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自分の機嫌は自分で取る、について



私は、随分人に頼って生きてきたように思う。



辛いことがあれば友達に聞いてもらう。
助言が欲しい。
大体こういう言葉をかけてくれるだろうなーと、心の中にうっすら期待して話している自分がいる。


恋人が出来ると自分の理想の関係を求めていた。
会う頻度、出かける場所、こんな時はこういう言葉を掛け合うのが普通じゃないの?など。
あなたがいれば、とりあえず幸せなのだと。


お腹が減ったら自分でごはんを作って食べるのに、

お金を稼ぐために頑張って働くのに、

頭が痛かったら薬を飲むのに、

人に頼れることだと思ったら頼って、自分の思っていることと的外れだと落胆してしまう。


私は皆の前では明るく振る舞うんだけど、家ではアレコレと考えて悩みがちで。私って躁鬱なのかもしれないと何度も思ったことがある。


病名をつけてもらった方が楽なのかな?

薬を飲むと細かいこと気にせず楽になれるのかな?

そんなことたくさん考えて生きてきたこともある。



メンタル病みやすい人って、どこかでずっと自分と他人を比べている人が多いように思う。
他の人より私は可哀想だと思って悲観的になり、
自分と同じような仲間を見つけることで安堵する。


「あなたがいれば心強い!」
「一緒に乗り越えようね!」


一時的に心は満たされ前向きになれた感覚に陥って、
あのときあなたと出会えたことで私は変われたと思う。


私自身そうやって生きてきたかもしれない。


でもそれって、全て相手に委ねていることになるんじゃ?


相手ありきの自分、になってない?



仲間はとても大事だし、これからも大事にしたいし、相談事もたくさんするとは思うんだけど、

自分をわかってくれる相手を探すんじゃなくて、

自分に的確な助言をくれる相手に依存するんじゃなくて、

同じ気持ちの仲間を探し求めるんじゃ解決しない。





自分が好きなことに熱中できる喜びとか、

自分の幸せは他人から貰ってばかりじゃなく探したいとか、

そういった自分の心が満たされるような気づきや情報を追い求めることは大事じゃないのかな?



人によって与えられた幸せほど不安定で依存しやすいものはない!




やっと自分のモノにできた、私なりの私のための言葉。


大事にすべきものは自分の気持ちで、そこに気の合う友達なり恋人なりが現れたら最高にハッピーだと思う!


ただ、人によって作られた幸せばかりで過ごしていると、それはいつまでも続かないものだといずれ気付き、
自分が辛くなるだけだと、これまで身をもって体験してきた。


自分の機嫌を取るとかそういうことじゃなくて、地に足つけて自分自身を楽しむことが、自分や周りの大切な人にとって幸せなことだと思う。


だから私は今、幸せだと感じられるのだろう。



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