
鳥影【自動記述20250206】
午後11時18分
突飛なことを書くよりも、
突飛なことを書くのにはどうしたらよいのか
を考えたくなる。
いや、突飛なことを書くとはそもそも
どういうことなのか
を考えたくなる。
そうして思考の深淵に沈んで、
手を動かすということの絶えてない
虚無へ落ち込むことになる。
光の届かない昏い水底に沈んで、
飛ぶ鳥のことを考える。
慰みに。
そうして飛ぶ鳥の影が、
数百、
数千、
数万、
数億と飛ぶ鳥の影が
たまたまこの水底へ影を落とす
その瞬間を夢見て待つ。
私は飛ぶ鳥の影に掴まって、
シルエットとなって地表を
猛スピードで舐めてゆく。
ほこりっぽい地面も。
何十年も人の手の触れていない屋根の上も。
木々の木の葉の一枚一枚も。
すべて私は
私の身体を重ね合わせて
知見を深めてゆく。
鳥の影の主はでたらめにこの地球を飛び回り、
私の影を地に映してゆく。
鳥は私なのだろうか、
それとも私は
鳥なのだろうか。
長いながい、
一生のように長い夢を見た後のあの
茫洋とした寂寥が、
次第に増してくる。
それは風に削られた身を補填する
悲しみだろうか。
ここではないどこかへ行きたいと
常に願いながら、
宿命的な生活を、
貼りついたような日常を
営まざるをえない日々に積層された
悲しみだろうか。
帰ろうとしてもどこへ帰ればよいのかわからず、
それはそもそも、
帰る先というものが存在しないのだ
ということに気づくまで、
めくるめく冒険を繰り広げる人も多く居る。
われわれは身一つで、
記憶すらなく、
ただこの世に、
気づけば生じた。
そこから何をどうしたところで、
どれほど知った風な口をきいたところで、
わかった風な顔をしたところで、
片腹痛いというものではないか?
そろそろ皆気づきはしないだろうか。
あるいは寝ていたいのだろうか?
夢見ることの生暖かい誘惑に
その身を毒されているのだろうか。
踏みしめられた雪の上を
裸で転げまわること。
それから寒風に身をさらすこと。
それから家を壊すことで
世界を家とすること。
誰もがやらないこと、
それも理由のないこと。
空き家という空き家に
架空の人が住みついて、
すべての部屋のドアには
観念の鍵が掛けられている。
観念の鍵師が合いカギを作って
観念の人を追い出して、
実在の人を住まわせる。
実在の人はやがて
観念の人と化し、
これを繰り返すことでわれわれは
観念を追い出し、
実在へと場所を明け渡す。
この営みには終わりがない。
線路をくぐるアンダーパスには
落書きと
ゴミと
「うんこをするな」という趣旨の張り紙だけがあり
人の気配はいつもない。
不在が都市に横溢して、
実物の人体でさえどことなく
透けて見える。
背の高い街灯の
黄色い光に照らされて、
真っ直ぐな道が
消失点の奥に消える
幹線道路。
この先を極めれば、
どこへたどり着くだろう?
海の向こうへたどり着くだろうか?
言葉の通じない人たちのいる世界へ、
辿り着くだろうか。
午後11時33分