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粥占神事がどんな風に当たるのかを考える

最近地面がちょっと揺れました。
そう言えば、私の実家の神社では毎年3月の祈年祭にあわせて、粥占神事をします。

粥占神事とは、旧暦節分の頃に炊いたお粥を神前に納め、祈年祭に合わせて取り出し生えている黴の状態で1年を占うというもの。

うちの神社で占う範囲は、肥前肥後筑前筑後。今で言う佐賀長崎熊本福岡。


旧暦節分と言えば立春を指しますので、春にお粥を炊いて気象などの影響を粥に観る。自然とともに生きていればこそ、そこに自然が映されて今年がどのような年なのかを窺い知ることができる。

占いは統計と言いますが、これもまさに古来の叡智を黴に観るものだと思います。


さて。
今年の地震はどう出ていたのかというと。


粥占紳結果票

地震は、見ゆ。

これは、三段階の中間。◯△✕の△。

つまり、起きないこともないけどそんなに酷くはない。
確かに今回も、先に書いた範囲の場所はそれほど酷く揺れてはいませんでした。


福岡西方沖地震のときは「大いに見ゆ」とでてましたから、あんな地震はこないよ、ということです。


ちなみに流行病は、少し見ゆと書いてありますが、これはまぁ殆ど出ませんよということ。

ちなみに、火災や事故は大いに見ゆと書かれています。
そうです。
ここから読み解けることは、

今年は人々一人一人の心の持ち方で、いくらでも変えてゆける年ですよ。

ということ。

天災はあまり起きない。
人災だけが多い、と出ています。

粥占神事は創建の1300年前から続いているもので、項目も時代により形を変えながらもほぼ近年は変更されていません。

人災の項目だけが大いに見ゆと書かれていることから、読み取れるものが多くあるのだと思います。

※粥占神事には私も立ち合っています


一人一人の行い如何で今年の運勢は変わる。

それが今年の粥占神事から読み解けることなのだとしたら。

もしも今年、天災による大災害が起きたように見えたとしたら、それの本質は人災なのかもしれません。


ここに書いたことは私の個人的な粥占結果の読み方なのですが、自分自身がどんな世界で生きてゆきたいのか。

ニコニコしながら周りの人と楽しむ生き方なのか。
与えられた恐怖に警戒しながら怖い怖いと生きるのか。

それがそのまま具現化するのが今年なのだとしたら。


そんな風に想像してみることも大切なのかもしれないと、そう考えています。