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サザエさんちの裏口から入ってくる三河屋さん。これが業務用酒類卸の始まりとなる
こんにちは。就職すると、その会社の歴史を勉強したりしますよね。なのでむかし父から聞いたお話を書き記してみます。
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酒屋の商売を始めたのは、私のひいお祖父ちゃんにあたる。みなしごだったらしく、生まれや育ちはよくわからない。最初は新潟に住んでいたらしい。15歳くらいだかで故郷をはなれて、いま会社がある神奈川県に来た。当時、ここらの地域で大きく商売をしていた酒屋で、でっち奉公をしていた。
朝早くから掃除や店番、おつかいやらの下働きをしていた。失敗をすると時にはぶん殴られることもあった。でも、帰る家もないので、歯を食いしばって我慢していた。年頃になってお嫁さんをもらった。ひいお祖父ちゃんは小柄であんまりお酒も強くなかったが、大工の娘だったひいお祖母ちゃんは大柄でお酒も強くて、豪快な女性だったらしい。4人の子宝にも恵まれた。
立派に一人前と認められたのかなんなのかわからないけど、奉公していた酒屋からのれんわけをしてもらい、独立して自分の商店を開いた。1938年のこと。
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2代目のお祖父ちゃんはカリスマな人だった。
あるとき「店でお客さんを待っているだけではだめだ!」と、お得意先を回り始めた。その光景は、サザエさんちの裏口から入ってくる、三河屋のサブちゃんそのもの。飲食店や個人宅へ配達ついでにまた次の注文をもらってくるのだ。これが、業務用酒類卸の始まりになる。
(こういう商売のやり方を「御用聞き」というが、古くからのお取引先は今でもこのスタイル。すごいところは、お店の厨房にずんずん入っていって、在庫の減り具合をみて、勝手に納品してくる。お支払いはツケ。ものすごい信頼関係がないと成り立たないですよね‥。こんな昭和なやり方が生き残っていることに、なんともいえぬ、ノスタルジックな気持ち。)
ちなみにお祖父ちゃんは、御用聞きをしにいっていたあるお宅にいたお祖母ちゃんに一目惚れして結婚した。
1968年にひい祖父ちゃんの個人商店を法人化し、1980年、表通りに本社を建てて、社屋を移転した。今の本社の場所である。
イケイケなお祖父ちゃんは、さらに商売を広げていった。土地を買い、内装から看板まで全てパッケージされたのんべえ横丁を作り、飲み屋をやりたい人を破格の条件で誘致するかわりに、酒を納めさせてもらったり。不動産が儲かる商売だとわかると、温泉地に土地を買ってリゾート開発をしたり。(いわゆるバブルの時代。これがあとで禍根になる)
1989年からはじまった酒類小売免許の段階的な規制緩和によって、免許制度に守られてきた本業の業務用酒類卸に影が差しこめてきたころの1994年、本社に大型の酒専門店をオープンさせた。いわゆる酒のディスカウントストアだ。いまはスーパーやコンビニで当たり前に酒が買えるけれど、そうなる前にたいへん流行った。(20年ちょっと前は、酒は酒屋でしか買えないものだったんですよ‥びっくり)そのころには、3代目となる父もバリバリ働いていた。
(そしてバブル崩壊の年で有名な1991年に、私がこの世に登場です。倉庫を探検したり、かっこいいフォークリフトを眺めたり、お店のお姉さんに遊んでもらったとかの記憶がある。でも、店から離れて住んでいたし、学校に通い始めて、お店にもほとんど行かなくなっていった。)
やがて平成不況の例にもれず、不動産事業がだめになるやら、お祖父ちゃんが倒れるやら、父と会社にとってとてもくるしい時期が訪れる。
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今回はこんなところで、お祖父ちゃんが倒れたあとの父と会社がいろいろと大変だったことは、また気が向いたときに書くことにします。
お祖父ちゃんが倒れたのは私が中学生のとき。でも、普段あまり会うこともなく、おしゃべりをした記憶もない。今思えば、お祖父ちゃんにいろいろ話を聞きたかったと思う。ある人は、いちど怒り出すと誰にも止められないめちゃくちゃコワイ人だったと。またある人は、面倒見がよくて信頼される人だったとも。父も、ことあるごとに、じじはよくこう言ってたもんだと、話してくれる。どんな人だったんだろう。
今でこそ、「酒屋の娘」というアイデンティティを少しは意識するようになったのですが、それまではやりたいことが見つからない、ある意味フツーの悩める学生、サラリーマンな人生。20歳になるまで酒を飲んだことはなかったし、とりたてて好きなわけでもなく。就職するときにも、なんの志もなく、なんとなく酒屋の娘だから‥と流れに身をまかせてきた。
実家が商売やってますというと、たいてい「継ぐの?」と聞かれる。どう答えるのが正解なのか、なぜかいっしょうけんめい空気を読んで考えてしまう。わかりません。まだ。(なんでわかりませんなのかも、整理するnoteが必要だなあ)
新卒で酒の業界に入った時、両親は何も言わなかった。もしかしたらちょっと期待をしていたかもしれない。でも、私は流れに身を任せることも含めて自分で決めてきたと思っているし、これからも自分で決めるだろう。誰にも強要されていない。
けれど「私は酒屋の娘だから」。このパワーワードが、着実に私の人生を形づくってきた。自分の気持ちに鈍感で、行動力もいまいちよわよわしい性分だけど、COVID-19騒動に巻き込まれたいま「酒屋として生き残りたい」と本能的に心が反応したことが、何よりの証拠になってしまった。
イケイケのお祖父ちゃんなら、なんていうかな。一緒に酒飲んでみたかったな。こんな世の中に、めちゃめちゃに怒って何とかしてくれたかな。