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水のなかを行く人々は、【自動記述20241212】

午後10時35分

 水のなかで呼吸する人は苦しげな様子も見せずただ水底を歩いてゆく。

 水の中で呼吸する人々は水底で苦しげな様子もみせず各々の暮らしを淡々と営んでゆく。

 水のなかで呼吸する人々は自分たちが水のなかで呼吸しているということをまるで気づいていないかのように呼吸し、歩き、食べ、寝、生きている。

 水のなかで呼吸できない自分は乾いた大地をただ歩き、誰もいない大地をただ歩き、食べ、寝、生きている。

 あるいは生きていない。

 あるいは真に生きている。

 水のなかは偽りの世界。
 水のなかは真実の世界。
 水と親しむこと。
 水を忌避すること。

 星が水面に移り、水面みなもに移った星を本当の星だと思い込んだ人々は、天が水面という平面に展開されるものと信じて疑わない。

 水のなかを行く人々は、水という幅のなかを移動する。

 水のなかを行く人々は、ほとんど水面の上に顔を出さない。
 溺れると思っているから。
 そう確信をもって言える。

 水のなかの人々が水のなかを出ないのは、水のなかから出られないのではなく、水のなかから出られないと思い込んでいるだけなのだ。
 そう確信をもって言える。

 そう確信を持つということ自体が自分自身の願いに過ぎない可能性を自覚したうえで、そう確信をもって言える。

 水のなかの人々に、水の外の世界は見えないらしい。

 水鏡が中と外とを区切っていて、そこから先に世界はまるでないもののように水のなかの人々に見せている。

 だから水のなかの人々とは、話そうと思っても話せない。
 たとえ言葉が通じても。
 たとえ想いが通じるとしても。

 水のなかを覗く生活もそろそろ止めにしなければならない。
 水のなかをあまり覗きすぎるのはよくないと言われており、あまりそれをしすぎると目や耳や口や肛門から大量の水が溢れて溺れると言われているから。

 言われているだけではなく、事実として見たことがある。
 あまりに水のなかを覗きすぎて目や耳や口や肛門から大量の水が溢れだし、たちまちに溺れた人のことを。

 それは旅人だった。
 旅人は水の筋を追って歩いてきたのだった、だから彼にしてみればただ単に水の筋を追ってしまっただけで、自分が旅をしているなどとは思っていなかったのかもしれない、いや思っていなかっただろう。

 彼はボロボロの服で、痩せこけて落ちくぼんだ眼窩に鈍く光る眼球で水面を常に眺めていた。

 町の水路という水路を、迷路のような水路を経めぐっていった。

 誰が話しかけても言葉がなく、頷きひとつ返さなかった。

 そうして網の目のように巡らされた水路のすべてを踏破し、やがて山を登り始めた。

 水に魅入られた男は山の細流をたどって道なき道をのぼり詰め、身体じゅう泥にまみれながら、痩せた身体をさらに針金のように痩せ細らせながら、やがて水の湧く場所までたどり着いた。

 それから男は見ることの終結として眼球から水へ飛び込んでいった、いや吸い込まれていった。

 そうして水面の向こう側で、一匹の、小さいヨコエビになってぴょんぴょん跳ねてどこかへ消えた。

 そこまでを追跡した自分は、水に魅入られたものに魅入られた者となった。

 水に魅入られた者を見ることで水を見ようとしているのかもしれなかった。

 水に魅入られることはなかった、なぜなら水とは、

午後10時48分

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