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予期せぬ場面で褒められるほど嬉しいことはない

私は、承認欲求の塊である。
「日記をつけ始めたんだ」「今日から筋トレ始めるんだ」「テスト勉強してないのに95点取れたんだ」
私は何かを始めたり、思ったより上手くいった時などに母に逐一報告する。
なぜかって?母はいつも肯定してくれるからだ。たとえ、私がなんの努力もしないで上手くいった場合でも。私はそれに甘えて生きてきた。
人類には承認欲求がある。誰しもが誰かに認めてもらいたい、肯定してほしいと思っている。
子育てにおいて、結果だけをを褒めるのは短期的にみても長期的にみてもメリットはない。どんなに結果が良くても悪くても微妙だったとしても、歩んできた道を自ら選択し、一歩一歩歩いてきたならそれを讃えるべきなのだ。
これは子育て以外にも当てはまる。

私は何かを始める時に母に言わないで始めるようにしてみた。母に言うと、へぇすごいねと言ってくれるので、なぜかそこでモチベーションがなくなってしまう。ああ、私は誰かに認めてもらいたすぎるのか、私は偉いんだと思ってもらいたいのか。プライドが高いことに気付かされる。
そして母に言わずに何かを始めてみたら、私は継続することができた。
同時に、自分で自分を褒めてあげることをしたおかげで「自分の頭で考え、自分で選んだ道を、自分の足で歩いている」ことを楽しく感じたのだ。承認欲求は自分で満たせるのだと気づくことができたのだ。

私は1年間スーパーで品出しや商品整理の仕事をしている。業務内容は誰でもできる、将来性のないものだ。しかし、私はこの仕事が好きで向いていると思っている。なぜなら、商品たちを整列させることが楽しくてしょうがない、整列しているのをみるのも好きなのだ。整列されているのをみるのが好きだから、お客様が奥から商品を取って売り場をごちゃごちゃにしていってしまうのをみると、イライラしてしまうほどである。
働き始めて半年ほど経った時、前副店長がふと話しかけてきた。「いやあ〜あやみさんが前出し(商品整理)したところはほんと綺麗だよね」と。
私は褒められるために仕事をしていなかった。でも思わぬところで、好きなことをしていただけで褒められた、認められたのだ。その時の感情は忘れられない。心の底から嬉しく、エネルギーが湧いて出てきたのだ。
また別日に私はいつものように、ヨーグルトの前出しをしていた。そしたらなんと!女性のお客様が「すみません、いつも綺麗に商品が並んでいますよね。すごく綺麗ですね」あまりに急な出来事で私は言葉が出なかった。何を言ったらいいのか、頭が回っていなかった。夢中になって仕事をしていたからだ。でもその日はとても幸せな気持ちだったことを覚えている。

外の世界に出ることは本当に勉強になる。自分が気づいていない長所に気づける、自分のここは治したい、改善したいと思うことが山ほど出てくる。一年前の私の第一歩を、私は褒め称えたい。
「吃音持ちの私がスーパーで働くなんてありえん、怖いと思っていたのに、とにかく何か始めないと何も変わらんぞと思って応募した私、めっちゃすごくね?!その一歩のおかげで私は長所にも気づけて、改善したいことも見つかったよ、ありがとう、これからもいろんな道歩こうね」と。

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