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水難者へ【自動記述20250129】

 午後10時32分

 浮かんだ想念をひとつひとつ精査しては結局
 すべてを捨ててゆく行い。

 そうして頭のなかを空にして、
 身体のなかも空にして、
 薄皮一枚でこの世にかろうじて留まる。
 風船のように浮ついた存在としてこの世に
 留まる。
 風が吹けば飛ぶような存在としてこの世に
 留まる。

 ネズミが天井裏を駆け巡って、
 家の戸口からはイノシシが入り込んで、
 破れた天井から注いだ月明かりが
 荒れた畳にひとすじの光を映し出す。

 それから世界は横にずれる。
 陸地の見えない海の真ん中で、
 高所恐怖にも似た寄る辺なさに
 身をすり減らし、
 身を失った者は最終的に
 魚となる。

 それよりほかに恐怖から逃れる方法はないだろう? 
 えらで呼吸ができるようになればそこは安住の地と化して、
 水面へ出て空の空虚を眺める必要などなくなるのだから。

 夜には焚火をするのがよい。
 そんなことを誰かが言っていたように記憶している。
 陸地に焦がれた途端、
 呼吸はままならなくなる。

 熱帯地方の原住民が見る夢は、
 人類の見る初めての夢。

 空に浮かぶ雲を何に例えようか、
 ただ迷うだけの人生を送りたい。
 そのように幸福な人生がありうることを信じたい。
 いや、信じたいとは書きたくない。
 信じるということをしたくない。
 ただそうありたい。

 だから火に飛び込んだのだった、
 何の根拠もなく。

 一番やってはいけないこと、
 やりたくないことは、
 実はこれまで隠匿されていた道へつながる
 選択肢なのではないかと思ったから。

 これまでとは何だ。
 自分は、
 人類を代弁しているのだろうか。
 あるいは。
 人類を代弁することを免れることなど、
 われわれが言葉を話す存在である以上
 ありえないだろう。
 癪なことではあるものの。

 だからといって自分にだけ通じる
 言語を自分で自作するのは馬鹿げている。
 翻訳可能性がわれわれに
 底なしの退屈を与えるということに
 無自覚な人間は、
 だから口をつぐむことを知らない人間だろう。

 そうして鳥になって、
 魚になって、
 サンショウウオになって、
 人は。

 冷たい水のなかで身を縮めることでのみ
 生を、
 ほんとうの生を感じることのできる人間はもう
 他人と語る口を退化させて、
 内側へ向けた口をむしろ
 進化させることだろう。

 なにもかもが馬鹿らしく、
 そして愛おしく思えたときはじめて、
 世界には色がつく。

 いや、世界に色がついているのだということが
 初めて見え始める。
 それから始めても遅くないのではないか。

 慰めではない、
 これは冷静な意見だ。

 午後10時43分

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