
積み上げること【自動記述20241218】
午後10時57分
特に素晴らしかったのは布切れが風になびくそのさまで、風というものが布という媒介を通して可視化され実体化するようなところがあった。
土埃を巻き上げて膨大な風が巻き起こった瞬間には歓声が起きた。
そうして風が、地に付置された布のすべてを空に巻き上げて消し去るまで人々の歓声は止まなかった。
そのために、そのためだけに織り上げてきた布なのだから。
布一枚を織り上げるのにどれだけの苦労があるか、知らないものはこの場にいない。
だからこそそれは美しい光景なのだった。
必死になって積み上げてきたものは、いちどきに壊すのに限る。
いやむしろ、必死になって積み上げるという行為そのものが、いちどきに壊すために行われるのだから。
ダムの水は溜めれば溜めるほどよい。
なぜなら、ダムが決壊したときより劇的に水が溢れ出すのだから。
金というものは溜めれば溜めるほどよい。
なぜなら、破産したときより絶望的になれるのだから。
守るべき大切なものというのは多ければ多いほどよい。
なぜなら、それらが総じて失われたときよりショックが大きくなるのだから。
そうしてわれわれは積み上げる。
やがて来るべき喪失のときを夢見て積み上げる。
積み上げに積み上げたわれわれの希望は、絶望へ至るための一つの伏線にすぎない。
よりあからさまな伏線を作ることができれば、恐らく神がピックアップして確実な絶望を与えてくれるだろう。
そうしてわれわれの精神は崩壊し、
身体は遊離し、
魂は砕け散り、
もはや二度とこの世に留まることのできない雲霞と化して消えてゆく。
そうして消えてしまえばもう何も残らない。
消えなければ何かが残り、それは誰かの希望として供されることだろう。
このような輪廻から逃れることは明らかによいことではないか。
だからこそわれわれは、私は、積み上げる。
金銭を、
財産を、
経験を、
人生を、
何もかもを積み上げてから、
それらに油を掛けて火を放つそのときを夢見ながら。
午後11時6分