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山都

 あるところに町があった。碁盤目状に道が通り、瓦葺きの立派な家や蔵がずらりと立ち並んでいた。誰も彼もが立派な身なりをし、うらぶれたところなど少しもなかった。しかし町は辺りを山に囲まれており、そこへつながる道など一つもなかった。街道筋でもなければ、畑作稲作が出来るような土地も周りにはなかったので近くに集落もなく、ときおり猟師が獲物を追って迷い込むか、流浪の民がたまたま通りかかるかするよりほかは、人の訪れるような土地でもなかった。その町は「山都(ルビ:さんと)」と呼ばれ、だから猟師や流浪の民の噂話にのぼるよりほかは知る者がなかった。
 ある集落の男が山都の話を聞き、是非とも見たいと思った。その話を語って聞かせた当の猟師に頼み込んで、そのまま連れ立って出かけた。いくつもの山を越え、道なき道を歩きつめ、やがて忽然と町が姿を現した。ぐるりを山に囲まれたくぼ地の底、生い茂る樹海に浮かぶ孤島のように、四角く区切られた町の姿がそこにあった。さてもういいだろう、と猟師はきびすを返した。町へいかないのか、せっかくここまで来たのに。町へは入れない、入ることができた者はいない。あそこにああして見えているのに、入れないなどということがあるものか。では試してみればいい、試してみればわかるだろう。そこで男は町のあるくぼ地へと降りていった。
 山都は確かにそこにあった。辺りを木々に囲まれていたが、木々の枝葉は町の手前で綺麗に切りそろえられているように見えた。几帳面なことだ、無数にあるこれら木々のすべての枝を打つなんざ。そう思ってみたが、どうも妙だった。地を見ると、こちら側は木の葉のこんもり積もった、じめじめした地面なのに対し、あちら側には乾いた、石ころ一つない滑らかな道が伸びていた。近づいてみればより明らかなように、こちら側の森とそちら側の町との間に明確な境目があった。男は一歩、町へ踏み込んだ。するとぬかったような感触があった。二歩目を踏み込むと、町へ入ったつもりが、辺りは森だった。振り返ってみるとそこに町があった。もう一度町へ踏み込むと、もといたところに立っていた。どういうことだ、何が起こったのだ。男が問うと、猟師は訳知り顔で腕組みしていた。それはこういうことだ、よく見ていろ。今度は猟師が同じように町へと踏み込んだ。すると町へ踏み込んだと思った猟師は入り口でふっと消えてしまった。それからすぐ、猟師は町の入り口からふっと姿を現した。これでわかったろう、この町へ入ることはできない、入ろうとしても、町の反対側に出てしまう、反対側から入ろうとしても、こうして正面に戻ってしまう。森の木も、切られているのではなくて、町のあちら側に枝葉を伸ばしているのだ、上を見ろ、どの幹とも繋がっていない、浮かんだ枝葉があるだろう、あれは町の反対側の木の枝というわけだ。さてもういいだろう、と猟師はきびすを返した。ちょっと待て、せっかくここまで来たのだ、もう少し様子を見てもいいではないか。男は猟師を説得し、しばらく町を観察することにした。
 木立に枝を渡して簡単な物見やぐらを設え、そこから町の様子を覗いてみた。どこも立派な家並みで、それとなく活気があるように見えたが、皆が何をしているのかよくわからなかった。耳をすませても町から音がしなかった。行き交う人も少なくなかったものの立ち話などすることもなく、小用でも果たさんとするかのように急ぎ足で家から家を渡り歩くばかりだった。八百屋魚屋金物屋といった商家は町にあったが、畑も川も鍛冶場もなく、その商品をどこから運んでくるのか不明だった。町の者が町の外へ出るような素振りを見せることはなかったが、町のはずれから忽然と姿を現した者が、対面の町はずれで忽然と姿を消すことは何度もあった。男は町ゆく人に幾度となく大声で呼びかけた。一度などは町の端すれすれまで迫って来た者に、目の前で大声を浴びせたこともあった。しかし町の者が振り返ることはなく、それどころかぴくりとも反応しなかった。そのうちに小雨が降り出したが、町のなかに降りこむことはなかった。空が雲に覆われて辺りが薄暗くなってくると、町のほうが光って見えた、そこだけ晴れていたのだった。空を見上げたが、町の区画にぴったり合った四角い晴れ間などあるはずもなく、雲は切れ目なく地に雨を降らせていた。
 森に夜が来ると、町にも夜が来た。夜が来ても町は、行灯片手に行き交う人が絶えなかった。しかしあいかわらず、何をしているのかわからなかった。月が高々と空に掛かり、辺り一面をほの明るく照らし出したとき、奇妙なことに気づいた。町をゆく人も、家々も、どことなくぼやけて見える。よくよく目を凝らしてみると、ものみなが二重写しになっているのだった。初めはぼんやりしていたものが、見れば見るほどはっきりしてきた。そして夜が更けるほど、重ね合わせになった町の一方が他方からどんどん離れていった。猟師よ、お前はこのことを知っていたのか、月明かりに照らされると町が二重写しになることを。それが何だというんだ、いい加減もういいだろう、こんな、煮ても焼いても食えん、気味の悪い、誰も寄り付きたがらん町など、いくら調べてみたところで何にもならん。ほら、よく見てみろ、二重になった町の影が、どんどんずれて、こちら側にはみ出してくるぞ、見れば見るほどはみ出してくる。それに触れてはいかん、それは町の幽霊だ。見ろ、おれも町に入れたぞ、地面は乾いている、建物にだって触れるぞ。
 やがて空が白み、山際から陽の光が差し込むと途端、影の町、町の幽霊はすうっと姿を消した。同時にそこに立ち入った男の姿も消えていた。物見やぐらにのぼった猟師は果たして、町中に男の姿を見た。男は当たり前のような顔をして、町の往来へ消えて行った。

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