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死刑制度に思うこと。

皆様いかがお過ごしでしょう。外から暴風雨の音が聞こえ、窓を揺らす音が地震かと思い目が覚めてしまったため投稿します。

ABEMA系列の番組でしばしば死刑制度の是非という動画があげられていて勉強のためにたまに視聴しています。
死刑制度反対派の主張は主に
・冤罪の可能性
・絞首刑の残酷性
・薬物による刑執行の場合の医師の負担と死にきれない人が稀に出る
・囚人の人権全般
といった要素が散見される。
前提としてこの情報から私なりに考えてみたいと思います。

まず、死刑となる犯罪は主に重殺人等と認識しています。外患誘致罪や内乱罪などがありますが、適用された実例がないためここでは考慮しないこととします。ゾルゲ事件でさえ治安維持法での処罰であり、外患誘致罪は適用されなかったそうなのでほぼほぼ現実味のないものでしょう。

ここでまず、考えたいことは冤罪の可能性です。このことに関しては確かにあってはいけないことでしょう。このことは現行犯以外は証拠保全のために第三者機関が証拠を保全することなどで対応可能ではないでしょうか。

次に絞首刑の残酷性や囚人の人権全般という点をまとめます。
絞首刑による死体の損壊は人権侵害であり、国際法違反であると裁判を起こした死刑囚がニュースとなっていた記憶があります。確かに死刑囚も人間であり、人権があるという主張は一見正しそうですね。
しかし、先程述べたように重殺人を考慮した際はどうでしょう?
人権の最たるものである生存権を他者から奪った人間が人権を守れとはいかがなものでしょうか。被害に遭った方は生きる権利も死ぬタイミングを選ぶ権利も全て奪われてる訳です。このことに関して奪った側のみ人権は尊重されるべきなのでしょうか?
そのように考えると被害者は生命を奪われた瞬間に死体というモノになっているという考えなのでしょうか。
そうであるならばそもそも生命を奪ってモノと化した事後に殺人を適用するのはどう整合がとれるのか私にはわからなくなってしまいます。
被害者の人権を考慮しないならば、生きている被害者に死に至りかねない暴力を与えることが最も重い犯罪となるのでしょうか。これは現行法では否であるはずです。

このように考えても死刑囚の人権は大事なことなのでしょうか。

ひかり市の母子殺人事件だったと記憶していますが、犯人を死刑にしないのならば無罪にしてください。私が殺しますという遺族の言葉を思い出します。

この被害者感情や遺族感情よりも加害者感情を優先すべきなのでしょうか。

私はそうは思えません。

皆さんはどうでしょうか。

追記
私は法学部を出たわけでもなく、ニュースを見たりしている程度であるため法律名や事件などに誤りがある可能性が多分にあります。大目に見ていただけると幸いです。
いつ自分が被害者になるかもわからないですし、遺族になるかもわからないので自分事で考えてみる機会にしていただけたら嬉しいです。また、加害者にならないようにしましょう。

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