花開く瞬間を目の当たりにして。
オリンピック嫌いである。
これは、私含めて東京オリンピックを通して一連のグダグダに対してうんざりしてしまった日本人特有の五輪に対する嫌悪感というか拒否感を持ってしまっている。
これは、2020東京オリンピックについて、
当時の自分の恋人が国外にいて入国の術が全くないのに、選手団が入国してくることに不公平感を強く感じて、入国してくる選手団が羨ましくて憎らしくてこんな不公平を許す日本政府が許せなかった。
という、個人の事情も多分に絡んでいる。
しかしながら、
あれから2年ほど経ちまして、私は当時の香港在住香港人彼氏とはとっくの昔にお別れしてて、
コロナも終わってて、多くの事情が異なる中でパリ五輪は幕を開けた。開幕当初は見る気なんてなかったのだが、ちょうど実家に帰ってるタイミングで目にした柔道に思いの外感動してしまいポロポロ泣いてしまったのでそれについて書きたいと思う。
実家とは、リビングがありそこにはテレビがあり、テレビの前には一家の主の母親がデンと陣を取っておりテレビ権という家庭内最強の覇権を握りしめている。
で、私が帰省中この覇権を持ちし母が選んだのは当然オリンピックだった。
柔道男子60キロ級と柔道女子48キロ級。
いつもならすごすごと自室に戻り、スマホで好きな動画を見るところだが、
男子の永山選手が28歳で、
女子の角田選手が31歳ということで自分と全く自分とのライフステージが被っていたので、
「お?」
と思い、母の隣に座り少し見てみることにした。
恥ずかしながら五輪を見たことはほとんどなく、
浅田真央16歳、やわらちゃん(古すぎる)が確か14歳?とかなんとか。
大きく話題になる選手が大体10代から20代の前半が多いので、すっかり五輪とは若い若い人たちが戦うものだと思っていたのだけど、
どうやら私の先入観は間違っていたみたいだった。
さて、ここから先を読むにあたって柔道が好きで好きでずっと追いかけて見てきた方や、詳しい方から見るとトンチンカンでイライラすることころもあると思うのだが、
私はそれまでまっったく柔道を真剣に見たことがなかったし、初めてしっかりとオリンピックをしっかり見た人間なので、本当に寛大な気持ちで読んで欲しい。
話を元に戻す。
とにかくテレビの横に座ってから私はずっとずっと角田選手に目が釘付けだった。
31歳という年齢で女性としてのライフステージで心が揺らぎまくる年齢のど真ん中で、五輪初出場で。
これまでどんな思いで柔道をやってきたんだろう。
谷亮子選手以降20年間48キロ級で金メダルは出てなくて。
もしも、ここで角田選手が金メダルを取れば日本の通算500個目の金メダルで。
層が厚くて強豪日本の代表選考で自分が出た代わりに五輪の畳を踏めなかったライバルたちの思いと涙。
彼女を取り巻く全てを背負い込んでそれでも顔に表情を宿すことなく淡々と鋭い目つきで身一つで立ってる姿がすごくすごく覚悟が決まっているように見えて、
「ああこの人はここに勝ちにきてるんだ。
これまでの人生の全部を背負ってこの畳の上で全てを手に入れるためにここにいるんだ」
と思うと胸が熱くなった。
本気で勝負に出る人間とはこんなにも壮絶で美しいのかと呆気に取られてしまった。
「来ると分かっていても止められない、角田選手の巴投げ!」
というアナウンサーや解説の声を予言のようにして、見事に巴投げや関節技を次々と繰り出し、
買った後もにこりともせずにただ彼女だけ別の世界にいるようにそこにただ彼女は存在していた。
モンゴル代表選手に勝った後もフワフワとしていて、銅メダルのスウェーデンの選手のように喜びを爆発させることなく淡々としていた角田選手が、会場の天井を日本の国歌に乗せて上へ上へとゆっくり登っていく日の丸を目に焼き付けるように見つめながらほろりほろりと涙がこぼれ落ちてきた時に、私も一緒に泣いてしまった。
柔道発祥の地の日本にはきっと信じられないくらい強い選手が何人もいて。
そんなライバルを押し除けてオリンピックに出れるチャンスは二度も三度もない。
アスリートとして若手と比べて少なすぎる残り時間。
彼女を取り巻く厳しい現実を何回も何回も突き破って、
周囲のノイズに耳を塞ぎ、
これまでどんな思いでこの表彰台まで自分を連れてきたんだろうと思って考えて見たら、
自分だって何かすごいことができるんじゃないかなあって熱い気持ちになった。
うーんこれが、俗にいう。
「勇気をもらう」ってやつなのかなあ。
今まで馬鹿にしてたけどそういうことって本当にあるのか。
と、苦笑いしてしまった。
そして、同じ日に不可解な判定によって血を吐く思いをして掴み取った五輪の夢を踏み躙られた選手もいた。
永山選手、28歳で私と同じ歳だった。
判定は覆らなくて、畳から降りた後で気持ちを切り替えてものすごい勝負師の顔をして敗者復活戦に出てきた永山選手はどうやって気持ちを切り替えたんだろう。
永山選手が「4年後金メダルを取る」と、コメントしているのを見て、
この人がこれから4年かけて掴み取ろうとしてるものの半分でも四分の1のものでもいいから自分だって掴み取るために必死に生きてみたいと思った。
2人の選手のたどった結果や、道のりを見ていたら、自分の抱えていた悩みや、戸惑いや、重ねてきた言い訳が全部馬鹿馬鹿しく感じた。
ライフステージがどうだとか。
自分で人生をコントロールできないもどかしさだとか。
そういうものを振り切って走り続けてきて一番欲しかったものを手に入れた角田選手も、
これからも走り続けていく永山選手も、
傍目から見たら本当にかっこよかった。
長いようで一瞬の人生を、命を燃やすように全力で体一つで駆け抜けていくアスリートの姿を見て、
おんなじようにできなくても自分もこんなふうに、生きてみたいと思った。
1日1日を生き尽くすように生きてきた連続の果てに、全てを手に入れた角田選手の姿を見て、パリから遠く離れたニッポンの九州の一軒家の散らかったリビング(散らかしたのは私だけれども!)
28歳の限界アラサーOLがそんな熱い決意をしたことをきっと彼女が知ることは一生ないんだろうが、それでもありきたりな言葉を送りたい。
「感動をありがとう!勇気をありがとう!」
おしまい!
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