス製作者の皆さんに、全細胞から敬意を表する!!!