![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159017117/rectangle_large_type_2_bfcd6c8e7f3e93a0559e23e21c03222c.jpg?width=1200)
2周年を迎えて
KAIを私の犬にした日から丸2年が経ちました。
半年の記事を書いたのがつい昨日のことのようです。
1周年記念を書くことなく2周年を書いているのが私のズボラさを表していますね……。
さて、先日2周年の記念に犬と過ごしてきたので、今回はしっかり書き留めていくことにしましょう。
KAIがまだ私の犬になる前、もっと言えばお互いがお互いを写真仲間としてしか意識していなかった頃。
初めて多人数ではなくふたりきりで写真を撮りに行った水族館があります。
大きな水槽の中で幾重にも屈折した光が青いカーペットの上で踊る中をふたりで歩きました。
その日は雨が降る予報の1日とあって館内には人もそこまで多くはなく、時折フロアが貸し切り状態のようなタイミングもあり、そのおかげでKAIとの時間をリラックスして過ごせていました。
まだ会って数回程度だったこともありどこかぎこちなく、会話もさぐりさぐりでなんとなくお互い距離を測りかねていたような気がします。
(さも双方そうだったかのように書いていますが、あのころからKAIは私にお尻をぐいぐいと押し当ててくる犬のようだったような。)
その頃の私は、主従を自分の中から完全に断ち切りたいがために色々なことをもう諦めて"私の中にある穢れも誇りも劣等感も自尊心も全て写真だけに捧げよう"とちょっとした自暴自棄になっていました。
誰かが私に興味を持ったり心や思想に触れてこようとしてくることにすら強い抵抗感を抱いていた時期でした。
KAIとの会話の中でも何となくもう少し踏み込もうとしてくれている空気を感じ、牽制のつもりで今自分が置かれている状況やそこに至るまでの生い立ちの話をしました。
この人にはこれ以上踏み込まないほうがいい、と、距離を置いてほしかった。
私はKAIからの好意のまなざしと実直で誠実な姿勢に、自分が酷く汚れた存在のように感じたのです。
うん、うん、と静かに私の話を聞いていたKAIの視線にだんだん居た堪れなくなり、飲んでいたタピオカの吸い上げきれなかった粒をストローで転がしながら「こんな感じの人間なので、綺麗じゃないし、あまり仲良くならないほうがいいと思いますよ。」と自嘲気味に零すと、彼はとんでもない!と頭を横に振り「話してもらえたことが嬉しいです。誰にでも話すことじゃないだろうし、俺には話してもいいかなと思ってもらえたことが嬉しいんです。」と優しい声色で言いました。
あの時、あの瞬間、私はKAIの屈折のない美しさに強く惹かれ、同時に同じくらい強く拒絶心を覚え、自分の中から湧き上がってくる劣等感と憤怒にも似た感情にひそかに狼狽え、美しいこの人の中に入り込んでぐちゃぐちゃにぶっ壊してやりたいと思いました。
さっきまで眩しさに目を細めながら見ていた青いカーペットに揺らめく屈折した先の光のように、きっとこの人もどれだけ屈折しても美しい光のままなんだろうなと、思いました。
その時は主従関係こそ意識していませんでしたが、美しい花を手折りたいという欲望は間違いなく支配的な欲の芽生えだったように思います。
二度目の周年はそんな思い出のある水族館に行きました。
2年前のあの日は雨風で鬱屈としていた空がその日は気持ち良い秋晴れになり、肌を刺すような北風は穏やかに頬を撫でる初秋の風で、あの頃は着けていなかった首輪代わりのチョーカーを首から下げたKAIの手を取って、リード代わりにその手を繋いで歩いていました。
並んでイルカショーを撮影しているときも、
左右に行ったり来たりを繰り返すペンギンを追うKAIを眺めているときも、
落ち着きなく走り回るカワウソを熱心に見つめるKAIを見守っているときも、
同じようにカメラを持って同じように並んでいるはずなのに2年前とは全く違う景色が広がっていることに驚きました。
昼時になり、当時と同じレストランでたしかこの席だったかなぁなんて話しながら座った席は間違いなく当時の場所で。
変わらない美味しさに舌鼓を打ちながら当時のお互いの気持ちや印象を振り返っていると
「僕が誇れることと言ったら、2年前よりもダーリンの笑顔を増やせたことかな」
とKAIが言うのです。
僕がたくさん笑うからダーリンもにこにこしてくれてうれしいの、と笑っていました。
不意にそんなことを言われて視界が一気にぼやけるのを感じて、ごまかすみたいに俯いて気の抜けた笑い声を漏らしながらランチのハンバーグを食べていました。
私は、その言葉を皮切りにまるで走馬灯のようにあの日の情景が頭の中を駆け巡り、ひどく後悔したのです。
あの日に彼に向けた攻撃的な劣情を。
心を伝って目から湧き上がってきたのは感動の涙というよりも、自責の涙でした。
冬みたいに寒い日、大雨の中私が濡れないように傘を差して自分は半身がびしょ濡れになったのに「相合傘ですね」とご機嫌だったこと。
帰りの電車で微睡んでしまいいつの間にかKAIの肩にもたれかかっていたことを詫びたとき、にっこり笑って「役得ですよ、嬉しいです。」と言ってくれたこと。
お酒が入ってゆるゆると饒舌になる私が写真のパートナーにならないかと持ち掛けて、重ねられていたKAIの手が緊張で震えていたこと。
全ては純粋に澄んだKAIの真心だったこと。
あの日の、あの頃の私はそれを捻くれた心と目で見てしまっていたこと。
KAIがひとつひとつ丁寧に渡してくれていた気持ちを取りこぼしてきたこと。
2年前と同じ道を歩きながら、あの頃に取りこぼしたものを改めて拾い集めるような気持ちでした。
それをひとりではなくKAIと連れ立ってふたりでできていること、これからもそうしていけることに感謝しました。
あの頃に比べると私も随分丸くなった気がします。
笑うことも増えたし、やりたいことも増えました。
それに伴って、やらねばならないことも増えていきます。
でもそれがちっともつらくないのは、私に降りかかる課題や困難を解決することはKAIとの穏やかな日々を継続していくことに繋がっているという確信が私の中にあるからです。
織り続けてきた2年という歳月はまだまだ短くもしっかりと重く、道のりも決して平坦なものではありませんでした。
KAIにもたくさん苦労や不便をかけてきたと思います。
24時間365日つねに幸福の中に身を置かせてやれていたとは思いません。
それでもここまで至る日々の中でKAIを蔑ろにしたり、KAIにとって無意味になるような日にしてしまったことは一度も無いと断言できます。
特別なことはできません。
私はそんなに器用で器量のいい飼い主ではないからです。
今日も明日も明後日も飼い主として私がすることは変わりません。
朝起きておはようと犬を撫で、適切な量のご飯をお皿に入れてやり、欠かさず散歩に連れて行き、終わったら手足を丁寧に拭いてやる。
心と体を清潔に保ち、安心できる寝床を用意してやって、ふくふくと毛艶良く生きて行けるように整える。
3年目も同じように地味に地道に実直に重ねていけたらと思います。
2年撮り溜めた写真を見返しながら、3年目はどんなことをしようかしらと考える。
私から見えるKAIをたくさん撮ったからこれからの1年は私の愛機から見える私たちを撮る機会を増やしてみようと思う。
主従ってなんだろうね、と考える時間が減ったのはいつも私のお膝に大型犬が乗っていて、ただでさえ地に足付かない私が思考の宇宙に浮上していかないように重石になってくれているから。
主従って私たちだね、それでいいね。
まだまだやりたいことがたくさんある。
これからも丁寧に丁寧に織り続けていきましょう。
藍染