29○正道会館
大石道場北九州師範は、長女の事を大変可愛がってくれる様になり、
【神童】等と言い出した。
それは、多分、北九州師範が皆に
「空手の神様を知ってる人!?」
と質問した時、
長女は神前の神様の名前をカンニングしていた。(笑)
中学生の男の子が、手をあげて、
「大山倍達です!」と答えた。
北九州師範は「惜しいけど違うよ!」と言って、
次に手をあげた長女が、キチンと答えたのに、感動していた。
そして、極真なんか条を、毎回皆で
言うのだが、長女は、北九州師範に
「解らない部分があるので教えて下さい!」と言っていた。
北九州師範は、喜んで物凄い数の資料のコピーを長女に渡して、
「これ、読んでみてね!」と言ってくれた。
稽古も真面目にこなし、白帯なのに、緑帯位の型も覚えて稽古についていっていたので、頭が良いと勘違いしたのだろう。
家のマンションは、中学校の裏にある。
同じマンションのママ友達は、この近くの中学校に通わせる為に、
小学校はわざわざ遠い所に行かせていた。
勿論長女も、裏の中学校に行かせるつもりだったのだが、
北九州師範が、「きゆたんを公立にやるなんて、トンデモナイ!」
と言い出した。
夫は、普通のサラリーマンだし、
公立で充分だと思っていたが、
空手の師範の意見は違った。
長女は、学校の成績も良くない。
その意見の食い違いで、道場を辞めてしまった。
長女は、テコンドーをやりたがったが、近くにはなく、水巻まで行き、
稽古が終わって帰ったら寝るのは11時過ぎる。
その為、夫は大反対だった。
後、夫がK−1が好きだった事もあり、
長女は8歳、次女は、4歳で、正道会館に入門する。
次女は、遊んで稽古をしなかったが、長女は頑張った。
勿論白帯で入門したわけだが、
色帯の男の子を組み手で、よく泣かしていた。
北九州支部の東師範が私の所に来て、
「きゆたんは、強制的に紫帯までとって貰います。
そうじゃないと、この道場の子が、稽古をやり難いので!」
と言われ、紫帯までとる。
そして、試合にもどんどん出た。
帯の審査も毎回出た。
次女もついでに、出したが、
オレンジ帯で審査に落ちる。
そのうち、全九州大会に出して貰える様になった。
大石道場は、ハイキックの道場だったので、長女はハイキックが得意で、そして、正道会館で色んな技もどんどん覚えていった。
四年生の全九州大会では、優勝出来た。
長女は、K−1のアンディフグの大ファンだった。
そして、正道会館北九州支部東師範も
アンディフグの大ファンだった。
長女は、アンディフグの技を家で練習して、稽古や試合の時は技を出していた。
どうしても上手くやれない時は、
東師範に、「教えて下さい。」とお願いしていた。
ジュニアコースでは、アンディフグの技を教えてなかったので、他の生徒が基礎稽古をしてる間に、特別に隅に行って、教えて貰えていた。
長女はメキメキとアンディフグの技を覚えていった。
長女が、アンディフグの技を組み手で出すので、小さい、長女に憧れてる後輩達は、真似し始めた。
飛び後ろ回し蹴りが格好良く見えたのか、基礎が出来てない、小さい後輩達が、真似をして、全く相手に当たらない場所でくるりと回る。
それを見ていた師範は、Bコースのみ、稽古のメニューに、飛び後ろ回し蹴りは、流石に難しいので、後ろ回し蹴りを取り入れてくれていた。
この頃から、東師範は長女を可愛がってくれる様に、なった。
飲み会等があると、長女を横に呼んでくれた。
長女がカラオケでアンディフグの
入場曲を歌うと、東師範は男の子達に、
「お前達!これ位の歌を歌えないと優勝できないぞ!」
と無茶な事を言った。(笑)
QUEENの全て英語の曲を!
そして、長女と次女が(空手バカ一代)を歌うと、完全に酔っていた東師範は、歌に合わせて極真空手の型をしてくれた。
見ていた、他の父兄達は、
めちゃくちゃ盛り上がった!
5年生の全九州大会は、小倉で行われ、【選手宣誓】をさせてもらえた。
次女は、1年生になっていた。
そしてオレンジ帯になっていた。
私は、試合の前には、じゃんけん、ガチャガチャ、クジ等の、(運気)を使うものを、絶対に許さなかった。
(運気の貯金)を試合申し込みをした時点でさせていた。
寝る前は、毎日、自分が優勝して、
トロフィーを貰っている場面を
イメージさせて、寝せていた。
寝る前は、(潜在意識)の力が強く、
強くイメージすれば夢は叶う。
(勝ち癖)を身に着けさせ、
何か1つでも、自分に自信が持てる子供に育って欲しかった。
長女は、【選手宣誓】をしたからには、負ける訳にはいかなかった。
長女は、イメージトレーニングが、上手く自信があった。
でも絶対に、油断はしなかった。
ついに、ハイキックで勝ち上がり、
優勝出来た。
そして、長女の特訓と、イメージトレーニングのお陰で、次女も優勝出来た。
次女は、トロフィーを貰う時に、
ちゃっかり東師範に、「紫帯とって良いですか?」と聞いていた(笑)
優勝まで、頑張ってトロフィーを渡す時に、そんな事を言われるのだ!
いくら厳しい東師範でも、笑顔で
「いいよ!」というしかなかったのだろう。
ダブル優勝出来たので、その日は、お祝いした。
でも、試合の後の稽古から、
次女は地獄を見る。
1年生で紫帯に挑戦するのは、
次女だけだった。
「紫帯を取る」と宣言した次女に、東師範はめちゃくちゃ厳しくなった。
長女が毎日、型を教える。
長女が、紫帯を取る時には、無かった(技の名前を全て言える!)
という謎のルールも入っていた。
長女も必死だった。
次女が、技の名前をを言えないと、油性のマッキーで、腕から足まで、技の名前を書く。
審査当日迄、次女の腕から足まで、マッキーで真っ黒だった。
(お風呂で消えても、又書く)
あまりにも長女が、厳しく稽古させるので、何度も私がなだめた程だ。
稽古の時も、毎回長女の所に来させ、ボコボコにする。
いつも、次女は長女にやられて、泣きながら稽古した。
拳立ても20回出来れば合格なのに、長女は次女に、
50回させていた。
審査の当日も、東師範は次女に
厳しかった。
でも毎日、寝る前に、紫帯をしめた
自分をイメージして、寝ていた。
そして、何と最年少で、次女は
紫帯を取れた。
紫帯になれば、先輩として、後輩に稽古をさせるために、組み手の数も増える。
次女のライバルの男の子達が、
毎回競って次女の前に来るのが面白かった。
他の大きい先輩と組手をしても、
手を抜かれるけど、次女は必死に戦うので、次女と組手をしたがる男の子が多かった。
常に何人かの男の子が毎回、次女の相手になってくれていた。