強いこどもの育て方その①
さて、前回は最近のこどもは「心が折れる」という話をした。
小生が長い期間こどもたちを見て、感じている変化である。
親はこどもよりも先に死ぬ。そうありたいという希望も含めてだが。
つまり、こどもはいずれ一人で生きていかねばならぬのだ。
(そもそも、親が存命のうちに独り立ちしてほしいのだが。)
しかし、小生はこう思うのだ。
こんなに心折れやすいこどもたちが、
将来本当に独り立ちできるのだろうか、と。
小生は仕事柄、子を持つ親と接することも多い。
その中で、こういう親のこどもは特に「心が折れやすい」という
ある種の共通点に気が付いたのである。
自分のことは自分でやらせる
親子セミナーなどをしていると、熱心にメモをとる親によく遭遇する。
しかし、その横を見てみると、本人は素知らぬ顔をしていることが多い。
受験生は誰だ?生徒は誰だ?保護者は誰だ?よくわからなくなる。
親は良かれと思って講師の話をメモする。聞き入っている。
本人は「お母さんが書いているから自分はいいや。」になっている。
つまり、もはや「他人事」だ。
自分のことを自分でやらない=人生が他人事
それはつまり、考えて生きていないということだ。
考えることなく生きていれば、自分がこのままいったらどうなるのかという最悪のケースを想定することすらできない。
(簡単に言えば、勉強しないと志望校に合格しないかも???)
想像力の欠如とも言える。
自分の人生を他人事でいるということはそういうことだ。
自分の人生を自分のものにさせるためにも、
親は自分のことは極力自分でやらせるべきなのである。
手助け程度にとどめておきたい。
自分の人生を自分で生きていないということは
常に守られているということだ。
守られてばかりのこどもたちに何か事が起こったとき、
それはまさに不測の事態だ。
想定外の心の衝撃に
「心が折れた」となるわけである。
賢明な親は
「あなたに関する話なのだから、あなたがきちんとメモをとりなさい。」
と言うものである。
これはあくまでも一例。彼ら、彼女らの人生において、
極力どんなことでも自分でさせるべきなのだ。
どんなに親が忙しく、先回りしたくなっても。
意見を言わせる。意見を聞く。
日本人は優しい。相手を慮る国民性を持っている。
しかし、この「慮る」が少々行きすぎてはいないだろうか。
あなたのこどもは自分の意見を他人に伝えることはできるだろうか。
何を馬鹿なことをと思われるかもしれない。
しかし、是非考えてみていただきたい。
最後にこどもの意見をしっかりと聞いたのはいつのことだろうか と。
忙しい親は、こどもの気持ちすら先回りして行動してしまいがちだ。
最後までこどもの意見を聞かないケースが多い。
たしかに、こどもの話は要領を得ないことが多く、じれったい。
「つまり、こういうことでしょ?」
「こうすればいいのね?」
親はこどもの意見を「慮り」行動する。
また、厄介なことに、その「慮り」行動したことは、
こどもの要求を満たすケースが圧倒的に多い。
長くこどもと生活をしている親にとっては、
我が子の要求は最後まで聞かなくともたやすく予想できよう。
言わずもがなである。
しかし、他人ではそうはいかない。
誰も自分の気持ちを「慮って」はくれない。
その時こどもたちは困るのだ。
自分が言いたいことが相手に伝わらない。
人間関係がうまくいかない。
「心が折れた」と。
心が折れることの大半は人間関係が絡んでくる。
人間関係は意見のぶつかり合いだ。
意見のぶつかり合いの経験がない今のこどもたちだからこそ、
人間関係がうまくいかないのだろう。
家族と言う最小のコミュニティで経験したことがないことを、
その上位互換である学校で、社会で体現できることは稀である。
結局は「考える」ということが重要なのだが・・・
そのあたりは次回。
こんな小生をサポートしてくださる奇特な方、もしもいらっしゃいましたらよろしくお願い申し上げます。サポートは自費出版への夢に。