鯉型
用あって影の集落へ向かう途中、山道を歩いているとにわかに霧が立ち込めてきた。歩き慣れた一本道だ、どうということもあるまい。と気にせず歩を進めてゆくと、いつのまにやら目の前に立派な山門が現れた。こんなところに寺があるなど聞いたこともなかったので不気味に思いつつも、好奇心が勝ってなかに入ってゆくと、それはそれは美しい庭園が広がっていた。龍のごとくにうねる松の木が大きく張り出す池には清らかな水が満ち、深い水底が青々と透き通って見えた。ぼんやりとたちこめる霧があちらこちらにわだかまり、決して広いはずはない庭園に故のしれない奥行きを与えていた。感嘆のためいきをつきながら、用も忘れて不思議な景色を眺めていると、後ろから声がした。魚が居なんだ。振り返ってみると、僧衣をまとった老齢の男が、藤蔓の杖をつきつきこちらにやってくる。魚のない池というのはさながら、画竜点睛を欠く、といったところじゃ。水清ければ魚棲まず、とも言いますね。と返すと、僧はあごに手をやり、こちらをしげしげと見つめた。ふむ、しかしちいと事情が違う、せっかく来られたのだ、客人よ、お茶でもいかがかな、ついでに珍しいものをお目にかけよう。そう言うと僧はきびすを返し、有無を言わさず歩き出した。僧が向かう先には小さいながらも立派なお堂が建っていた。
長い回廊を抜け、こぢんまりした座敷に通された。円窓に区切られた庭園の眺めは、一枚の絵のように見事なものだ。しなだれる木々の合間に、素晴らしく澄み渡った池。見せたいものとはこれですか。僧は答える代わりに手のひらで制した。少々待たれよ。そうしてするするするとすり足で廊下の先へ消えていった。音のないよりよっぽど静かな静寂が訪れ、自分が何の用でここでこんなことをしているのやらわからないような、不思議な、夢のような心地にしばらく浸っているうちに、ふたたびするするするとすり足で僧が戻ってきた。その両手には長細い桐の箱が抱えられていた。なるほど何かの掛け軸か、とも思ったが、それにしては少し大きい。僧は重たげに箱をおろしてから、ゆっくりとした手つきで真田紐をほどき、ふたを開けた。そこには一匹の大きな鯉がおさまっていた。初めこそ精巧にできた彫り物か何かかと思ったが、それにしてはあまりにもつやつやとなまめかしい。そうしてよくよく見てみると、えらと口とが動いている。これは……と言いかけたとき、びくんと一つひれを打った。綺麗だろう、こいつは鯉型(ルビ:こいがた)と言ってな、この寺に伝わる宝物よ。箱に収められて何十年と経った今でも、こうしてぴんぴんしておる。つまり、生きておる。
それから僧は語り始めた。
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とある川で男が釣りをしていた。よく日の照った昼日中、常であれば小魚の二、三は引っかかってくれるところだが、その日はあいにくの調子で、いつまで糸を垂れていても竿先はぴくりともしなかった。そんな調子だから男もさすがに眠気が差してきた。柳の木がさわやかな音を立てる木陰のもとで、うとうとと眠り込んでしまった。そうして男は夢を見た。
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そこはいつも釣りをする川と似ているようで違った。というのも、常の川の幅など大人が四、五人寝そべったほどしかないはずなのに、川向うが見えなかったからだ。霞がかかっていたのかもしれないが、単に川が間延びして岸辺がはるか向こうに退いていたのかもしれないし、そのあたりはよくわからない。いつものように柳の根本に座りこんで、糸を垂れていた。川の水が、これまで見たこともないほど澄んでいた。水などないかのようで、群れ泳ぐ魚たちは低いところを飛んでいるように見えた。水底に影が映るからなおさらそう見えるのだろう。これほど水が澄んでいると魚だっておれのことに気づいているはずだ、今日は釣りにならない。と、思った、多少残念な、もどかしいような気もしたが、それよりも透明な水に魅入っていた。川面を流れる木の葉がふわふわ飛ぶように流れてゆくさまをぼうっと眺めていた。すると手にぐっと重さが伝わった。糸が右往左往と川を暴れた。獲物はだいぶ大きそうだ。しかし糸の先に目を凝らして見ても、それらしい魚影は見当たらなかった。
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眼を覚ました男は、竿がぐっと引っ張られていることに気づいた。夢の感触をそのまま持ち越したような重みだった。しばらく泳がせたのち引き上げてよく見ると、それは透明な鯉だった。岸辺の砂や草の切れ端やらがまつわりついてはじめて魚とわかったくらいだった。男は魚を持ち帰り、空の桶にいれたまま忘れてしまった。何せ透明なのだ。あくる日、妻が洗濯しようと水を張ってみて気づいた、桶のなかで魚が泳いでいると。透明なのに加えて、嫌に丈夫な鯉だった。煮炊きして食うにしても不気味であり、かといってそのまま捨てるのも惜しいような気がしたので、男は桶を抱えたまま山道を歩いていった。というのも、その先の山寺には美しい庭園があり、そこにはたくさんのこれまた美しい鯉が群れ泳いでいるといううわさを聞いていたからだった。男はその山寺を訪れたことはなかったが、話に聞くところによると、庭園の池にふさわしい鯉を一尾持っていると山門が現れ寺に招かれるとのことだったので、ともあれ山を登っていった。
果たして、にわかに霧が立ち込めて辺りが薄闇に沈んだと思うと、目の前に立派な山門があらわれた。なかに入ると、それはそれは美しい庭園が広がっていた。あの夢に見た川にも引けを取らないほど透き通った水の満ちた、美しい池のなかには、赤色白色金色黒色、色とりどりの鯉がこれまた空飛ぶように悠々と泳いでいた。寺のものを呼ばわったが、答えもなければひとけもない。しんと静まり返ったところで、桶の鯉がぴちっとはねた。どうせ透明な鯉なのだ、このたくさんの美しい鯉のなかに一匹混じったところでどうということもあるまい、それに、この庭園の池に一匹奇妙な透明な鯉が混じっていることを自分だけの秘密とするというのは、なんとも愉快なことではないか。と思い、男は桶の鯉を抱えると、池に放った。すると池の鯉たちは途端、にゅうっと水あめのように伸びて鮮やかな糸となったかと思うと、糸をつむぐような具合にひとところに集まり、やがて忽然と姿を消した。そしてつむがれた糸のたもとに、最後の一匹の鯉が残った。その鯉の身体のなかには、これまで池を泳いでいたすべての鯉がぎゅっと縮み、メダカのような大きさとなって泳ぎまわっていた。そこで男は悟ったのだった、あの透明な鯉は、すべての鯉の容れ物なのだと。
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――それがまさしく、この鯉なのだ。僧は言った。よくよく見ると確かに、いろんな色のつぎはぎのような鯉のその鮮やかな色彩は絶えず入り乱れている。さらによく見ると、なるほど一つ一つが鯉の形をしている。鯉の形をしたとりどりの色彩が、透明な鯉の型のなかで無数にうじゃうじゃうごめいている、その様子はちょうど無数の蟻が巣の入り口で右往左往と動いているのをじっと魅入ってしまうような、妙に目を惹くものがあった。ふと顔を上げると、坊主も同じように鯉型に魅入っているのだった。
急に円窓から冷ややかな風が吹き込み、顔を撫でていった。
するとあなたがした話というのは、おとぎ話などではなく、本当の話なのですね。
ああもちろん、この鯉こそ話のなかの鯉なのじゃ、鯉の形をした容れ物、つまり鯉型じゃ。
しかしそうすると、妙なことになる。
なにか妙かね。
この山寺というのは、その庭園の池にふわさしい鯉を持ったものでないとたどり着けない、と先の話で。
ああその通り、お前さんは素晴らしい鯉を持ってきてくれた。
いいえ、私は鯉など持ってきてはおりません。
いいや、お前さんは持ってきた、この鯉だよ。
この鯉型を? それともこの鯉型のなかに住む無数の鯉の一尾のことでしょうか。
いいや、このなかの鯉を含めた、この鯉型そのものじゃ。
どういうことかわかりません、初めにあなたはこの鯉を、もう何十年も箱のなかに入れられたままだと。
ああそう言った、何十年も箱のなかに入れられた鯉型を、お前さんが持ってきた。
この鯉型を持ってきたのは、先の話のなかの男ではないのですか。
ああその通り、先の話のなかの男が鯉型を夢に見、釣り上げ、この山寺まで持ち寄ったという話を含めて、お前さんが持ってきた。
この鯉型は何十年来この山寺の宝物だと。
それもその通り、何十年来山寺の宝物として納められたという話を含めて、お前さんが持ってきた。
では今までの話は全部、作り話だったというのでしょうか。
いいや、作り話などではない、本当の話じゃ。
本当の話、という体の作り話では。
いいや、本当に本当の話じゃ。
つまりこういうことでしょうか、私がこうして寺を訪れたからこそ、あなたは私に鯉型を見せようと思った、つまり寺にある鯉型の封を切るきっかけを私が持ってきた、と。
いいや違う、すべてはお前さんが持ってきたのじゃ。
ではこういうことでしょうか。私がこうして寺を訪れたからこそ、あなたは今の話を語ろうと思った、つまりこれまでのすべての話をあなたに語らせるきっかけを私が持ってきた、と。
いいや違う。お前さんが持ってきたのじゃ、すべてな。
口をつぐむよりほかになく、黙っているとふたたび円窓から冷たい山風がひゅうっと吹き込んできて頬を撫ぜた。目の前の僧を見ると何やらよくわからない表情をしており、瞳もどこを向いているのやらわからない。庭園をぼんやり満たしていた霞が円窓からこの座敷にも流れ込んで来たようで、特に部屋の四隅のあたりにかけてどうにも見通しが利かなくなってくる。日が暮れたというのでもなさそうだが、それは霞それ自体が薄明かりをはらんでぼんやり発光している所為かも知れない。なぜだか無性に畳の目を数えたくなって目線を落とすと、鯉型のなかの無数の鯉は絶えずぞわぞわうごめいている。澄み切った美しい池のほうががら空きのまま、何十年も桐の箱に収められたまま日の目を見ない鯉型のなかにこんなにもぎちぎちに詰め込まれた、この無数の鯉たちと言ったらさぞかし無念を託っていることだろう。その腹をさばいてしまってすっかり中身を池にもどしてやったらどうか、それが叶わぬのならせめて鯉型ごと池に泳がしておけばよいものを。そもそもなぜ鯉型を池に泳がせておかないのかわからない、池の鯉がすべてとらわれてしまった後となれば、鯉型自体は泳がせておいても特段問題ないではないか、そうなると一尾のみとてあの美しい池にわずかばかりの華を添えることにもなるだろうに。ということを考えながらほとんど無心となって畳の目を読んでいることに気づいた途端にわかに視界が戻ってきて、目線を上げると今の今までまったく無言でただただそこに座っていたのであろう僧の口がにゅうっと異様に伸びている。蛸か蚊か蝶々か何かのようににゅうっと伸びた口先が鯉型の口許で繋がっており、ちょうど吸われているような恰好である。モチのように眼鼻も間延びして僧は見る見る吸われてゆく。やがて首がなくなった、胸から上がなくなった、へそから上が、腰から上が、そうしてすっかり足の先まで吸いつくされるのを、ただただ眺めているよりほかに仕様がなかった。なるほど鯉型というのはこのようにして身のうちにものを収めるのかと、妙な納得の気が起きた。それにしても鯉型というのは何なのだろう、僧の話は出鱈目で、理路というものが全然通らないではないか、だいたいこいつは鯉をその型のなかに収めるという話であって、人がなかに入るのはおかしな話だ、僧の話を真に受けるのなら僧自身が鯉だということになるし、僧の話を真に受けぬのなら人とて例外なく収まってしまうということにもなる、あるいは収められたら結果的に鯉ということになり、収められなければ結果的に人ということになり、鯉型は目の前のものを鯉とそれ以外とに選り分ける力を持つのやもしれぬ。などということをつらつら考えてみたあとで、ではと桐の箱のなかを覗き込み、その透明な型のなかに僧侶の姿を探してみてもどうにも見当たらぬ。あるいは僧は鯉の化身で、鯉型のなかの一尾の鯉として色を添えたのやもしれぬ、しかしそうだとしたところで、この無数の鯉の仲間入りを果たしたたった一尾を探すというのもまず無理な話である。二、三尾のうちの一尾ならばともかくも、数百尾のうちの一尾などというのはもはやものの数にも入らぬ。鯉型のなかの無数の鯉はあいもかわらずうぞうぞとうごめいており、その活発な様子といえば池にいようと鯉型にいようとおかまいなしに各々が各々のしたいようにしているといった雰囲気がある。外側が何であろうと特段問題はなく、ともあれ泳げる水さえあれば魚というのは生きていかれるものなのであろう、とこれもまた妙な納得の気が起きる。実際のところこの鯉たちは、己が鯉型のなかに在るということを知りもしないのではないか。そう考えたところでふとその考えが反転し、ではわが身はどうなのかと問い直される。鯉型のなかにいる鯉にとって己が鯉型のなかにいるということをわかりようがないのだとしたら、この自分とて同じ状況にあることが充分考えられるのではあるまいか。三度、円窓から山の瘴気をはらんだ風がそよいできて頬を撫ぜた。鯉型の収められた桐の箱にふたをし、真田紐で縛りつけてから小脇に抱えて立ち上がる。長い回廊を行き、こぢんまりしたお堂を抜けて、この山寺の数々のいわくつきの品の収められた宝物庫へ立ち入ってみて、はてなぜ自分はこの山寺を勝手知ったる我が家のごとくにすたすたと歩いてここまで来たのだろうかと遅まきながら疑問が生じる。今となってはこの鯉型がもと収まっていた棚の位置まであたりまえのようにわかるではないか、こは実に不思議なことである、しかし不思議なことだという気がしないのもまた不思議なことである。いつも使っている釣り具釣り具と探してみると果たしてお堂の入り口わきの空の水連鉢に差してある。それを手に外に出てみると景色はおどろくほど変化がなく、立ち込める霧が日の巡りというものをまるで無視してすべてをある一日のあるひとときに繋ぎ留めているような感があり、澄んだ池も、花の命も、木々の枝葉も、なにもかもが移ろい死にゆくものとしての儚さを奪われ固着し途端、輝きを失ってゆくように思われた。これから長い時が過ぎるだろうという予感があった、留められた時のなかで長い時が過ぎるだろうという予感があった、そんな予感というものを想像してみることさえ思い及ばなかった寸刻前にはもはや戻れぬ隔たりがあった。歩幅よりも少し狭いがひと石飛びに歩むにしては間隔の広い飛び石をちょこちょこ小股で歩みつつ、庭園中央澄んだ池に張り出すように設えられた大きな岩塊のうえによじのぼり、そこに座って竿を出す。魚がいないことは見ればわかるが、それでも目で見てわからないような魚がいないとも限らないであろう、鯉型のやつもはじめは透明な鯉だったと言うことだし、糸を垂れてさえいればいずれは何かが掛かるやもしれぬ。
それにそこはいつからか、私の定位置なのだった。
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