生きるということ
諦めていることを思いつく限りやってみる。
自由に好きなようにやり尽くしてみれば、すべてに満足する。
続けたい、と思うものこそが本当に好きなこと、やりたいこと。
憧れただけのもの、興味が沸いたけれどそれだけ、というものは、体験して満足すればそれで気が済んでしまうもの。
続けたいと思わないものを、無理してやる必要はない。
睡眠というものは、自分自身とのミーティング時間。
自分のためのミーティング時間を、充分にとるのかどうか。
長ければ良いというものでもない。自分が満足できる形でとれるかどうかがたいせつ。ちょこちょこがよければそれでもよい。
眠ることに限らず、すべて自分が満たされる形でやるのがよい。
食べるもそう。満たされるものを満たされるだけ求める時に。
食べる量が多ければ良い訳でも、少ない方が良い訳でもない。
身体を動かすことも、自分が求める時に求める分だけやるのがよい。
その時の思いを叶えることこそが、生きている本当の意味。
生きるとは、自分の思いを一つ一つ叶えてゆく過程を楽しむ、ということだ。
眠いと感じたら眠ること。
食べたいと思ったものをその時に食べること。
走りたいと思った時に走ること。
それらすべてが生きている意味であり、生きている証である。
犬も猫もハムスターも、純粋にそれをやっている。
もっともやれていないのは人間だけ。人に生まれることは、本当はもっとも不自由なことに、気がついていないのは人間だけである。
※ひとつまえに書いた自分自身の気づきから引き続いて降りてきた、久しぶりの自動筆記になります。