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留まることを許されないわれわれは【自動記述20241231】

 午後11時47分

 日の出を水平線へ押し込めて、日の巡りを閉じた。
 巡らなくなった日が地の底で光を発し続け、地は無窮に熱されていった。
 やがて地が光輝き出したとき、世界には空を飛ぶ生き物以外に生存を許されたものはいなかった。

 空を飛ぶ生き物は地に降りることを許されず、その生のすべてを空のうえで始め終えることが定められた。
 永久に飛ぶことを宿命づけられた生き物たちは、中空をただただ漂うか、さもなくば素早く行き過ぎるかするよりほかになかった。

 そうしたなかで生き物は点から次第に線となり、
 線から次第に円となって世界を環状に閉じていった。

 上書きされた世界は生き物の軌跡に内包され、
 内包された地の輝きは次第に失われていった。

 軌跡が地をなし、軌跡の地のうえに新たな生き物の営みが生じた。

 それがわれわれである。

 軌跡が地をなすなどということがありえるのかと、今となって人々が疑い始めた、それほどわれわれの生は確固たる地に基づいているように思われていたのだった。

 不思議なことに。
 われわれの地が永久に空を飛ぶ生き物の軌跡によって成り立っているなどということは信じられないのだった、われわれには。

 自らの拠って立つ地が不確かであることに気づくには、自らの拠って立つ地から離れなければならないのだから、それは当然のことと言えた。

 自らの拠って立つ地を、だから確固として捉えたがった人々は、ふたたび永久の空の旅へと立つことになったのだった。

 そうして軌跡で織り上げられた第一世界の上に、さらに軌跡で織り上げられた第二世界が誕生したのだった。

 そうなるとその上にさらに軌跡で織り上げられた第三世界、第四世界、第五世界が誕生するのは道理というもので、そのようにしてわれわれの世界は無窮に階層化していったのだった。

 すべての階層を超えて真の地に、つまりその上がもうありえない第n世界へ至りつくことが、いつしか人々の目標となった。

 だから人々は己の拠って立つ地を常に疑い、
 そうして地から浮遊し空を飛び、
 空を飛ぶことで地をなし、
 さらにその地から飛び立つということを唯一の生の営みとして一生を送ることとなった。

 そうして人々は飛び、
 行き去り、
 交わることなく、
 世界を繰り上がることで生を持続させる無限の人生を手に入れたのだった。

 人は留まることなく飛び続けた、
 留まると死ぬのだった。

 留まることで死を得た人間は、
 飛ばない者としての空しさを胸に抱き、
 胸に抱かれた空しさに落ち込んで質量のない点と化した。

 そうして人々は、最終的には質量のない点と化すことで己の存在を滅していった。

 無限の時が約束されていれば、われわれは必ず最終的には質量のない点と化すだろう。

 それを恐れれば恐れるほど、
 人々は飛んだ、
 飛んだ、
 飛んだ。

 飛ぶことよりほかに生を持続させることはできないのだから。

 午前12時1分


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