王選国抄録
国王の死後、その亡骸はいくつかの部位に腑分けされ、それぞれ円筒形をした硝子製の標本瓶に入れられて王宮各所に安置される。外観からその規模を一望することができないほど巨大な王宮の、非常に入り組んだ――故意に入り組ませたとしか思えないほど奇妙な間取りを持つ室内を経巡った先に、王の亡骸を安置するために設けられた部屋が存在する。われわれは国が定めた日程にしたがって各々仕事の手を休め(それは王宮から遠い土地に居を構える者にとってみれば都合一週間にもなったわけだが)、王宮へ出向いてその骸(の一部)と対面を果たすことになる。
御霊屋(ルビ:みたまや)と呼ばれるその部屋は王の亡骸を供覧し国民がそれを拝謁するために設けられたもので、七面の壁に七つの扉が付き七つの間仕切りで区切られている。その中央に王の、腑分けされた身体の一部が収められた標本瓶が置かれてある。区切られた七つの空間は相互に行き来することができない。王宮は前庭や玄関や舞踏室といった通常宮殿にイメージするような要素を備えておらず、抑制のきいた最低限の装飾の施された一様なデザインの回廊、小部屋、階段、バルコニー等で構成されている。長い行程のなかで行き倒れてしまわないよう執事が配されており、また最高の食事を無料で提供するこぢんまりしたレストラン、身を清めるための湯殿、お召し替えのための衣裳部屋、寝室、手洗い所等が存在するが、どこも森閑として人に出会うことは稀である。出会うとしても王宮の執事のみであり、自分と同じ立場の一般市民と相まみえることはまずありえない(というのはことの性質上、厳密に配慮されている)。入り口の数は非常に多く、任意の扉は任意の行程と結びついており、任意の行程は最終的にたどり着く御霊屋の七ある空間のどれかへと結びついている。扉は宮殿最寄りの地下鉄駅構内や、一見して無関係に見える近隣雑居ビルの地下や、公園の片隅にある公衆トイレ風の小屋や、トンネルや共同溝といった意外なところにも開かれている。しゃがみこんでよく見れば、扉の左下の隅に王宮を示す紋章が刻まれているのでそれと知れる。
成人した国民のすべてに送付される召喚状にはどの入り口から入室すべきかを記した詳細な地図が記載され、これを頼りに各々期日通り王宮を訪れることになる。王宮へ至るまでに必要な交通費も同封されている。求めに応じない者、つまり所定の期日に王宮の入り口をくぐらなかった者に対しては、この儀式のためだけに組織された特別警察が彼らを強制的に(しかし丁重に)連行し、王宮所定の入り口へ押し込むことになる。王宮内の部屋を仕切る扉は後ろ手に閉めるとロックが掛かる巧妙な仕組みを持ち合わせており、ひとたびなかに入ってしまえばとにかく進むしかない。では扉を閉めずに進めばよいと思われる向きもあろうが、御霊屋まで続く王宮内の各経路は実質一本道となっている(経路が分岐していようと結局行きつくところは変わらない)。そのため、前室へ戻ることができたところで特にやりようはない。開けたままの扉は被召喚者の就寝中すべて閉められる。いっそのこと王宮内で暮らしてしまえばよいのではないかと考える向きもあろうが、概ね日に一度巡り合う程度に付置されたレストランは一度食事を提供すればそれで店じまいとなるため、飢えをしのぐためにも進むよりほかの選択肢はない。故意に内部を毀損することは重罪となり、この点は各所に配された執事が目を光らせている。
被召喚者が御霊屋の七つの空間それぞれにたどり着いた時点でわれわれは次期王を選出するための話し合いを始める。つまりその場に居合わせた七人のうち最も王としてふさわしい者を決めるのであって、この話し合いこそ最大の目的である。間仕切りで仕切られているためお互いの顔は確認できない。目に映るものと言えば壁と天井のほかは中央に据えられライトアップされた標本瓶のみであり、そこには王の身体の一部が浮遊している。王を閲覧するために設けられた覗き窓は狭く、七角形の対面は角となるため向かいに人の姿は見えない。この設えが被召喚者にいかなる象徴的作用をもたらすのか計り知れないところがある。巧妙なことに、室内の壁面の複雑な凹凸によって各々の声が奇妙に反響するため、声色から年齢性別を推し量ることも難しい。これらの仕組みは当然意図されたものであり、いかなる偏見も排した各々の内面の提示によってこそ公明正大な審査が可能となる、との思想が元にある。七人のうちだれが王の器としてふさわしいかをその場で決めるという以外に、定められたことは何一つとしてない。われわれに課せられたこの自由は、次期王の選出にあたってその都度ごと「王とはどうあるべきか」という価値観を問い直す効果を持つことになり、結果として最終的に選出される王の人格がより広範な何らかの良さを備えていることを期待し、また保障するものであると言われる。
話し合いが済んだ後、選ばれし一人は次なる御霊屋を目指して王宮を経巡ることとなる。次なる御霊屋には第一工程において七人のなかから選出された一人がそれぞれ集まることとなる。そこで選ばれし一人は次の次なる御霊屋を目指してまた王宮を経巡ることとなる。次の次なる御霊屋には第二行程において七人のなかから選出された一人がそれぞれ集まることとなる。そこで選ばれし一人は一端帰途に就き、次フェーズ開始までのあいだ日常生活を送る。
第一御霊屋、四九室。
第二御霊屋、七室。
第三御霊屋、一室。
以上、合計五七室の御霊屋が王宮内に存在する。ゆえに五七に腑分けされた王の亡骸が王宮内に配されており、王宮はそのまま王を寓するものとなる。王宮の毀損は王への冒涜とされるこれが所以である。
王宮に招じ入れられる被召喚者の総数は一巡につき三四三人であり、彼らは四九ある第一御霊屋へ向かう。次いでそこで選ばれた四九人の被召喚者が七ある第二御霊屋へ向かう。最後にそこで選ばれた七人が唯一の第三御霊屋へ向かう。この三段階の行程により、結果的に三四三人のうちの一人が選出される次第である。
成人した国民全員に対する当該工程の完了を以て第一フェーズとなる。第二フェーズでは、第一フェーズにおいて選出された者によってふたたび同様の工程が行われる。一巡につき三四三分の一として選出された第一フェーズ選出者が三四三人集められたなかから一人を決するこの工程は、結果として一巡ごとに一一七六四九人のうちの一人を選出することとなる。いよいよ最終となる第三フェーズでは、第二フェーズにおいて選出された者によってふたたび同様の工程が行われる。一巡につき一一七六四九分の一として選出された第二フェーズ選出者が三四三人集められたなかから一人を決するこの工程は、結果として一巡ごとに四〇三五三六〇七人のうちの一人を選出することとなる(もちろん各工程において必ずしも人数がぴったり揃うわけではなく、その点は調整が成される)。第三フェーズの完了を以て当該儀式終了となり、そのとき初めて、全国民のなかから全国民によって選出された唯一無二の王が誕生することとなる。
当然ながら、国民が儀式の終了を待たず世を去ることもある。第一フェーズおよび第二フェーズ終了時点における選出者が儀式の終了を待たず世を去ることもあれば、儀式参加者が入り組んだ王宮内部をさまよった挙句餓死したり、階段を踏み外して転落死したり、病死したり、自殺したりすることもある。こうした不測の事態が生じるたびに選王院は儀式の調整を余儀なくされる――選王院とはこの儀式を統括する国家機関である。国民のなかでも高齢の者、持病のある者については早めに召喚すべきではないかという意見が提出されることも折々あるものの、国王選出における全行程においていかなる偏りもあってはならず、ましてや当局の介入などもってのほかという意見により退けられるのが常である。王としての器を推し量るのに年齢という要素が少なからず影響を及ぼしかねないことを考えると、選出途中で死することもある種の選出過程であると言うことができる。
次期王選出にまつわるこれら手続きは、最良の王を選出せんがためのものである。世界を見渡せば明らかなように、この儀式の煩雑さは他に類を見ない。もちろんわが国にあってもこの迂遠な方法について疑義が呈されることは珍しくない。例えば他国の国家元首選出のように、立候補者を募り有権者が投票する型式とすればよいのではないか。しかし結果はどうであれ、自ら進んで国王となりたがるような人間のみが結果として国王となるような方法など明らかに偏っている。では広く推薦を募ればよいのではないか。ただ衆目を集めることのみに秀でた中身のない人間が結果的に選ばれないとも限らず、他方ただ人目を惹かないというだけで潜在的に優れた王の器を取りこぼすことにもなりかねない。では他国の国王のように、ある血筋のものが代々その地位を受け継げばよいのではないか。それこそ言うまでもなく偏っており、私物化された国家は自浄作用を欠いて内部から腐り果ててゆくことは眼に見えている。では国民全員が持ち回りで国王を務めればいいのではないか。国王が単なる一役職と見なされればその権威が曇りを帯び、やがて形骸と化した日和見的な国王を頂いたわれらが王国は統制を失うだろう。
諸々の議論を経て今なお支持されるやり方が上記した方法であり、試みられるいかなる反論もわれらが王国のこの選出方式の完全性を裏付ける反証としての役割を果たすのみである。せめて王宮を用いた煩雑な過程を除いてはどうか、という意見が他国から聞かれる。七人一組のなかから王としてふさわしい人物を選び出しこれを繰り返す――これだけなら何も複雑な王宮を経巡ることもなく、ただどこかの小屋でも借りて行えば済む話ではないか、と。この点も他国の理解の及ばぬところではあろうが、むしろ煩雑、迂遠な過程にこそ核心がある。参加した者にとっては自明のことであろうが、しかしその核心とは何であるかを言明することは非常に困難である。対外的には、例えば以下のような説明が可能ではある――被召喚者は王宮に招じ入れられ、王宮に迷い、戸惑い、幾日も経巡るなかで己を見つめなおす。そして王の亡骸の各部位が配された王宮を、つまり王そのものであるところの王宮をさまようなかで被召喚者自身もまた王の一部、王の血液としての己が身をそれとなく自覚する。つまり個でありながら全体の一部としての自己を自覚するのだ――と。このような説明が当を得たものであるのかどうかは儀式に参加したことのある国民にのみ知られるところであろうが、多くの者が口々に述べるようにこの儀式の励行においては「ある特有の感覚」がある。それは王宮という通常見慣れない空間に身を置く所為なのか、室内の柱やドアや廻り縁に施された目立たないながらも極度に細かく意味ありげな彫刻の所為なのか、長く入り組んでひっそりとした人のいない空間に特有の印象なのか、次期王選出という役割に付随した印象なのか――何に由来しているのかはわからない。加えて御霊屋である。姿も見えず、声色も曖昧な状態で行われる対話は各々から各々としての個人性を漂白してゆき、次第に自問自答の色を帯びてゆく。七人のなかから王を選ぶ話し合いは、私の裡に秘められた七つの王の器を検見する内観の趣を濃くしてゆく。他人の問いは自らの内的な問いと等しいものと化し、他人のパーソナリティは自らに秘められた性質と等しいものとなる。斯くてわれわれは王の亡骸を中央に配した御霊屋を満たす一つの意識と化し、私を失し、問いを問い続ける。そして選択は、ほとんど気づかれないような仕方で行われる。気づいた時には選ばれているか、あるいは選ばれていない。単なる合意形成とも違う、何らかの選択が、結果的になされた、という印象がある。そこには何の思惑もなく、恣意もなく、だから我欲がないので、選ばれたこと、あるいは選ばれなかったことについて何の感想も持ちえない。なるべくしてなったこと、いわば当為と捉えられる。
その過程が内面化するほどにまで深められたこの儀式によって、われわれはわれわれの王と地続きの存在と化す。われわれは王の一部としての自己を自覚し、そして王とはわれわれの最良の部分であることを自覚する。加えてわれわれは各々が各々をその内側から生きられた存在として認め合うことになる。こうしてわれらが王国は、言葉によらない連帯を持つことになる。これがいかなることなのかを、われわれの国の外の人々に伝えることは難しい。それは何らかの制度で縛られた連帯なのではなく、実感を伴った、より現実味のある連帯であり、言葉で表すことができない。
慎重に慎重を期して、われわれのこの儀式は幾度となく繰り返される。一度召喚され選考から漏れた者がその人生のうちに二度三度と呼ばれることも珍しくはない。というのも、選考から漏れた者のなかにも手違いにより見落とされた王の器が存在したかもしれない。また当初は選考から漏れた者であれ十年二十年と時を経て大器晩成する者もいるかもしれない。こうした手落ちを避けるため、わが国はいかなる労をも惜しまない。
国王が崩御して今年で五二八年が経過するが、未だ次期王は選ばれていない。
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