
私の退屈は私の存在に由来する【自動記述20240109】
午後11時13分
今日も昨日と同じ日々が巡り来て、明日も今日と同じ日々が巡り来る。
そうして一日は構造として大差ない、
ある一日のテンプレートに集約され、
人は実のところ一日を生きれば一生を生きたのと同じことになる。
そうしてテンプレートの一日を生きた人は、一生を生きたことになる。
テンプレートから漏れる日々をより集めて、
その数を競い合う人々の大会があちこちで開催されている。
百日、
千日、
万日とそれぞれの独自の日々をカードにして並べ、
それらを詳細に説明していくことで相手を圧倒し打ち負かすその大会は照りつける太陽のもと行われ、
観客は一人残らず眠っている。
すべての人が各々固有の日々を過ごしているのだという夢を見ながら。
幸せな夢を見ながら。
風車がカラカラ回る音だけが時を告げる静かなコロシアムのなかで、
自由に動くのは風と、
舞う砂と、
ゴキブリと、
紙屑と、
人々の夢から漏れた物品のみ。
泡ぶくのような虹色の玉が日干し煉瓦のうえを転がって、
海のほうへ吹かれてゆく。
そうしてもしかしたら、われわれは己の夢から得た着想を海のほうへ送ってゆく仕事をしているのかもしれない。
すさまじく飽いたら地球を超えたくなる。
つまり星を超えたくなり、
惑星系を超えたくなり、
銀河系を超えたくなり、
銀河団を超えたくなり、
宇宙を超えたくなる。
そこまでいってさらに飽いたら、
それら超えに超えたすべてを持ち寄って自己自身へ戻ってくる。
そうして宇宙を蔵した人間というものが誕生し、
われわれは定められた軌道にしたがって定められた一日一日を送ることになる。
つまり、何も変わらないということなのだった。
旅だ。
旅だけがわれわれを、私を、生かすのに足るのだ。
そう思ってこの場から離れ、どこでもよい、どこか遠くへ自らを自らの足で運んでみたりする。
そうして私は、どこへ行っても私が私であることを知って愕然とするのだった。
どこへ行っても私は私の眼からしか世界を見ることができないことを知り、どこへ行っても私は私の耳からしか世界を聴くことができないということを知り、どこへ行っても私は私の肌からしか世界に触れることができないということを知った。
そうして私はついに私を徹底的に破壊することを決意するのに至ったのだった。
そうして私は私にしか感じることができない痛みと苦しみを、倒錯した悦びをもって受け入れて、そうして私は私にしかわからない暗がりへ落ち込んでゆく私を見守るのだった。
そうして私は私にしかわからない暗がりに入った私を見送って、
それから私は湿り気のある別の暗がりへ入るのだった。
嘘である。
すべて嘘である。
そんなことはありえない。
なぜこのような馬鹿らしい文章を書かなければならないのか、
おわかりだろうか?
わからない人とは喋りたくない。
私はわからないので、私は私と喋りたくない。
だから私は閉口した。
閉口した口の内側の口が開き、
そうして私は無限に喋る、
位階を超えて、
私は私と喋り続ける。
まるでそれ以外にやることがないかのごとく、常に喋り続ける。
喋り続けることでしか呼吸ができないかのごとく、喋り続ける。
そうして世界からは具体的な物事が消えてゆき、
固有名が消えてゆき、
観念的な話題のみがわれわれの間を埋めてゆく。
そうしてわれわれは観念の存在と化してゆき、
われわれは私と化してゆき、
そうして私は初めて、
産まれて初めて物心つくのだった。
物心ついた私はやがて全てを忘れ、また同じことを繰り返すのだろう。
そうして私は世界を壊し、
私を壊し、
また初めからやり直すのだろう。
そうしたすべてを私は知った、
知った、
知って、
知った、
知ってから、
忘れて、
また知って、
それらすべてをひっくるめて知った。
そうして世界は知になり、
知は世界となった。
そうして私は。