双極性障害の私が司法試験に合格する話(431)ベランダで飲んだコーヒーがうまかった。
今日はとても気分が良くて。躁鬱の躁に傾いている感じでもなく、震えとか動悸とかもないので、確かに、今日は安定してる。
ただただ、気持ちのいい日。
だけど、そんな日でも、恐ろしく思うというか、なんとなくつまらなく思うのはなぜ?
もうこれは、私の性格というか、癖というか。なんか、とんでもない事件とか悲劇が起きないと、楽しめないみたいな、自分がいるのかもと思う。
躁鬱発動したときなんか、めちゃ苦しいし、死ぬんか死なんのか、本当に瀬戸際でせめぎ合うのだけれど、どこか、遥か遠くの私は、それをみて、ニヤニヤしてるんだよね。
面白いじゃん、って。
ドMなのか?不幸体質?(そんな体質ある?)なのか?とにかく、苦しんでいないと生きている感じがしないっていう、ほんと、厄介なやつだなと思う。
だから今みたいな自分は、とても気分が良くて気持ち良いのだが、つまらないなと思ってる。
気持ち悪いものは嫌いなのに好き。悪いものは良くない!と思いながら大好き。なんかそんな感じ、それをかっこいいと思っちゃってる節がある。ヤンキーに恋する中学生のまま止まってるのかな?(ヤンキーに恋した事はないけど)
タバコとか吸いたいし(喘息になってすぐ辞めた)、朝まで酒飲みたいし(薬と相性悪くてやめた方がいいやつ)、刑法とか捕まる系の法律には反しない程度で、なんかコソコソ悪い事したいし。
清く正しく美しく!っていう精神に憧れはするのだけれど、なんか、斜めに見ちゃうところがあって。私は、どうしても、転落する人の人生がとても好きだ。歌手のASKAが薬物で捕まったときにファンになって聴き込んだし、広末涼子が不倫でバッシング浴びてるのを見てマジでかっこいいなと思ったし、もう他に、言ったら、心配されるくらい、私は悪党が好きだし、悲劇の人生を生きた人が好きだ。
だから、いいんだよね。苦しくて。私の人生これで正解。なりふり構わず、欲しいものは全部手に入れる。そのために、どんなに苦しくても努力する。嫌になったら逃げればいい。情けなければ情けないほど、私の好きなかっこよさを手に入れられるのだから。大きな挑戦をしている方が私は自分で自分が好き。
今、心がとても安定してて、これを思うのだから、割と、これが私の本質に近いのかも?と思いつつも。
でも、それに固執せず、まだ見たことのない多面体な自分を目撃して受け入れて、ひらひらふわふわくるくると生きていきたい。
動画が内容がな過ぎて困ったけど、文章書くと書けるもんだな。もう1000文字。こんなとこまで、読んでくれる人がいたとしたら、いつもありがとう。心からありがとう。