16年間の海外生活を経てまた高島平に戻ってきた話+母親との本音トーク
こんにちは。
昨日もう一回引っ越しをして、保育園〜小学生まで住んでいた高島平に戻ってきました。リフオームを経て新築マンションみたいに綺麗になった家に僕の子供の頃の痕跡は跡形もなく、記憶の中に生活も戻ってきません。
子供の頃に壁に書いた落書きや、ふざけて壊したクロスとドアの角は工事で完全に消え、小学生の視線から見たらとても広い家のリビングといくらジャンプしても届かない天井。それが、今となってはリビングも窮屈に見え、手を伸ばせば天井にも手が届くぐらいになりました。
そして、まだ円満な家庭で、毎日の様に両親に「今日は何時に帰ってくるのー?」と電話をしていた生活や、週末には公園に連れて行ってもらった子供の頃。今では、両親はとっくの昔に離婚、そして新しい生活を始めており、僕は一人でこのマンションに住んでいます。
今日、片付けもほとんど終わったので、完成した家の写真を母親に送りました。そしたら、母親もとても喜んでくれて、電話で「まさか家がこんなに綺麗になるなんて、鍵の引き渡しからリフオーム、そして引越しの後片付けまで、よく一人で頑張ったね」と。
そして、高島平への再引っ越しは僕の日本生活において、新しいスタート地点だとも母親は語りました。母親曰く、「私も君のお父さんも、幼少期からそばにいてやれなくて、一人でいろいろ辛かっただろうね、この事は今でも悪いと思っている。親として、一緒に成長を見守る事はできなかったけど、最低限な生活に必要なもの、そして必要な時には経済的援助はずっと怠ってないつもりだから、生活面ではまともな生活は与えたつもりだよ。そして、日本にいる間、住む家と家賃などは心配しなくていい。しかし、これからの生活と日本でも人脈を築き上げるのは自分自身で、これは親としてもどうしようもできない。根気よく、周りへの気配りも忘れずに、コンビニのバイトと大学院の準備をしっかりやりなさい。大学院に受かったら君のお父さんとも相談して学費は二人で出すから、そこでしっかり日本での人脈を築き上げ、名門校を出て日本社会でもしっかり歩める様になる事。」
母親は数年前に会社を立ち上げ、それからなんとか経営を頑張っているのですが、「これから自分の道を進むといいわ、会社を継ぐだなんて考えなくてもいいし、私も考えていないw 定年退職したら会社を他人に任せて人生を楽しむつもりだったからw」との事。そして、母親は自分の今までの人生を振り返り、人生の教訓も語ってくれました。例えば、人脈の重要さ、目標を定めて一歩ずつ頑張る事、壁に当たっても立ち上がる事、諦めない事。普段はあまり話す事もなく、電話もかなり手短に話すのですが、今日は熱心に講義をする教授みたいに、止まる事なく嬉しそうにペラペラと話していました。
普段は親と物理的にも心理的にも距離を置き、必要最低限以外の会話もあまりしなかったのですが、実は考えている事は一緒で、母親も忙しいながらいつも僕のことを考えてくれて、生活面でもサポートをしてくれている事を改めて実感しました。
日本での「ホームレス生活」からの脱却と日本生活の再スタート。そして、ただいま、高島平。
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