嫌悪も怒りも憤りも、私の宝箱。
嫌な気持ちって、要らないものなんだろうか。
別にその人は悪くないのに、なんか嫌な気持ちが湧いてくる。
そんなこと、ありませんか? 私はときどきあります。
もちろん、人じゃないときもある。
例えば、新しい服を買うとき。
めちゃくちゃタイプのデザインなのに絶妙に好きじゃないカラバリしかないと、なんだか憤りを感じる。「なんでや〜涙」と。
暴力だったり、道徳性に欠けるようなことを受けて感じる嫌な気持ちは、
もちろん無い方がいいと思う。
でもそうじゃなくて、「誰も何も悪くない」ときに感じる コレ 。
「モヤっと感じるのは、私だけかも。」
「他の人は嫌に感じないだろう。」
そうなると、"コレ" について誰かに話さなくていいやと思っていたし、
ポジティブな気持ちに触れると、"コレ"は要らないもののようにも思えた。
でも、心の奥で、要らないものにするのはなんだか悲しいなと感じていたのかもしれない。
何を期待するでもなく、なんとなく、コーチングセッションという安心安全な場所で、"コレ"の一つを出してみた。
「〜なことがあると、すごく嫌な気持ちが湧いてくるんですよね」
そんなような言葉から始まったセッションだった。
その時のコーチとはすでに信頼関係があり、私の"コレ"を否定も肯定もせずに、ありのままに、そして大切に、ともに見ていってくれた。
そんな時間は、いつも私を全く予想しなかった場所に連れていってくれる。
セッションが進んでいくにつれ、
最初に出したことからはすぐに結びつかないような「私の大切なもの」が顔を出し始めた。
やっと言葉にできた感じがした。
やっと輪郭を手に入れて、私の中から、外へ、生まれた感じ。
嬉しかったなぁ。
.
.
.
実は、今回セッションで話した"コレ"は、すでに自分の中で一つの発見があった。
でも、上に書いたように、コーチと対話していくとまた違った発見をしたのだった。
まるで中身の見えない一つの箱から、別のものを取り出したような感覚。
そして取り出したものは、どれも私にとって大切なもの。
.
.
.
嫌悪・怒り・憤りって、な〜んか嫌なもので出したくないし、なんなら感じたくない、要らないのではと思うときもある。
けれど実は私の大切なものが入っている宝箱なんだと思えた。
それは中身が見えない、一見すると黒い箱だけれど、
手を突っ込んでみたり、逆さにして振ってみたり、
中から飛び出てこないかな なんて、ただじっと待ってみたり。
そんな風に、いろんな方法で箱の中身に期待することができる。
だから私は、
ときどき現れる"コレ"を、黒い箱に見える"コレ"を、
私の宝箱として大切にしたい。
と、今、思っている。