Howdy
皆さまいかがお過ごしでしょう。前回は私の身の上話のミクロ回だったので、今回はマクロな話題をしたいなと思います。
性別の変更と性転換手術がなんたらかんたらで違憲だというのがホットな話題のようなのでこのことを自分なりに落とし込んで考えてみたいと思います。
まず、同性愛や異性愛とはを考えてみようと思う。私自身は高校が男子校でしたが、特段同性に魅力を感じたことはなく異性愛一筋でここまで生きた。
このことをたまたま異性とだけ付き合ってきたのではと考えてみよう。自分の他に女性が5人いる密室空間を想像しましょう。私はその中で恐らく1番魅力を感じる1人を選ぶでしょう。この裏にはその1人に対して相対的に非魅力的な4人がいることになる。この1人を選ぶ要素がタイプやフェチ、性癖と言った曖昧な要素であると感じる。ここで私が非魅力的な4人と魅力的な男性が密室にいる場合はどう思うだろうか?その際には女性であるからという理由で他の4人を選ぶのだろうか?
例えば、井出上漠さんのような方がいたらどう思うだろう。私は恐らく井出上漠さんを選ぶと考える。
このようにどの人間を選ぶかという事に異性であるか同性であるかをフィルタリングしているのだろうか?クラスメイト1人1人の中から女性は何人でその中でこの子が好きだという過程を経て1人を選び抜いているのだろうか?
個人的にはそのような脳内恋愛リアリティショーは繰り広げられた記憶はない。
いつも恋をする時は無自覚の結果として誰かを好きになっている感情に気づくものだと考える。
このように考えると今まで女性とだけ付き合ってきたことは、単純な自分の性癖なのではないかという感情さえ持つ。
これまで女性が好きだったからと言って今後女性だけを好きになるのかと考えるとわからない。
そして、昨今話題の女性の定義とはという話に行こう。
上で述べたような思考を経ると女性であるかということは非常に曖昧に感じる。
ここで明確に分けられることは生まれた時の肉体的性別ではないだろうか。男性器と女性器の二つに一つどちらかを持って生まれる場合が99%だろう。ここまで明確に分かれているものは曖昧な世の中で珍しいとさえ思える。血液型でさえ四種類、人種や性格はもっと多い。だが、性別は明確に肉体的には2つなのだ。ならばこの事による区分が1番しっくりくる。
話題の銭湯などは肉体的に男女で分け、もう一つ水着着用のもと誰でも入ることができる風呂などができることが1番平和なのではないだろうか。
そんな平和な世の中になると嬉しいなと思いつつ、湯が沸いたのでコーヒーでも飲もうかと思う。
皆さんも良い一日を。