26○父、いなくなる


弟が到着した。

ジャージで葬式をあげるのを、
弟は、私を酷く怒った。

「じいは、肌が弱いから」
と綿100%の着物を弟が選ぶ。

私が全て決めたので、後から文句を言われない様に、先にビデオを見てもらう事にした。

弟、義妹、夫、私でビデオを見せて貰った。

四人で、泣いた。

ゆかんの儀式も、弟がオーダーした。

花*花会館は、何人かのスタッフの方が音楽に合わせて、笛を吹いてくれた。

それが、何とも切なかった。

皆で体を清めて、柄杓で水をかけた。

父が着物を着て、布団に寝ていると、
知らない年配の方が、秘書を連れてやって来た。


父の顔を見て、
「井上ー!井上ー!」
と悲痛な声で泣いていた。

秘書の方が、
「我が会長は、お父様の大親友でした。」


と教えてくれた。

そして、その会長とやらが、
茶色の封筒を、弟に渡した。


秘書の方が「金庫に入れてください!」と言うので、金庫に入れた。

会長はひとしりき泣いた後、
「棺桶に入る前に間に合って良かった」と泣きながら言った。


私と弟も、その姿に涙が出た。

「井上が棺桶に入るのを、見たくないから。」
と言って帰られた。
弟と感謝のご挨拶をして、
見送った。


後で弟と、金庫を開けると、茶色の封筒に百万入っていた。


弟はビビって、お金を銀行に入れに行った。

そして、会場から、私達が呼ばれた。

会長は、ミシンの会社の会長で、全支部のお花を、
会場に、入らない程、注文してくれていた。

父が、母に、自分の親友が、
自分の会社の重役ポストに着いてくれ❗
と誘ってくれていると言う話は聞いたことがあった。

給料も、何倍も増えるのに、
何故行かないのかな?
と不思議だったが、

父が定年までいた会社の社長が、
父の会社が、倒産した時に、
大金を借してくれてて、
その恩を忘れられなかったのだろうと、


家族は誰も口出ししなかった。

親友に、甘える事が、対等の友人となれないことも解った上で、断ったのだろう。

でも、父は営業力があったので、力にはなれると、思っていたのに、何故か、親友の何度のもお誘いをお断りしていた。


大親友と言われても、私と弟は、初めてお会いしたので、花を置く順番に迷ったが、


会長のフルネームの花を一番前に置いた。

ドンドン花が届いたけど、知ってる人の花を前の方に並べて貰った。

仮通夜の日の事は覚えてない。

叔母が、知らせを聞いて、
一人で一足先に駆け付けてくれたことしか覚えてない。

叔父と従兄弟は、後から来てくれた。

通夜の日は、時間前から又、
沢山の方々がお線香を、あげにきてくれた。

ヨハネの父の担当の3人の方も来てくださった。

通夜の挨拶は私がした。

皆様に、感謝の気持ちを伝え、
看取る時間が短くて、あっという間に終わった事を伝えた。

葬式の日、又沢山の方々が来てくださった。

父の幼馴染に、父へのお別れの挨拶をお願いした。

何と言ってくださったか、覚えてないが「井上ー!井上ー!」と泣いていた。

そして、父のビデオが流れた。

四人の孫たちは、守山直太郎の(サクラ)をビデオに合わせて歌っていた。

それを、聞いていた皆様は
父の事が、大好きだった
子供たちの気持ちを思ってか、
涙していた。

四人分の小さい花束💐を
用意してもらい、四人で並んで、献花をした。


棺桶に、色紙を入れる時、
弟の文章が見えた。

「父は、お前の好きな様に生きろ!
何かあれば、その責任は全て俺が取る!
と言う言葉があったので、今の自分があります。」


と書いてあった。

私は、ビックリして、
父にそんな言葉をかけて貰えた事が無いので、父は心底弟を信じていたのだろうと思った。


それに比べて私は、
母が、生きてる時に、夜中に
「娘は詐欺師の才能があるから、気をつけろ!」


と言っているのを聞いてしまったので、
ふに落ちなかった。


葬式の挨拶は、夫がした。
泣きながら、父との楽しい思い出を語っていた。

棺桶に、父への手紙、お花を皆様が入れてくれた。
父の好きだった服、財布、現金、
色んな物を、入れた。

棺桶を閉めてから、
最後に、
父の大のお気に入りだった
義妹が大きい花束を持って、
「じいちゃん、ありがとう。」
と泣きながら、献花をしてくれた。


出棺の挨拶は、弟がした。


今回の霊柩車には、子供達を、
乗せてあげるつもりだったので、
大人は私と弟が乗り、
写真は8歳になっていた私の長女、きゆたんがもった。


火葬場に付いて、骨を拾い、
花*花会館に帰り、(初七日)
を済ませた。


そして、又お花が、大量に余ったので、色んな人に持って帰ってもらい、私達親族も沢山の花を持って帰った。


誰も居なくなった、
父宅には
仏壇があったので、
私達は、父宅で暮らした。


弟の名義になった、父宅は、
弟は両親が、亡くなったら手放すつもり、だった。


「つかうなら、固定資産税払えよ!」
と言われたけど、
二件分の、固定資産と管理費は、払えないので

泣く泣く売ることを承諾した。


母の部屋も、母の荷物もそのままにしていたので、
勿論、私が先にいるものを選び、そして、義妹、叔母、祖母、
義母、母の友人が色々貰ってくれた。

父の物は、誰が貰ったか解らない。
メガネだけ、私が貰った!

私は、哀しさと、切なさで一杯だった。

実家が無くなるのだから。

でも、実家を売ったお金で、
弟は私の家のローンを全て返してくれた。

これが、両親から残された最期の
財産だから、大切に使うように!と釘を刺された。


仏壇があった頃は良かったが、
弟の家に仏壇が行ってしまってからは、

寂しくて、辛くて、どうにかなりそうだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?