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新米女性管理職 はじめましたvol.5 | 行動の原動力が"怒り"のわたし〈からかい、冷笑してくるオジサンへの対処法〉
1.〈怒り〉は〈理不尽〉に対して効果的
よく、アンガーマネジメントについて書かれた本を目にする。
何冊か読んだが、どれもわたしには馴染まなくて読むのをやめた。
「怒りを感じたら6秒数えろ」「深呼吸しろ」とかいう文言をいつも目にするのだが、わたしから言わせりゃ、6秒数えるぐらいで納まる怒りは怒りじゃない。
怒るという行為は心身ともに疲れさせる。
だから怒りを原動力にするのはあまりおすすめしない。
だけど、このホモソーシャルなヘルジャパンーーおとなしそうな人間に強く当たるクソみたいな奴や、黙ってるのをいいことに調子に乗って高圧的な態度でベラベラ喋る上の人間たちのいる社会においては、瞬発的に言い返したり、デカい声で聞き返すことが効果的だったりする。(もちろん怒鳴ったりはしない)
そうすればオジたちは大体曖昧に笑って濁す。
「まぁ上手くやってよ」「それでいいんじゃない?」だって。
ばかばかしい。
後退りするくらいなら最初から黙ってろ。
当然、無闇矢鱈に怒ったりはいけない。
〈理不尽に対しては怒り返す〉。
これが鉄則だ。
2.「怖い女」とからかってくるオジサンは、我々女性を脅威だと思っている
〈理不尽〉なことの一つに、ただ反論意見を言っただけなのに、「そんな言い方するなよー」「こわっ」などとのたまってくるオジサンがいる。
考えてみて欲しい。
反論したのが男性だったとしたら、そんなこと言われるか?
それは、〈からかう〉という構図で、こちらの言論を抑え込もうとする、無意識下の最悪なホモソーシャル仕草だ。
根底には、〈女性差別〉が横たわっている。
〈女性差別〉と言われると「言い過ぎじゃない?」と首を傾げるかもしれないが、紛れもなくそれは差別意識なのである。
我々女性は、男性と同じように「ノー」を突き付ける権利を持っている。
理不尽には抵抗するし、権利を主張する。
だがくそったれな家父長制がそれを抑圧し続けてきた。
普通選挙法の制定は1925年。
一方、女性の選挙権が認められたのは1945年。
我々が政治に参画するのに20年かかった。
男女雇用機会均等法の制定は1985年。
1999年に男女共同参画社会基本法が制定。
つまり我々の母親世代は、男性と同等に働く権利すら持っていなかった。
男性と女性が平等に社会に参画しましょうと決まったのは、我々が子供のときだったのだ。
もちろん、これらの権利は、時の政府が「ごめんごめん、君たちにも参政権をあげるね」と優しさや申し訳なさで差し出してきたわけではない。
数多の女性たちが声をあげ、行動を起こし、これらの権利を勝ち取ってくれたのだということを忘れてはいけない。
補足すると、上記の権利の源流である1789年のフランス革命による人権宣言は、なんと市民権を持った白人男性だけが対象だった。
我々女性は、途方も長く戦っているのだ。
そしてこれらの権利は、戦わないと得られない。
これは避けられない自明の理だ。
この国は、特に近代以降、女性のありとあらゆる権利を奪い、踏みつけ、家父長制や〈イエ〉制の名の下、家父長たちが所有し続けてきた。
寧ろ我々の権利はないものとさえ扱われてきた。
我々女性が権利を認められるのは、男性の所有下に入っているときだけだ。
幼いときには父の庇護の下。
成人してからは夫の庇護の下。
年を取ってからは、息子の庇護の下。
"その女性は、夫(もしくは父)という男性の庇護下にいるから、相手男性の〈所有物〉であるその女性に害を成してはいけない。"
本当に、無意識下に、多くの男性はそう刷り込まれている。
よく、ハラスメント系の失言をしてしまった政治家や芸能人の映像が流れた後、「その女性が上司の娘だとしたら、そんなことを言えるか考えてみよう」と嗜めるコメンテーターがいる。
クソみたいなコメントだ。
その女性が、誰の娘でなくても、誰の妻でなくても、加害の可能性のある言説や行動は取ってはならない。
なぜならその女性は、男性たちと同じ、人権を持った一人の人間だからだ。
令和の時代に夫婦別姓を認めないのがいい例だ。
オジたちは、我々が夫と別の姓を選択することに脅威を覚えている。
夫の姓を選択することで、夫の〈イエ〉に縛り付けられていたものが解放される。それを恐れている。
"女は結婚したら仕事をするな、〈イエ〉に入れ。
もしくは仕事はしてもいいが、パートやアルバイトまでにしてくれ。
なぜなら家事育児は女の仕事。
子供が成人して自身が定年退職しても、家事はお前の仕事。
年老いた自分の両親の介護もお前が主だってやるのが当然"
ーー根底は全部ここにある。
共働きで、子供を持つ女性たちに問いかけたい。
うすらぼんやり、子供の突発的なお迎えや、発熱などに伴う病院対応、看病のための休みを、あなたが取ることが多くなっていないか?
出張や飲み会を断ることができないとパートナーが言うので、あなたが会社の同僚や上司に頭を下げ、時折聞こえてくる悪口に耳を塞ぎながら、肩身を狭くしてお迎えのために小走りで会社を出ていないか?
"なぜ"。
そう、なぜだ。
我々と男性たちは対等だ。あなたとパートナーは平等だ。あなただけが肩身を狭くする必要はない。本来的には企業や政府が制度整備をするべきだが、それでも、あなたとパートナーが2人の間に設けた子どものために、あなただけが犠牲になる必要はない。話し合い、落としどころを見つけ、合意の上で負担を均等、もしくは均等に近しくすべきだ。
社会構造には大いに問題がある。
だが、そもそも多くの男性たちが、無意識で、自分の社会性の方が優先されるべきだと考えている。
無意識なのだ。
これが、アンコンシャスバイアスや、ジェンダーバイアスといわれるものだ。
これらはハラスメントに繋がりやすい。
会社でわたしが言われてきた数々のハラスメント言動を思い返せばそれは明らかだ。
結婚する前は「年取る前に早く結婚した方がいいよ」。
結婚したら「Ayaちゃん、早く帰って旦那さんに夕飯作らなくていいの?」「早く子供作った方がいいよ」。
……これらは本当に私が言われた言葉だ。
しかも同一人物一人じゃない。
何人もに同じようなことを言われた。
今、平成何年だっけ?
……いや待て令和だよ!!
と脳内ツッコミしたぐらい衝撃だった。
いつもなら反射で言い返すわたしが、二の句を継げずに絶句した。
あまりにハラスメントド直球すぎて。
いや、こっちは22:00まで残業してるのに、なんでわたしが夕飯なんて作らなきゃならないんだ。
自立したいい大人なら、自分の食べる夕食ぐらい自分で作る。
作れないなら買ってくる。
なぜ、わたしが、夫の世話をする〈ケア要員〉としてカウントされなきゃいけないんだ?
つーかこの働き方を見てたら、そんなこと欠片も言えなくないか!?
我が家はDINKS共働き、かつお互いハードワーカーなので、そもそも夕飯を一緒に食べることを前提に生活していない。
お互い早く帰れる日は、二人で料理して食べもするし、帰り道で落ち合って外食もする。
一方が早く帰れる日も、別に料理当番を課したりしない。
自分で食べる分は自分で確保する。
早く帰ったほうが余分にご飯を作ってくれていたらラッキー! ありがたく頂くことにする。なんなら残りを次の日のお弁当に持って行かせてもらう。
オジたちにこの話をすると大変びっくりされる。
「将来離婚されちゃうよ」なんて言われることもある。余計なお世話だし、そもそも自身の夕飯も自身で完結できず、パートナーに依存するような人間はこっちから願い下げだ。夫がそういう人間だったら、端から結婚していない。
オジたちには理解できないのかもしれない。
しかしながら、わたしはその理解できないと放棄する行為を、価値観のアップデートを諦めたことと同意義だと思っている。理解しなくてもいいが、尊重は絶対に必要だ。相手の価値観を踏みにじる行為を平気でするから、ハラスメントや軋轢に繫がる。
ひいては組織が衰退する。少なくともビジネスマンである彼らは、なぜそれがわからないのだろう。目まぐるしく変化していくこの社会においては、価値観のアップデートができない人間は、ビジネスマンとして三流以下だ。わたしが害悪オジたちを嫌悪する理由はここにもある。成果結果を出さないオジたちは、さっさとその席を空けた方がいい。
そんなオジたちにとって、自立し、主張する我々は恐怖の対象だ。まして反対意見を主張してくる我々は、更に脅威ともいえる存在だ。
彼らは、彼らの地位と権力を脅かされることを恐れている。
大きな声を出して、ふんぞり返ってベラベラ喋ることで大きく見せてきた自分が、時代遅れの、矮小なオジであるという真の姿を晒すことになるからだ。
努力や研鑽を忘れ去り、馴れ合いと忖度で組織に迎合し、不健全な組織の形成に一役買って生きてきたことをあらわにされる。
自身の夕飯も準備できない。ワイシャツのアイロンがけも、ましてクリーニングへ出すことも自分でしない。そういうちっぽけな本当の自分自身を直視させられることになる。
我々は、互いをかばい合い馴れ合うホモソーシャルの傲慢さを真っ向から否定し、彼らの頭上をひょいっとまたいでいく存在だ。
だから彼らは大きな声で威圧してくる。
からかい、目配せし合い、冷笑し、ときにはこちらと目すら合わせないことで、わたしたちの心を折ってくる。
そうして彼らにとっての脅威を排除し、不健全なホモソーシャルを維持しようとする。
上等だ。せいぜい怯えて喚いてろ。
わたしたちにとって、そういうオジたちは脅威でもなんでもない。
胸を張って、いつもよりちょっと大きめの声で話してみて。
最初は怖いかもしれない。でもチャレンジしてみて欲しい。
オジたちはあなたが怖いのだ。
だから失笑したり、冷笑したりする。
話をそらして脈絡のないことを威圧的にベラベラ喋る。
自信をもって、でもなんでもないことのように、それでいて当然のことのように言ってみてほしい。
「違うと思います」と。
そうしたら試合開始のゴング。
ポイントは、自身ありげに大きめの声で言うこと。
それから自分の目をかっぴらいて、相手の目から視線をそらさないこと。
最初はハッタリでいいのだ。
わたしたちは連帯している。
わたしたちは一緒に戦っている。
少しだけ、戦う勇気を持ってみて。
本noteは、戦い続ける〈働く女子〉〈女性管理職〉として、同じく〈戦う女子〉たちにお送りする、日々の奮闘エッセイです。