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忘却と意志と偶然の問題【自動記述20250202】

 午後9時56分

 何かを見たら、
 何かを忘れる。
 何かを忘れたら、
 その何かは当然のことながら
 思い出されるということもないし、
 忘れたということを
 思い出すこともできない。

 だから灰色のロバが
 赤い草原で
 馬より速く駆けている姿は
 偽の記憶なのだろうと判断できる。

 赤い空に浮かぶ何者かの衣服と
 兎の群れも
 偽の記憶なのだろうと判断できる。

 しかしそうなると、
 思い出すというのはそもそも
 どういうことなのだろう? 
 思い出すということは実のところ、
 その時初めて浮かんだ着想がたまたま
 馴染みのあるものだった
 というだけの話なのではないか。

 感触だけを頼りに文字を綴る行為も
 こうして続けているとそれなりに
 道筋というものが見えてくるもので、

 今となってはそこいらの人間と遜色のない言葉を
 綴ることができている。

 当然のことながらこのような文章はまるで
 意図することなく書いているのであって、
 文章が作文者の本位を反映している
 と思うのは勝手だが、
 それは一面的な見方であり、
 恣意的な見方であると付言しておく。

 当然のことながらこのような文章もまるで
 意図することなく書いているのだから、
 以下同文となる。

 サーバールームに紛れ込んだ直径1メートルの
 昆虫は故障したディスクを取り換えている。

 行列を作る人々の先には実のところ
 何もない。
 皆、
 空虚が好きなのだ! 

 素晴らしい世のなかになったものだ。

 人が人権を逸するほど詰め込まれた電車のなかで、
 誰一人として座席に座ることがないという状況が、
 まったくの偶然によって生み出された可能性を考えよ。

 恐らくそこから、
 その考察から、
 世界の中心へと向かうことができるだろう。
 世界の核心へと向かうことができるだろう。

 飛べるのにも関わらず、
 ただ意志的に飛ぼうとしない鳥は、
 飛ばないほうが良いのだという
 ルサンチマンを抱えているのだろうか? 
 そう捉えるのは尚早で、
 あるいはただ怠惰なだけなのか
 と捉えるのも尚早で、
 ただ飛んでいないだけで特に何でもない
 と捉えるのは中道の狂気に属する。

 小麦粉をはたいて食材の食感を保つ調理法を
 試してみよう。
 それから煮込み料理を、
 際限なく煮込んだらどうなるのかを
 試してみよう。
 旬の食材を試してみよう。
 夏野菜に冬の湧き水を注いで煮込んでみよう。
 山奥の滝を訪れた、
 いと化粧じた女子たちのそぐわない光景を思い出しながら。

 猫は実のところ世界の背景なのではないかという疑いについて、
 いずれ詳しく文章にしたいと思いつつ、
 梅昆布茶を飲みながら記述を終えよう。

 午後10時8分

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