はるか@躁鬱と生きる

社会人9年目。 躁鬱病(確定診断:2017年11月) ADHD(確定診断:2017年11月) パニック障害(確定診断:2022年7月)

はるか@躁鬱と生きる

社会人9年目。 躁鬱病(確定診断:2017年11月) ADHD(確定診断:2017年11月) パニック障害(確定診断:2022年7月)

最近の記事

ずっと、あなたと

私には大切な同期がいる。 同じタイミングで今の会社に入った男性だ。 年齢はほぼ一回り違うが、同期なのと役職が同じなのでタメ口というちょっと変わった仲だ。 「俺、やめるんよ。部長にはもう言った」 そう聞かされたのは先週のこと。 驚きはしなかった。 彼の限界が近いことはよく分かっていたから。 彼の部署の部長は厳しいことで有名だ。 もちろん理由あってのことではあるが。 もともとは私もその部長の配下で仕事をしていたから、部長の厳しさも知っていた。 自分にも他人にも厳しい。 そう

    • 私の生き方

      どうも、追突事故にあって死にかけていたはるかです。 それはそれはひどい事故でしたね…… 身体のあちらこちらが痛みます。 リハビリしながら仕事をするというのも大変ですな… 最近はリハビリに週に2回も通っているせいか、圧倒的に時間が足りなくて残業の嵐。 毎日最終施錠をしています。 ちなみに昨日施錠の手順を間違えて警備員が駆けつけてきて、大変に申し訳ない気持ちになりました。 前置きが長くなりましたね。 最近偉い人に「マネージャー目指す気はないか?」と言われました。 ないです

      • 後悔の数

        前回書いたSさんの話は1回飛ばします。 どうしても今日書きたいことがあるので。 私の会社のデスクには2つのファイルがある。 1つはクライアントと交換した名刺を入れておく赤いファイル。 もうひとつは、退職した後輩の名刺を入れておく青いファイル。 退職の意向を受けて最終出勤日がくると、退勤時間に貸与物品の回収がある。 リストを見ながら退職者と役職者で物品を照合してすべて揃ったのを確認して終わりだ。 返却する物品の中には名刺も含まれているが、私は退職する人の名刺をこっそり1枚抜

        • 私とSさんの話

          一昨日、とある人に会ってきた。 今の会社を受けに行った時に面接をしてくれた方だ。 便宜上、Sさんとする。 2020年の10月に私は今の会社の面接を受けに名古屋に向かった。 その時Sさんは全国の課員をまとめるかなり偉い役職に就かれていた。 Sさんが私に内定を出してくれたからこそ、私は今の会社で働いているのだが、私が入社して3ヶ月後あたりにSさんは会社を去っていった。 それから約2年が経って、その時の上司からSさんがうちの会社に戻ってくると聞かされ、私はとても驚いた。 辞め

          思考できない

          ここ数週間、ちゃんとした言語でものが考えられない状態が続いている。 言語でものが考えられないから、なんにも書くことができないのである。 いつになったら治るのかわからない。 気づいたら涙が出ていて、消えてなくなりたくなっている。 毎日毎日そんなことを繰り返してる。 どうしたらまともにものを考えられるようになるんだろう…… いい方法があれば教えてください。

          別れても好きな人

          私には毎日思い出す、大切な人がいる。 もう会うこともない、別々の人生を歩んでいる人だ。 13歳で出会って、最後に会ったのは26の時。近づいたり離れたりしながら、私たちは13年の時を重ねた。  もう会わないと心に決めても、偶然会ってしまったり、友達の友達がその人みたいなことがあったり、なにかと切れない縁だった。 この話は詳しくは別の記事で書こうと思っているので今詳しくは書かないが、人生の中でも不思議な縁を感じさせるような人だった。 私はその人のことがとても好きだったし、

          私は泣いています

          タイトルは昔の有名な歌ですが、今私は泣きながらこれを書いてます。 おかしいところがあったらごめんなさい。 ベッドに入って電気を消して寝るところですが、急に不安感や孤独感に襲われて涙がどばどば出てます。 わかってる。 人は生まれてから死ぬまでひとりだよってこと。 でも、ひとりと孤独は違うよって思うんだよ。 私は孤独だと思う。 居場所なんかどこにもなくて、死んでも誰も悲しまない。 会社だって私が死ねば「めんどくせえな」って思うだけだし、友達もいないから誰も私が死んだこ

          酒と薬とモブ

          「無理は必要な時があるが、無茶はダメだ」 これは私が社会人1年目の時に、当時の上司に言われた言葉である。 私の投稿が数日空いたのは、この「無茶」をしたからに他ならない。 自業自得なのでもう誰のせいとかではないのだが、ここ数日私はかなり怠惰な生活を送っていた。 というより、送らざるを得なかったのである。 鬱が進んでしまい、何もかも嫌になった私はコンビニでお酒をたくさん買って飲みながら歩いて自宅まで帰った。 正直、何本飲んだのかは覚えていないのだが、正気に戻った時にキッチン

          死と孤独と足枷

          31年も生きていれば、恋人がいたことくらいは人並みにある。 もちろん好きで付き合っていたし、楽しい思い出もたくさん作ってきた。 結果的にお別れした恋ばかりだけれど、ともに過ごした時間に感謝している。 とはいえ、恋人がいた時間でも私は「死にたい」と思うことがあった。 それはもちろん恋人には言わないが、恋人がいるからといって「死にたい」という気持ちが薄まることは決してなかった。 そういうとき、恋人は死ぬ足枷となって私を縛り付けてしまう。 曲がりなりにもお互い好きで交際してい

          「つながらない権利」の代償

          今日は休みだったのでなにか有意義なことをしようと思ってはいたのだが、案の定思っているだけで終わってしまった。 どうにも体がだるくてベッドに横になっていたら夕方頃まで眠っていたらしい。 枕元に放り出していた会社貸与の携帯を見ると鬼のように連絡が来ていた。 ため息をついて重い頭を持ち上げてひとつひとつ確認していく。 折り返しが必要なものは折り返しをして話をしたりなどした。 どっと疲れた。 休日くらいは仕事から切り離されたいと思う。 最近の言葉で言えば「つながらない権利」を行

          「つながらない権利」の代償

          再生

          君と淋しい風になる

          今日はこちらの歌をお届けするだけにしようと思います。 さみしさも、孤独も、ひとりでいてもふたりでいても変わらないものなのかもしれません。 私の大切な誰かに届きますように。

          再生

          龍になれなかった飛魚

          子供の頃に読んだ本(名前は忘れてしまった)にこんな話があった。 中国の話で、父母共に龍の子が父が龍、母は人間の間に生まれた異母弟にこんなことを言っていた。 「私の紋章は龍の紋章だが、お前の紋章は飛魚だ。なぜだかわかるか?それはお前が龍になれなかった哀れな飛魚だからだ」 この背景にある話としては、飛魚は龍のように空を飛ぶことは出来ず、かといって完全な人にもなりきれない、中途半端な生き物であるという伝説の話だ。 私は今、一般枠で働いている。 手帳を持っていないからだ。 医

          龍になれなかった飛魚

          暴れる私と蓮の花

          ストレスが爆発しすぎて、自宅で暴れ散らかした。 泣きながら手当たり次第にものを倒し、投げつけ、疲れたところで手が止まった。 私の部屋は強盗に入られたかのような状態だ。 暴れ散らかしたところで片付けるのは私だ。正直どうでもいい。 散らかっていたところで生活にはなんの支障もないのだ。 ルームシェアの相手がいない間に暴れたので私の部屋に入らない限りはわかりゃしないさ。 根無し草の適当人生だ。 たいしたことはない。 話は少し変わるが、前職で大変お世話になった先輩からLINEが

          だれかと暮らすこと

          今日は短めですが、ご容赦を。 なぜ、短いかと言うと特に何も考えることのないまま一日が終わったからだ。 仕事でクタクタに疲れてそもそもの思考能力が停止しているのである。 今日は退勤後サイゼリヤに寄って、モッツァレラとトマト・ドリンクバーを頼んでぼんやりと過ごしてみた。 私にとって自宅はあんまり落ち着く場所ではない。 実家ではないがルームシェアをしているので、常に自分以外の誰かが家にいるせいかどうしても家に足が向かない時があるのだ。 そういう時は近所のサイゼリヤで時間

          だれかと暮らすこと

          追い詰められた

          基本的には軽いうつ状態なのがデフォルトな私であるが、ガーンと落ちきってしまった。 頑張ってやめていた自傷行為も復活しそうなレベルだ。 特になにかがあったというわけでもないのだが。 とにもかくにも「死」を考えるほど視野が狭くなっている。 仕事中も、通勤中も、道を歩いているときも、常に死ぬことが頭にある。 これは別の記事でいつか書くつもりではいるが、私の父は自死遺族である。 父は高校生の時に母親(私の祖母にあたる)を亡くしている。 年の暮れに失踪し、年明けに地元から離れた

          完璧な人はいないという話の欠点

          「この世界に完璧な人はいないから大丈夫」という言葉は、落ち込みやすい人なら誰でも一度はかけられたことがあるのではないだろうか。 私はこの言葉を聞くと辟易としてしまう。 完璧な人はいないから少しくらいの失敗は大丈夫、とかそういうことなんだろうとは思うけれど、この言葉で立ち直れる人はある前提を満たしている気がする。 確かに、すべての人から好かれるような人はいないし、いいところだけで構成されている人はいない。 どんな人間にも欠点は存在する。 しかし、その比率は人によって異なる

          完璧な人はいないという話の欠点