Twitterでバズりたい人に4ヶ月で13回万バズした大失敗女が言えること。
4か月の間に13回も俗にいう万バズを経験した。
数千のものも含めるならば、20回は軽く超えると思う。
そのうち3回が10万超えてるので、これは客観的に見てかなりバズっているといえるのではないかと思う。
そのすべてのうち狙ってバズりにいったというか、
「これはバズらせてえな」と思った一件を除いてはすべてが事故であった。
バズった感想、とか
バズったツイートに対してしつこく言及することは私の美学に反するのであんまりやってこなかったけど、
短期間でしかもマジの一般人で顔出しもしてない人間がここまでバズるというのは現象としてそこまで多いことでもないと思うので、今回初めて書いてみようかなあと思った。
今回は過去の炎上や、やっとのことで鎮火してくれた騒動も含まれるので申し訳ないがある程度閉じた空間で好き放題書く安全を守りたいので途中から有料にさせてもらっているが、途中まででも面白く読めるように書くし、
力を入れて書くので最後まで読んでも面白い仕上がりになるようにしているのでぜひ少しだけでもお付き合い願いたい。
この辺りの気持ちについては全文無料のコチラに書いてるのでぜひ時間に余裕のある方は読んでもらえると嬉しいです。
では、始めさせていただくわよ???
現代社会ではSNS、特にツイッターは無視できない大きな言論空間になっている。
大好きな作家さんの独り言も、芸能人のつぶやきも尊敬する大学の先生の言葉もツイッターを開けば自由に見れる。
私は、大好きな作家の方やライターの方に本の感想をリツイートされたり、直接感想や感謝を伝えられるこのプラットフォームが大好きである。
そんな影響力のあるプラットフォームだからだろうか?
いま、多くの人がTwitterでバズりたがっている。
ちょとだけnoteで検索を書けたら「〇〇か月でフォロワー1万人を達成した私のTwitterメソッド」みたいな情報商材が3000円くらいで売っててマジでビビった。
3000円払ってでもバズりたいのか、、、。
と、自分が想像をしない強い欲求を持っている人がこの世の中にいたことを発見してびっくりしてみたりもした。
ここで一応私のどうしようもない炎上遍歴を5行でまとめさせてほしい。
もともと70人くらいだったnoteのフォロワーを少しでも増やしたくて、露出の場を広げるためにツイッターを始める。
↓
中国関連の記事がバズって、ツイッターのフォロワーが20人から800人くらいになる
↓
香港について書いたものがバズってフォロワーが2000人くらいになる
↓
Twitterのある投稿がバズってフォロワーが7000人を超える
↓
またまたTwitterが5回くらい万バズしてフォロワーが12000人を超える
大体こんな流れである。
まじでバズだけに頼ってTwitterのフォロワーを集め続けたTwitter人生だったといえる。
では、バズったら何かいいことがあるのだろうか。
これだけは断言できるが、バズってもいいことは一つもない。
「万バズは 百害あって 一利なし 蒼子心の一句」
なんてやけくそな悪ふざけをしたくなるレベルでマジでいいことは一つもない。
大量の暴言もしくは自分語り、そして余計なお世話がバシバシ飛んでくるだけで、さらにはインプレゾンビたちが大挙して押し寄せてくる。
じゃあマジでバズらないほうがいいのか?
というとそうでもなくて、バズること単体ではマジでいいことがなくても、
例えばそのバズを利用すればいろんなことができる。
私の場合1回目の10万バズの時に、とっさに自分の書いた懇親のnoteの記事を
「ぜひ読んでください!」と張り付けたことで1夜にして15万人にnoteを読んでもらえたこともあった。
私は常日頃から、「もっといろんな人に文章を読んでもらいたいなあ」と思っていたので、
バズりをとおして自分の夢を一つかなえられた形になるだろう。
何か大量の人たちにどうしても伝えたいことがある場合「バズ」というものは非常に有効な手段だと私は思っている。
ていうか、なにかバズを通してやりたいことがないのであれば、
マジでバズってもいいこと一つもないので(2回目)全然おすすめはしない。
では11回バずらせた私が自分なりに自分のやってきたバズを考えた時に、どんなツイートがバズるのかというと
ズバリ、
「みんなが何か言いたくなる内容」
である。
何か言いたくなる、とは
私が書いたものを見て、
「あー自分もこんなことがあったなあ。」
⇒引用リツイートで自分の思い出を語り結果的に拡散
「この人は何もわかってない!自分のほうが詳しい!!」
⇒引用リツイートで自分の知識を書きまくり結果的に拡散
「私もこんな被害に遭ったことがある!」
⇒引用リツイートで・・・・
という具合である。
とにかく「モノ申したくなる」「一言自分も言いたくなる」という思いにさせる言葉が非常にバズりやすいのが今のTwitterなのだと思う。
なぜそうなってるのかというと、
まずは何よりも「共感」である。
「あー!私もそう思ってた!」
「そうそう!そうなのよ!」
と、自分も同じことを思うから発話が生まれる。
この共感の輪は楽しくてインターネットのいいところは主にここである。
たくさんの嫌な目にあってなおインターネットを続けているのは、私がこの「共感しましたー」というところから始まる見知らぬ人との会話が大好きで楽しいからである。
そして「物申したくなる」「一言言いたくなる」ツイートがバズりやすいもう一つの理由が、
みんな、他人に「すごい」と思われたいという気持ちを持っているからである。
「すごい!」っておもれて承認されて、自分の話をより多くの人にありがたがって聞いてほしいからである。
だから、みんなモノ申したい、説教がしたい、教えてあげたい。
上手いこと言ってたくさんの人に共感されたい!
SNSにはそういう思いがうごめいていて、今日もみんなで目を皿のようにして大量の時間をTwitterに溶かし込みながら怒りの対象。モノ申す相手。そういう対象を探し回っているのだ。
そして少しだけ賢い人はそれに気がついていて、みんなに言葉を吐き出させるためにどうしようもない暴論や極論を言って大量の引用リツイートを通してインプレッションを稼ぐのだ。
まさに暴論が暴論を呼び憎しみが憎しみを呼ぶ立て付けであり、私がほとほとTwitterが嫌になった理由でもある。
が、別に暴論や極論を呼ばなくても楽しかったバズりもたくさんあった。
例えばこちらである。
新大阪駅で見かけた親子のやり取りが面白くて、そのまま独り言がわりに書いたのだがこれが11万いいねがついた。
「これが撮り鉄と乗り鉄の境目だ!」
「うちの子もこんなのあった!」
「おれも子供の時母ちゃんにこれやって困らせたなあ」
「うちの息子もあと一年くらいしたらこんなごねかたするのかなあ。覚悟しなくちゃ笑笑」
「俺鉄オタだけど、俺も好きな電車に乗ったら泣きたくなるよー。ずっと見てたいんだよー。わかるよー」
いろんな人のいろんな言葉が飛び交って、引用を見ててとても面白かったし心が温かくなる。
私の発した言葉を通していろんな人がいろんなことを好き勝手楽しく話していて、私もこれがバズってる数日の間本当に楽しかった。
それから、これも面白かった。
これも、本当にそのままを書いたもので。
Diorで化粧品を買ってたけど、お金が足りなくなってプチプラに変えて結局それじゃ立ち行かなくなってマキアージュに落ち着いた。
ということをそのまま書いたらとんでもない広まり方をした。
この引用も見て行くと
「まじで私と全く同じで笑った!」
「私もこれだった!私の場合はCHANELだったなあ」
「そうそう!日本の化粧品ってすごくいいよね!」
「資生堂サイコー」
と、マキアージュがトレンドに入るほどの盛り上がり方だったけど。
この引用を見ながら私の方も
「まじか。私と同じ思いをしてる人がこんなにいたのか…」
と驚いたものだった。
そして。
ドラッグストアを略してドラストと書きたかったのに、ドラフトと書いてしまってそれを元にみんなが大喜利を始めていたのも面白かった。
「マキアージュ、第一指名かあ…」
なんてユニークな引用もついて、思わず笑ってしまった。
あともう一つ特に面白かったのはこちら。
ランニングにハマっていた頃、体調が急激に良くなって嬉しくなっちゃってそれをそのまま全部書いたツイートである。
まじでガチの独り言である。
が、これもまたとんでもなくバズり、
みんなが自分の思い出を語ったり、
どうして体調が良くなったのかを解説してくれたり、おすすめのランニング前のストレッチをレクチャーしてくれたり。
走ってるだけでみんなに感謝されたり褒められたり、教えられたりでなんだかフォレスト・ガンプのワンシーンのような気持ちになった不思議なバズり方だった。
嬉しくてこんなツイートまでしてしまった。
さてここまで三つも例を出して何が言いたかったのかというと。
別に上手いこと言わなくても、洒落た人生論を語れなくても自分の思ったこととかやったこととか、
ふと感じたことをそのまま言葉にすると共感してくれる人は案外多くて自分の想像以上にいろんな人がいろんな言葉を発してくれることは多いのだ。
インターネットは思ったよりも優しくて愉快で悪い人ばっかりじゃなくて。
いつだって自分をちょっとよく見せたいから。
努力なんてしてなくてもできるみたいに涼しい顔をしていたいから。
思っていても、
何か行動を起こしていても、
言葉にしないたくさんの事柄や言葉をそのままネットの海に投げてみると、とんでもない反応が返ってくることはそんなに珍しくないし特別なことではないのかもしれない。
だってあなたがあえて言葉にした言葉や事柄はみんながなんとなく言葉にしないで放置してただけでみんなが心の中に持ってたものかもしれないのだから。
例えば毎日5キロ走ってる人は実はたくさんいて、その人たちは私のツイートを見て
「お!俺も5キロ走ってんだよね」
「私は7キロ走ってる!」
と何か言葉を発したくなる。
誰かの言葉を呼び込むことに単なるヘイトや怒りというものは別に必ずしも必要じゃないし、
怒りやヘイトを使わずに人の共感を呼ぶのはそんなに難しいことじゃないのだ。
と、最近のTwitterに絶望してる人たちにはあえて希望を語ってみたところでさて。
今度はインターネットの負の面に触れてみたい。
ネットでたくさんの人が毎日何かに怒ってる。
「すごいひとみつけた…」とか
「何言ってんの?」とか
誰かのアカウントや言論を晒しあげてみんなで叩いてる。
もしくは、
「こんなこという人は何もわかってない」
と、束になって一人の人物を攻撃する。
攻撃する中で
「○○様の言うとおりです!」
「○○様の言語化能力すぎょい…」
みたいた新たなる連帯と承認が生まれる。
そしてさらに人を叩くことと怒りは加速していくのである。
怒りは娯楽である。
誰しもがみな共通のことに対して怒ることで、一つの敵を謝罪なりアカ消しに追い込むことでみんなで仮初の団結による心地よさと達成感を味わうのだ。
私もこの対象になってしまったことが2回くらいある。
それがこちらである。
この当時私のフォロワーは2000人も行ってなかった。
そして、フォロワーの属性は大体中国に興味のある日本人であって、私も大体の中身を把握していたので好きなように書き殴っても大丈夫だろうと甘くみていた。
母親から弟の話を聞いて、
「やっぱサラリーマンは男社会だなあ。
女にはなかなかここまでできないけど、
男にはこれができて羨ましいしすごいわ。
でもそんな男社会で頑張ってるうちの弟すげえ!」
と思ってそのままツイートに流し込んだところ
とんでもない大炎上に繋がってしまった。
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