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「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展(-2025.2.16)・八幡市立松花堂庭園・美術館
閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。
本記事は、2025年1月11日から2月16日まで八幡市立松花堂庭園・美術館(京都府八幡市)にて絶賛開催中の「平成七年新春展 武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展について、弊方による雑な飛報とご理解頂けますと幸甚です。
ということで、八幡市立松花堂庭園・美術館ウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
https://shokado-garden-art-museum.jp/
note を始めてから松花堂庭園・美術館の企画展について記事を投稿させて頂くのが3回目になります。松花堂庭園・美術館ばかりお伺いしているわけではないのですが。
最初に投稿させて頂いたのが、2023年4月15日から5月21日まで開催の「世界初の女流絵本作家? 居初つな -かわいい♡に恋する-」展でした。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
2回目が、2024年10月12日から11月24日まで開催の「仙人ワンダーランドへようこそ!」展でした。こちらも僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展ですが、弊方的にはたいへん激萌えの企画展でした。まぁ、弊方、しょっちゅう激萌えとか品のないこと言うてますので、当てになりませんでしょうか。「修行の足らんグルメリポーター」みたいですね。
どういう意図かというと、熟練のグルメリポーターの先生方はお料理を召し上がったときに、煌びやかなお言葉でお料理のお味をご説明なさると思うのですが、修行の足らんグルメリポーターは、何食べても「うまい!」とか「おいしい!」とかしか言わないように思いまして、めちゃくちゃ好みであっても、口に合わなくても、特に可もなく不可もなくという状況であったとしても、「うまい!」とか「おいしい!」とか言われへんのやったら、そらあんた修行が足りまへんで! という感じだと思って頂ければと思います。
それはともかく、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展ですが、「武士たちが愛した」となると弊方としては「御用絵師(御絵師)」を思い浮かべます。
実際、狩野派は、室町幕府の「御用絵師」であり、安土桃山時代の天下人の「御用絵師」であり、江戸幕府の「御用絵師」であるという、まさしく「御用絵師」の中の「御用絵師」という感じがします
ところが「雲谷派」に関しては、狩野派に比べれば知名度はかなり低いのではないか、という印象を弊方持っております。
雲谷派に関しては、インターネットを安直に検索して頂ければいろいろ記事が検出されると思うのですが、よりわかりやすく簡潔な解説として、2011年に島根県立石見美術館にて開催された特別展「雲谷派 雪舟を継ぐ者たち」展図録の「ごあいさつ」から、僭越ながら下記の通り引用させて頂きます。
桃山時代から江戸初期にかけて活躍した雲谷等顔(うんこくとうがん/一五七四-一六一八)は、独自に雪舟の絵を学んで雪舟末孫を称し、毛利家のお抱え絵師をつとめました。以後、雲谷等顔の一派は江戸時代を通じて毛利家の納めた萩藩を中心に活躍し、「雲谷派」と呼ばれています。
弊方がインターネットを安直に検索した結果では、雲谷派の展覧会はかなり多く開催されているようなのですが、その開催地は、毛利家すなわち長州藩(萩藩)のおひざ元である山口県と、隣接する島根県石見地区に集中しているようでした。
それ以外には、福岡県と佐賀県での開催も確認できましたが、関西や関東・東京では雲谷派の展覧会/企画展の開催は確認できませんでした。
ちなみに弊方が確認できた雲谷派関係(と推測されるものも含む)の展覧会/企画展を、僭越ながら下記の通り挙げさせて頂きます。
[島根県立石見美術館]
特別展 雲谷派-雪舟を受け継ぐ者たち- 2011.1.2-2.28
コレクション展 雲谷派 2016.11.9-12.26
コレクション展 雲谷派-雪舟を受け継ぐ 2019.11.6-12.16
[益田市立雪舟の郷記念館(島根県)]
特別展 雲谷派の世界 ~雪舟の後継者たち~ 1994.4.29-5.29
特別展 雪舟 雪村 雲谷派 水墨画へのいざない 1995.10.1-11.5
雪舟終焉地に集う日本画 ~雲谷派・津和野藩絵師~ 2003.10.1-11.30
雪舟益田没後500年記念 雪舟周辺とその画風の継承 2005.3.11-4.24
特別展 雪のごとく、舟のごとく 雪舟の弟子、雲谷派がめざしたもの 2006.10.7-11.30
雪舟を受け継ぐ 雪舟流雲谷派・水墨の輝き 2007.11.1-11.30
墨絵-雲谷 2012.10.6-11.30
開館25周年記念特別展 雪舟末裔の画家たち 2015.10.1-11.29
雲谷派~等益が描いた雪舟流~ 2018.10.4-11.30
雪舟イズム-益田家と雪舟流- 2020.10.17-12.13
[山口県立美術館]
テーマでくらべる 雪舟と雲谷派 2014.10.30-11.30
没後400年 雲谷等顔展 2018.11.1-12.9
雪舟600年 vol.2 雲谷派の花鳥図 2021.1.9-2.21
新指定・重要文化財紹介 雪舟と雲谷派 2023.10.13-12.3
[福岡市美術館]
福岡と雲谷派 城郭襖絵「梅に鴉図」の謎 2009.1.6-2.8
[萩博物館(山口県)]
萩藩御用絵師 雲谷派の世界-雪舟を受け継いだ画家たち- 2007.4.17-6.26
[鹿島市生涯学習センター・エイブル(佐賀県)]
能古見が生んだ水墨画の巨匠 雲谷等顔 2018.10.2-12.24
なお、益田市立雪舟の郷記念館は、偉大なる雪舟先生がお亡くなりになったのが島根県益田市であったことにちなんで設立された模様で、また雲谷派が雪舟先生の正統後継者を自認されていたこともあって、同館で雲谷派の展覧会/企画展の開催が多い模様です。
また、佐賀県鹿島市の生涯学習センター・エイブルにて開催された展覧会/企画展は、雲谷派初代の雲谷等顔先生が鹿島市の能古見のご出身だったことによるものだそうです。
弊方、益田市立雪舟の郷記念館、山口県立美術館、萩博物館、鹿島市生涯学習センター・エイブルにはお伺いしたことがありません。機会があれば(機会をつくって)ぜひお伺いしたいと思います。
ところで、狩野派は、江戸幕府の御用絵師だけでなく、京都の朝廷(禁裏)の御用を務めた(禁裏御絵師)鶴澤派や、諸藩の御用を務めた御抱絵師など、江戸時代に「全国制覇」を成し遂げ、近世絵画界の最大勢力と思われます。これに対して雲谷派は、長州藩とその周辺に限定されるみたいです。
そうすると、雲谷派は狩野派よりも「格下」っぽい感じがしなくもないのですが、江戸時代にはたいへんな権威をお持ちになっていたようです。
室町時代くらいから江戸時代まで、優れた画人には「僧位」すなわちお坊さんの位が朝廷(あるいは朝廷から許可のあった権威あるお寺)から授与されたそうなのです。「中央」で活躍する狩野派の重鎮の方々にも「僧位」が授与されていたそうなのですが、「地方」の絵師であった雲谷派のご当主にも「僧位」が授与されていたそうです。
御用絵師ヲタク必読の書『近世御用絵師の史的研究 幕藩制社会における絵師の身分と序列』から、僭越ながら次の通り引用させて頂きます。
雲谷家は初代等顔以来、萩毛利家の御絵師を勤める名家である。初代等顔は、毛利輝元より雪舟の「山水長巻」と「雲谷庵」の号を拝領した。これにより、同家は「雪舟伝来の家(雪舟流の正統的継承者)」を称することとなった。等顔の長男等屋は別家を立てて独立し、次男等益が本家を継いだ。本家・別家ともに、その嫡男は法橋位に叙されるのを常としたが、本家の場合、等益からその孫・等璠まで三代にわたって法眼に叙されている。
思文閣出版 2008年 第182ページ第2-5行
「勅許による絵師の叙任について-近衛家『御用雑記』を中心資料として-」鎌田純子 より
「僧位」は下から順に、「法橋(ほっきょう)」、「法眼(ほうげん)」、「法印(ほういん)」となるそうで、「法橋」の位を頂くだけでも、ものすごい権威があったらしいです。雲谷家の二代目から四代目までは、「法橋」の上の「法眼」の位に叙されていたということですね。
さらに、上記引用させて頂いた『近世御用絵師の史的研究』に収録される鎌田純子先生の論文「勅許による絵師の叙任について」には、鶴澤派三代目の鶴澤探索先生の法眼叙位についても解説されており、鶴澤探索先生は、異例の速さで「法眼」に叙されているそうなのですが、この叙位の根拠として、雲谷等璠先生の叙位が挙げられているそうです。ちなみに、先ほどの引用箇所は、雲谷等璠先生から数えて三代後の雲谷等陳先生の法橋叙位についての解説からです。
さらにちなみにですが、鶴澤派に関しては、京都文化博物館にて2024年11月30日から2025年1月26日まで開催されていた「鶴澤派探求-朝廷御用絵師の要-」展について、弊方の雑な記事を投稿させて頂いておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
それはともかく、狩野派に匹敵する権威をもつ雲谷派の展覧会/企画展の開催は、山口県や島根県石見地区とその周辺に限定されていると考えられるのですが、それがまぁなんと、関西において雲谷派の展覧会/企画展が開催されるとは! 偉大なる雲谷派の作品群を関西でまとまって拝見できるとは!! えらいこっちゃえらいこっちゃ!!! という感じの超絶激レアな激萌え企画展ということを申し上げさせて頂きたいと思います。
さて、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」ですが、当然写真撮影禁止ですので、同館入口を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1738671449-WxEDeomBzhq6QPaG9Np8wgFf.jpg?width=1200)
本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」の展示リストには、合計30作品(または資料)が掲載されておりました。一部展示替えがあるため、弊方がお伺いした前期展(2025年1月11日から1月26日)では、合計27作品が展示され、そのうち18作品が雲谷派の作品で、残り9作品が狩野派の作品でした。
松花堂庭園・美術館ウェブサイトにおける本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展のページには、展示リストがPDFでリンクされているのですが、松花堂庭園・美術館ウェブサイトでは、過去展のアーカイブが残されていないので、また写真撮影禁止なので写真も少ないですので、会場で配布されていた展示リストの雑な写真を掲載させて頂きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1738671511-euBsvNJtpCKMjg1mIEfhF3QL.png?width=1200)
弊方が入手できた過去展または古書の図録に掲載されていると考えられる作品は、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」では展示されていなかったように思います。弊方個人的に興味深かった作品に関して、会場で鉛筆手書きでメモさせて頂いたものを下記の通り翻刻させて頂きます。括弧内は弊方の所感です。
○作品No. 4 「山水図襖」 雲谷等益 襖絵四面 紙本墨画加彩
元は屏風の右隻の絵であったものを襖絵にかえたもの
○作品No. 5 「山水図屏風」 雲谷等顔 六曲一隻屏風 紙本墨画加彩
等顔が雪舟の山水画を学んだことを示すもので、一雙あった内の左隻だけが残ったもの。雪舟の山水図に描かれた景物によって構成されている。
○作品No. 7 「唐子図屏風」 雲谷派 六曲一隻屏風 紙本彩色
作者不明の雲谷派作品。岩や木の表現などに雲谷派らしい描き方が見られる。
(屏風の裏に桜が描かれていた。肉筆ではなく藍地に木版刷りか?)
○作品No. 13 「山水図」 雲谷等顔・沢庵賛 掛幅 紙本墨画
草体と呼ばれる簡略化された形をすばやい筆使いにより描いた水墨画。雪舟の破墨山水図などを学んで描いている。
(なお、他にも作品No. 29 「瀟湘八景図帖」 雲谷等顔 冊子 絹本墨彩 に草体の作品が見られた。)
○作品No. 18 「山水図 双幅」 岡野洞山 掛幅 絹本墨画加彩
江戸時代の狩野派の山水図として典型的な作品であるが、遠近の表現などに江戸時代後期の写実的絵画の影響が感じられる。
(落款「法橋洞山六十五翁筆」 瓢箪印? と方印が重ねて推されていた。)
○作品No. 19 「山水図巻」 勝園 巻子 紙本墨画
勝園(?~?)についてはよくわかっていない。橋本雅邦も勝園を名乗っていたというが明確ではない。
○作品No. 21 「仙人図屏風」 永徳派 六曲一隻屏風 紙本墨画
永徳作品との近さを感じさせるところがあるが、永徳筆とするのは難しい。小さな馬が描かれていることから張果老などを描いていると考えられる。何らかの事情(破損など)により、大きな屏風か襖に描かれ得ていた人物の部分だけをまとめたものであろう。
○作品No. 25 「赤人図」 狩野徳翁齋 掛幅 絹本彩色
江戸時代前期の狩野派の絵師で諱を俊信という。徳翁齋についてはよくわからないが、加賀地方に作品が残ることから加賀藩に関係のある絵師であったように思われる。
(落款「狩野法橋徳翁齋」壺印「俊信」)
○作品No. 28 「瀑布図」 狩野常信 掛幅 絹本墨画加彩
滝を描いた画であるが、画面を大きく占めるように滝が描かれ、あまり見られない。
雲谷派の方が展示作品が多かったのに、メモでは雲谷派と狩野派とが半々くらいになっておりますね。申し訳ありません。
そうはいっても、雲谷派の作品群が関西においてこれほどまとまって拝見できることは、まずないようにと思います。松花堂庭園・美術館すげー!!!
なお、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」では、「巳年にちなんで」という小企画が併催されておりました。展示作品は3作品でした。
○作品No. 31 「伏見人形 寶の巳」 山本紅雲 色紙 紙本彩色
山本紅雲(1896~1993)伊丹市生まれの日本画家で、竹内栖鳳に学び、帝展などで活躍した。
○作品No. 32 「宝珠に蛇 雑画巻より」 松村景文 巻子 紙本墨画
(蛇の細長い身体を円形に描くことで宝珠を表わしているようなユニークな描写)
○作品No. 33 「鵺図 専形帖 第一帖より」 立松義寅 冊子 紙本墨画加彩
立松義寅(1810~1883)は、尾張の裕福な家に生まれ、京都で松村景文に師事し、10年余り学んだ後に故郷に戻り制作を続けた。
(画面右に猿面の鵺の上半身が描かれ、画面左の句も魔から鵺の尾の蛇が頭を出している。)
さらに本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」では、展示室外の廊下の壁面に、展示作品から雲谷派の5点の達磨図がピックアップされて比較展示される写真パネル展示がありました。
弊方、雲谷派の先生方の作品は、わずかながら実作品を拝見したことがないではありません。しかしながら、ほとんど写真図版でしか拝見したことがないといった方がよいと思います。仮に実作品をたくさん拝見できていたとしても、どういうところが「雲谷派」らしいのか、よくわかっておりません。
雲谷派の先生方は、「画聖」雪舟先生の正統後継者を自認されておりますが、狩野派の諸先生方も雪舟先生を強くリスペクトされているそうなので、雲谷派と狩野派の間の作風の違いが、弊方みたいなシロウトのヲタクにはよくわからないと感じです。
例えば、先ほどの作品No. 7 「唐子図屏風」ですが、中国の子供たちがキャッキャウフフしている感じの微笑ましい作品なのですが、狩野派でもこういった作品はあるそうで、弊方も実作品を拝見した記憶があります。
また、この作品No. 7 「唐子図屏風」は、子供たちの様子が「雲谷派」らしいのではなく、岩や木の表現が「雲谷派」らしいそうなのですが、弊方にはよくわかりませんでした。狩野派の作品と言われても、弊方には当然見分けがつかないと思います。
雲谷派らしい作品に関しては、例えば、福岡市美術館に収蔵され、過去の展覧会のメインにもなった、「伝雲谷等顔」とされる「梅に鴉図」という重要文化財作品があり、文化遺産オンラインでも一部が拝見できますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
あるいは、山口県立美術館に収蔵される、雲谷等益先生の「瀟湘八景図」も、同館(山口県立美術館)のウェブサイトで公開されておりますので、こちらも僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
我らが偉大にして親愛なる曾我蕭白師匠が、雲谷派の影響をかなり受けているという説があるそうで、実際、めっちゃ蕭白師匠っぽい感じの雲谷派の山水画作品を拝見したことがあります。
ところが、蕭白師匠は、「京狩野」の流れを汲む高田敬輔先生の門人であると考えられており、やはりめちゃ蕭白師匠っぽい雰囲気の狩野派の山水画作品を拝見したこともあります。
そういった意味でも、弊方に、は雲谷派と狩野派の区別はつきませんでした。例えていうなら、CLAMP先生のオリジナルカラー原画と複製原画との区別がつかないような感じでしょうか?! ちょっとちがいますかね?!
あと、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展において、雲谷派ではない狩野派の作品として、個人的に印象深かったのが、先ほどの作品No 18 「山水図 双幅」でした。
この作品の作者は、法橋・岡野洞山先生なのですが、岡野洞山先生の作品は、弊方以前に拝見したことがあります。
どちらで拝見したのか?! といいますと、先ほどの島根県立石見美術館において、2023年7月8日から8月28日にかけて開催されていた「没後150年 山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展でした。
ということで、本記事は写真が少ないので、雲谷派とは直接関係ないのですが、狩野派は関係するということで、「山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展の会場の雑な写真をひとつ、僭越ながら掲載させて頂きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1738671684-Dapzv5LUMJlys3dItw68qVmP.jpg?width=1200)
山本琹谷先生は、「やまもと きんこく」とお読みするそうです。我らが偉大にして親愛なる横井金谷(よこい きんこく)先生とは関係はないと思います。「琹」の字が環境依存なので、もしかするとちゃんと表示されないかもしれません。「王」二つの下に「木」という字です。「琵琶湖」の「琵」または「琶」の下が「比」または「巴」ではなく「木」になっている漢字です。
山本琹谷先生は、江戸文人画界の巨匠、渡辺崋山先生の門人で、「崋山十哲」のお一人にも数えられる、津和野藩藩士の武士であり文人画家であるそうです。
山本琹谷先生は、津和野藩の御用もお務めになったそうですが、津和野藩には狩野派の御抱絵師もおられて、そのお一人が岡野洞山先生だったそうです。
「山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展では。小学生以下にもわかりやすいパンフレットが配布されておりましたので、そちらの雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1738671717-dvgRBVFhlxYbafePCy54pirO.png?width=1200)
こちらの雑な写真は、パンフレットの1ページ目(左)と4ページ目(右)なのですが、4ページ目に「岡野洞山美高」のご尊名がバッチリ記載されていることがお分かりかと思います。岡野洞山先生は、津和野藩御抱絵師・岡野家の歴代ご当主の中でも特に優れた画人でいらしたようで、「山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展では、作品No. 87, 88, 90の3作品が展示されておりました。
まぁ、それがどないしたんや?! とご指摘されれば、そうですね?! という感じなのですが、「山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展が素晴らしく激萌えであっただけでなく、島根県立石見美術館にお伺いするのにかなりたいへんだったこともありまして、個人的に思い入れが強いみたいな感じでご理解頂ければと思います。
本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展の写真が少ないので、僭越ながら「山本琹谷と津和野藩の絵師たち」展の図録とチケット半券と島根県立石見美術館の2023年パンフレットの雑な写真を掲載させて頂きます。
![](https://assets.st-note.com/img/1738671744-Sd9ajUEclOhoknmLtf2DqWz8.jpg?width=1200)
短い飛報とかいいながら、相変わらず長くなってしまい、たいへん申し訳ありません。
いずれにせよ、本展「武士たちが愛した近世絵画 雲谷派と狩野派」展は、規模が大きくなく図録の作成もありませんが、お伺いして損はしない激萌え展覧会であると、弊方推させて頂きます。
以上、閲覧頂きありがとうございました。