見出し画像

かいま見るもうひとつの人生を

住む家について私は悩んでいた。

都心部に近い家は水がとてもマズイ。
その代わり、交通の便もそれなりに良くて何より小さな虫しかでない。

田舎の家は地下水がとても美味しくて、身体の調子がとても良くなる。
その代わり、不快害虫がとても巨大でちょいちょい現れる。

どちらに居ても、それぞれの利点と難点に悩ましい。


そう思っていると、ふと思い出した。

お父さんが若い頃に住んでいた家があるじゃないか。と。

その家は、都心にも田舎にも近くて昔ながらの間取りの2階建てだ。
ブロック塀に囲まれて庭もあり、長らく無人なため少し埃っぽい。
安っぽいカーテンが窓を開けるとヒラヒラして、洗濯物を干す横長のベランダがある。

その家は、何故かずーっと我が家で所有している。
お母さんは寄り付かないけれど、私はその家の間取りをよく知っている。


そうか、私があの家を綺麗に手入れして住めばいいんだ。

そう思ったということは、あの家は地下水が出るのだろう。

古びた家だけれど、モノはそんなに多くないからすぐに片付けられそうだ。




そう思ったところで、目が覚めた。

また、あの家が夢に出てきた。


お父さんが若い頃に暮らしていた、という設定の家は、何度となく私の夢に出て来ているので、夢の中の私にとっても馴染みの家だ。


そう。
私は夢の中で、ちょくちょく

あの家を知っている私

として行動している。

同じ夢を見るのではなく、様々な情景を体験している中にあの家が出てくる。

ある時は、あの家のベランダに干していた洗濯物を、雨に降られて慌てて取り込んでいたり。
ある時は隣家の人とベランダ越しに話していたり。

あの家は夢の中でも私の住まいではなく、あくまでお父さんが若い頃に暮らしていた家という設定になっている。


実際の父は戸建てに一人暮らしをしたことなどないので、そんな家はこの世界に存在しない。
あくまで私の夢の中での、おなじみの設定なのだ。

あの家が出てくる夢の中の私はいつも同一人物で、あの家のことを当たり前に知っている。

こんな夢を見る人は、他にもたくさん居るのかな?