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進撃の老人

このタイトルは前回の言葉の企画でわたしの父に対するイラっとにネーミングをつけたものだ。父は77歳の後期高齢者で、未だにスマホで写真を頼むと連写する。

わたしは実家に2年以上入っていない。

父は6年前に母が急逝してから、一軒家の実家に独りで暮らしている。
わたしと夫は不規則な仕事のため、息子の育児のサポートを父にお願いしたく、実家の近くに越した。住まいから実家まで徒歩6分ほど。でも入りたくない。なぜなら汚いから。2年前より2年分汚いかと思うと入る勇気がない。行って母の仏壇に手を合わせたいが、その手前の座布団の汚れが無理。母の写真は住まいに飾り、それで良いことにした。息子を見てもらう時にはうちに来てもらっている。

父はわたしを『ママ』と呼ぶことがある。

これは息子がわたしを『ママ』と呼んでいるからではなく、いつも行っているスナックの『ママ』との単なる呼び間違えで、イラっとする。父がお世話になっているスナックは近所に2店舗。A店はランチがあるので昼食を食べに、B店はカウンターのみのお店でA店が休みの日にお昼を食べたり夜はカラオケしに行っている。

父は歌が上手い。


わたしが小さい頃は『ニューヨーク!行ってきまーす』と言って毎晩お風呂に向い(入浴とニューヨークをかけた親父ギャクです)、脱衣所にカセットテープを流し歌の練習をしていた。お風呂では声が響くらしい。
その甲斐あってか今カラオケで90点以上のスコアが出る曲がなんと294曲もあるそうだ。わたしは1曲もないから羨ましい。店では50曲ごとにママが焼酎のボトルを入れてくれるそうで父が2〜3日顔を出さない時はわたしか兄に電話がくるようにB店のママには電話番号が渡されている。たまに保育園帰りに寄って、2歳の息子はリンゴをご馳走になっているらしく、常連客のカラオケを黙って聴いていたと報告を受けた。寄り道せずに帰ってほしい。

母が6年前に心筋梗塞で夜中に急逝した時、病院の控え室でタクシーで向かう兄を待ちながら父と二人途方にくれた。
控室のテーブルに葬儀屋リストと電話番号があった。
それを見て父は『あ、〇〇さんだ』と言った。
母の思いやりかなんなのかリストの一番上に書いてあった葬儀屋さんは父とスナックの飲み仲間だった。

スナックで父は『先生』と呼ばれている。

父は日本の歴史教育の研究をし、執筆や講演をし、数年前までは大学で非常勤講師をしていた。

気になると黙っていられない性格で、前に牛角に行った時『この店はユニクロと系列店なの?』と若い子に質問。困って『違います』と答えた相手に『いらっしゃいませこんにちはーの言い方がおんなじだからさ』とブツブツ
結構めんどくさい。

気になることがたくさんあるようで、昔、夫の運転で三人で静岡に御墓参りに1泊した際夫が社交辞令で『明日どうします?』と聞くと待ってましたとばかりに『〜に〇〇って石碑があるんだよね、行って写真撮りたいんだよ、あと〜で〇〇を見たいんだ、最後に、、、、。』と3箇所行きたい場所を指定された。『俺、アッシーじゃないっすか』と苦笑いする夫に父は明るく『そうだよ!』

実家には本や新聞の切り抜きが散乱している。何が大事なのかわからず手をつけられない。父にしてみれば全てが大事な資料で、動かしてもらいたくないと言う。テレビ前のコタツは本と新聞の切り抜きでお茶を置きたくてもそれらをよけないと置けなかった。2階の6畳の壁一面は上から下までびっしり本。階段にも本。本をよけながら階段を降りる。玄関にまで本棚がある。
業者に相談したこともあったが『お父様がやる気にならないことにはどうにも動けない。』と言われ諦めることにした。

言葉の企画で阿部さんから『あなたの「素敵」な人についてのエッセイを書く』というお題が出た。

素敵 自分の好みに合っていて、心をひきつけるさま。すばらしいさま。
   程度や分量がはなはだしいさま。ぎょうさんなさま。 出典:広辞苑

思い浮かんだ素敵な人の中に父はいなかったが
当てはまるとしたら、程度や分量がはなはだしい部分。
本や新聞の切り抜きがはなはだしい父のすばらしい部分はどこだろう。

父が30年前に書いた著書を初めて読んだ。

タイトルは『「御真影」に殉じた教師たち』
御真影(ごしんえい)とは戦前学校に貸与された天皇・皇后の写真のことである。明治憲法下では、この写真は天皇の分身とみなされ、「最モ尊重ニ」扱われてきた。学校が火事になった際、この写真を守れなかった校長は責任をとったり、守ろうと引き返したことで亡くなったり、そのことを美談にされたり、そのこと事態が事実ではなかったり、、、。
御真影にまつわる事件、事例の記録の裏付けを取るために、父が当事者の家族、親戚、同僚の方々に十数年をかけ少しずつ聞き書きし、言葉をまとめたものだ。

当時小3くらいだったわたしのこの本の出版記念パーティーの記憶は生ハムののったメロンと『岩本さん(←父)は実にユニークな視点で・・・』というどなたかのスピーチだ。見るからに難しそうな感じの本だったため、読んだことがなかった。

一番印象に残ったのは、新潟で、調べが進まずにいた際、地元の人に『このあたりで年寄りがいる古い旅館はどこですか』とたずね、行った宿の主人から知りたかった情報が聞け、会いたい人に会え、その家に眠っていた遺書まで発見してしまったこと。以下はあとがきの一部

聞き書きが、どれだけ歴史資料としての価値があるかという問題は残るとしても、聞き書きを省略しては時代の真実に迫るのは困難ではなかろうか。
とりわけ近現代史にかかわるものは、文献資料のみに史料価値を置くのは一面的であろう。
 そもそも、多くの人々は自己の体験を活字に手段を持たないし、あってもごく限られている。そうした人々の声や体験を落ち穂拾いのように拾って行くのも、現代に生きるわれわれのだいじな仕事にちがいない。
   文献や史料ではわずか数行でしか記していない事実が、関係者の聞き書きを進めていくと、原稿用紙数十枚になることがある。苦労も時間も、銭金もかかるけれど、この作業は未開の山野を切り開く仕事にも似て、スリルが味わえ、楽しみも多い。当事者が高齢なこともあり、聞き書きは急がなければならない事情もある。

他の著書も読んだ。
そこでは資料のコピーを電車で読んでいると隣に座った老紳士が覗き込み
「ご熱心ですね」と声をかけてきてぎょっとし黙っていると
「それは、私が書いたものですよ」と言って資料を書いた本人から名刺を出されたというエピソードが書かれていた。「わたしはここに住んでいますから、ぜひ遊びにきてください。」と言われその後、訪問する機会を得た。

週末、地域で行われていた小さな講演会というか勉強会にちょっとだけ行った。父はカラオケで鍛えた伸びやかな声で発表していた。最近の新聞の切り抜きなどで作った資料が配られた。

父は常に忙しいのだ。今までの歴史も、今日の出来事も、自分の中の違和感を探し、勉強している。家を片付けることより、気になることがあるのだろう。気になる今を積み重ねて、調べたいことが山積みで本や切り抜きが山積みになっている。その積み重ねは時には運も味方につける。新聞もデジタルで見れる時代になったが、父には紙面が大切らしい。文字のサイズや配置ということだろう。
実家はゴミ屋敷ではなく、お宝の城だということがわかった。この気持ちで父と接すれば、少しは片付けが進むかもしれない。



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