自分がこの世界をどんな目で見ているか
最近、動画配信をよく見る。
テレビと違って、無数のコンテンツから選び放題なため、普段自分がどんな動画を見ているかで、自分が今、何に興味を持っているのかが、あからさまに解ってしまう。
私が好んで見ているのは、物事の真実を検証している動画。
圧倒的にもう、それ。
○○は本当に身体にいいのか
○○はどんな意図でつくられたのか
そんな情報系動画が、めちゃくちゃ好きなのだ。
それと並んで好きなのが、メイクアップ動画。
それも、男性が男の娘になってしまうような、変身もの。
男性が、めちゃくちゃ可愛い女の子顔になってしまう奴は、夢中で時間も忘れて観てしまう。
私自身も、元レイヤーだったりするので。
変身というか、非日常というか、
そういうものが好きなのだ。
同じ変身物でも、アニメのセーラームーンとか、特撮のゴジラが第1形態から第4形態に変わるとか、仮面ライダーやウルトラマンが変身するとか、そういったものにはさしてトキメかない。
コスプレとかガチの仮装とか、
男性が可愛い女の子に変身するとか、
宝塚歌劇団のような、女性が麗しい男性に変身するとか、
そういうものが、好き。
一体何が違うのか。
私が好きな世界には、戦いの要素や善悪のジャッジは不要という事。
正義のヒーローに変身して、悪をやっつける。そんな世界観には、あんまり魅力を感じない。
どちらかと言うと、進撃の巨人や美女と野獣みたいな、正義も悪も紙一重。みたいな物語の方が好き。
美女と野獣の物語と、進撃の巨人の物語って、そう言う部分が似ていると思う。
物語の冒頭、野獣はヒロインのベルにとって 悪い存在 だった。
父親を助けるため泣く泣く野獣の元に行ったけれど、高圧的な野獣に反発した。
だけどベルは、ともに暮らすうちに野獣の中に人間の面影を見るようになる。野獣は、上っ面しか見ていなかったかつての王子だった自分自身の愚かさゆえに野獣にされ、上っ面の奥の心を見ようとするベルに救われていく。
野獣に無理矢理攫われたベルを助けるために、野獣を討ちに来たガストンは、通常であればヒーローの筈だ。
だけどこの物語では、ヒロインを救いに来た彼はベルにとって、野獣を倒そうとする悪役のポジションに置かれてしまっている。
進撃の巨人もそうだ。主人公の世界を襲った巨人は、物語冒頭では一方的に憎むべき悪い存在として描かれているけれど、物語が進むにつれて彼らにも、彼らの事情があると言う側面が描かれ、世界観はグルリとひっくり返り、もう何が普遍的な悪なのかはまったく判断できないのだと言う状況にある事が解ってゆく。
※まあ、言ってしまえば元凶は初代フリッツ王だった訳ですが
自分が好んで見ているものは、一見趣旨のバラバラなものだと思っていたけれど、こうして好きなものを並べてみると、浮かび上がってくる法則性がある。
そう、私は世界に二面性、多面性を見る事が好きなのだ。
これは身体に良いとされているけれど、本当にそうなのか。実はそんな触れ込みのものの中に、悪い側面が隠されたものを見つける時、この世界の奥深さを感じる事になる。
いかつい男性が可愛い男の娘になる姿に、人間の容姿が持つ無限の可能性を見つけてトキめく。
普段とはまったく印象の違う自分の姿を鏡の中に見た時に、自分自身の未知なる姿を知る。
物事が一側面に固定されておらず、いろいろな様相を見せている事。
そんな様子が、何より私の心を掴むのかもしれないと、動画の閲覧履歴を見るたびに、好きな世界観について思いを馳せる時に、そう感じる。
私はこの世界に、万華鏡のように複雑に織りなし姿を自在に変幻させる美しさを見ているのだろう。