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29歳の週報 第11号 名古屋の寺に行った理由

「僕を東京に送る会を僕の寺でやるので絶対に来て欲しいです」

と、LINEが来たのは夜の12時目前のこと。

白い画用紙に、

「〇〇を送る会 at名古屋 某寺」

と手書きのあんまり上手じゃない字で画用紙いっぱいに書いた画像と一緒に送られてきていた。

多分、フライヤーのつもりだと思う。

急いで日付を確認すると、別にその日は4月1日ではなくて普通に冬で、1月の平日だった。

つまりこれは冗談でも嘘でもなくて、送ってきたやつは真面目にこれを送ってきたことになる。

これを送ってきたのは、大学の落研の2年後輩の男だった。

彼は私が3回生だった頃、新入生として落研にやってきたのだが、その頃私はもう落研の活動にほぼ参加できていなくて1回生だった彼と言葉を交わしたのも数えられるくらいの回数でとっとと引退してしまった。

ただ一年もない数ヶ月間同じサークルにいただけ。

という、薄い薄い私と彼のつながりを、諦めなかったのは彼の方だった。

落研を引退した後、私はすぐさま中国に飛び立ち中国で一年ブラブラした後就活をしてそのまま就職した。

その間中国生活とか就活の頃をはてなブログでコツコツと書いていたのだが、その記事を一つ残らず彼は読んでくれていたようだった。

それなのに、彼がそんなふうに私の文章を読んでくれていたのを知らないままに私は大学を卒業して落研を引退してから実に5年が過ぎ去った時。

2023年の12月のことだった。

「蒼子姐さん、ドライブ行きましょー」

と、入ってきたラインによろめく。

マジで彼が個人ラインを私に送りつけてきたのはこれが初めてだった気がする。

「さそう人、間違ってない?」

と聞くと、

「いや、ガチで俺は蒼子さんとお話がしたいんです」

と言われて、

もしも詐欺とか鼠講とかマルチ情報の勧誘でもがっかりしないようにしよう、という謎の心の決意だけ固めて、仕事が終わった後に待ち合わせの駅に駆け込んだ。

駅のロータリーに彼は車で現れて、

「蒼子姐さん、僕仕事やめたんですよー」

と、爆弾発言をかました。

「そうかあ、やめたかあ。
それは、、お疲れ様だったねえ」

新卒で大きな大きな会社に就職した彼は毎日本当にしんどそうに頑張って働いていたことを、相互フォローだったsnsでなんとなく知っていた。

でも、なんとなくしか知らなかった。

だって、私は彼とはそんなに繋がりも積み上げたコミュニケーションを持ち合わせていなかったから。

「いや、おめでとうでいいっす。
ねえ、蒼子姐さんは知らないかもしれないっすけどね。
仕事辞めるのってサイコーに気持ちいいですよ。

やめちゃダメなことをやめる罪悪感と行くところまで行った感がまじで、やばいっす」

若干焦点の合ってないハイな目でそう言われて正直引いた。

この目の前にいる後輩をどう扱えばいいのか、私には皆目見当がつかなかったから。

圧倒されて間抜けにぼけっとしてる私に彼は、

「ねえねえ、蒼子姐さん」

「うん。」

「仕事辞めてこんだけ気持ちいいなら、
離婚は絶対もっと気持ちいいっすよ」

と、ゲラゲラ笑った。

「バカじゃね」

といって私まで笑ってしまった。

それはまるで地獄の底の楽園。

彼は、地獄の底の底でやっと一息ついたような。
とんでもなく悲しい感情や悔しくてやるせない黒い感情を、桜色の薄紙で包み込んで自分の視界に映らないようにしてしまって。
幸せなふりをして束の間の休憩をしている人みたいな空気を纏っていて。

どこまでも穏やかな顔をしてるのに、消えてしまいそうな危うさを持っていたものだから、

私はなんだか心配になってしまった。

元々色が白くて背がヒョロヒョロと高かったのが、肌が荒れて顔は真っ赤で、ガリガリに痩せていた。

「とりあえず、今日どこ行こうか?
てかその前に飯行こうよメシ。
私腹減ったよ、無職の君に私が奢ってやるよ」

と、いうと

「マジすか?僕どうしても今夜人の金で焼肉食べたい気分だったんですよね」

と言われて、

「なんじゃそりゃ」

と、初めて自分の顔の上に自然な笑顔が浮かべられたことに気がついた。

焼肉を食べながらとめどない話をして、ぐだぐだと2人で歩いて石切神社という大阪の御百度参りで有名な神社に向かった。

大学生の時の話をした。

あの時何が起こって、何が面白くて、何が楽しくて、何が感動したのか。そんな取り止めもない話をした。

「なんで石切神社に行きたいの?」

と聞いたら

「そりゃもう、なんとなくですよ」

とヘラヘラ笑っていたから、それ以上は深くは聞かなかった。

神社について、普通にお参りして。

長く長く手を合わせてる彼の横顔をぼんやりみていた。

しんどそうだなあ。何がそんなにしんどいんだろうか。でも、何がしんどいか突き止められる人は死ぬほどしんどくなりはしないよなあ。


とおもって、もう一度手を合わせ直し

「どーぞ神様隣のこの、死にそうな若者がなんとか穏やかに暮らせますように」

ともう一回目を閉じて神様にお願いをしておいた。

目を開けると、彼はヘラヘラ笑って

「蒼子さん強欲ですね。手を合わせる時間長いっすよ」

と言いやがったので

「引っ叩くぞテメェ」

と、言って、軽く彼をこづくと

「ははは、、、」

とまたヘラリと笑った。

それから帰りの車で、高校生の時流行ってたボカロの歌とか、そういう懐かしい曲をガンガン歌った。

帰りしなに、原稿用紙の束を渡された。

「これ、僕が書いたやつです。蒼子さん、読んで感想ください。僕ずっと待ってます」

と、その日一番真剣な目でそう言った。

そうか、彼は私に自分が書いたものを読んで欲しくてそれをいうためにこんな遠回りしたのか、と思うと嬉しくて。

「うん、時間かかるかもだけどちゃんと読むから待っててくれ」

というと

「待ちますよー、無職にはたっぷり時間があるんですからね」

と、またヘラリと笑った。

死なないでほしいなあと思った。

いろんなものを剥ぎ取られて最後の魂を抱きしめてなんとか立ってるような、彼の姿は本当にふらりと倒れて起き上がらなくなりそうな危うさがあって。

私は踏み込む一歩を躊躇い、結局踏み込めなくて彼の車を大きく手を振りながら見送った。

一歩を踏み込めなくて後悔をしてる瞬間がたくさんある人生だ。

いつだって周りの人のために最後の一歩を踏み込む勇気がないめんどくさがりで臆病な自分をその夜も私は変えられなかった。

彼の書いた文章はヘンテコなある世界の中を行き交う変わった男女の物語で。

あっという間に読んでしまったけど未完だった。

「最後はあっと言わせますよ」

と言われた。

それで続報を待っていたら、

2025年1月。

あの日からほぼ一年後に

「僕を東京に送る会を僕の寺でやるので絶対に来て欲しいです」

というメッセージが届いた。

彼が名古屋のある寺の息子だったことを、遠い記憶の中から掘り起こして思い出してしまった。

名古屋かー、遠いなーちょっとめんどくさいなあ。

って、一歩踏み込むめんどくさがりで大嫌いな自分がいつものめんどくさい病を発症したのを見透かしたようなタイミングで彼は追いかけるように

「蒼子さんにだけは絶対に来てほしいです」

と、追っかけてメッセージを送ってきた。

それで、私は覚悟を決めた。

名古屋の、某寺に行こう。

名古屋とか行ったことないけど、とりあえず行ってやろう。

踏み越えなかった他人への最後の一線を超えて、その人の人間に近づく経験が私には必要だ。

こうして私は、近鉄の鈍行で難波の駅から名古屋を目指して電車に乗り込んだ。

新幹線と違って周りの景色が見える速度でゆっくりゆっくり進む電車でいろんなことを考えて、
物思いに耽っていればあっという間に彼の寺の最寄りの駅に辿り着いた。

「駅まで迎えに行きますからね!」

と言った彼の姿は駅にはなくて、

代わりにイかした名古屋のにいちゃん2人が

「蒼子さんですか?」

と声をかけてきた。

「あいつに言われて迎えにきました。」

と言われて、あれよあれよと車に乗せられた私は、最近流行りの「闇バイト」という言葉が頭の中をチカチカしてマジでビビっていたが、車はちゃんと寺に辿り着き、予想に反してめちゃくちゃ綺麗なお屋敷みたいなお寺を目の前に私は今度は自分が幻覚でもみてるんじゃないだろうか?

というもはや自分さえ信じられない境地まで行ってしまっていた。

さっき、雨が降ったのだろうか。

真っ白な砂のようなキラキラした細かい白い砂利が敷き詰められた庭に、青々とした緑の植物たちが、ぽたりとぽたりと水の滴を落としていて。

大阪の淀んだ賑やかな空気とは文字通り別世界のひんやりとしていてしんとした空気が流れているその寺は彼が生まれ育った、正真正銘彼の実家である。

彼は準備に忙しいらしく、準備に駆り出された彼の友人たちが私のような遠くから来る人を駅に迎えに行く役割を担っていたらしい。

寺に入ると、大学の頃の学部の彼の友人とか、別のサークルの友達、とか、高校の友達、中学の友達、友達の友達、彼の弟まで。

彼の人生で彼がすれ違い、関わり。

彼が一歩踏み出して捕まえてきた人たちがその寺の畳敷きの部屋に集められていた。

彼の家族が作った味噌をつけて食べるタイプのおでんを食べながら初めましての人たちと話しながら彼が出てくるのを待った。

真ん中の味噌におでんをつけて食べる。
名古屋の家庭でも現代はなかなか自作はしない手の込んだおでんらしい。

三十人ほど集まったところで、彼はなんてことないように笑って、でも緊張した顔で登場した。

やっぱり汚い字でスケッチブックに書きつけたフリップを持ってみんなの前で頭を下げる。

そこにいた彼のことが大好きであるということ以外の共通点のない観客たちは思い思いに彼との思い出を頭に浮かべながら盛大な拍手を送った。

「今日は、みなさん!僕を送る会に足を運んでいただきほんとーに、ガチでありがとうございます!!」

そう深々と彼は頭を下げた。

そう。
この会は、彼が一年の無職期間を終えて東京に旅立つのを送り出す会なのである。

「ここにきてくれた人たち、僕の無職期間1年間に僕と向き合ってくれた大切な人たちです。
だから、今日はどうぞまず、楽しんでいってください。
ということで、この会を開くまでの僕の1年間を紹介します!」

と言って彼はフリップをめくった。

彼はフリップを使いながら自分の物語を話した。

「僕の人生の目標は、三人の子供を大学に送り込むことでした!

僕の両親が、そうしてくれたことを単純に社会に返してあげたかったんですねー。」

そこから始まる物語は、

その目標を実現するために、就活を経て某家具メーカーに入社して奮闘の末に心も体もぶっ壊れ寸前というか、一部ぶっ壊れながら退職。

そこから泥沼の転職活動の果てに彼が見つけたものは、

「やっぱり、おもしれーもん作って世間の人様を楽しませて生きていきてぇ」

っていう彼なりの本音であり夢だったという話。

今度こそは自分の本音と野望を抱きしめて、288社のエントリーの果てに東京のとあるクリエイティブな仕事をできる会社の内定を掴み取った彼の笑えない笑える話が彼独特の何を言っても冗談に聞こえるふわりと軽くてどこか悲しい語り口調で面白おかしく語られた。

「なんにせよ、僕は2月20日に東京へ旅立ちます!
これからの人生は人を楽しませるものをたくさん作って行きます。ここに辿り着くまでの死にたくて辛かった1年間を見守ってくださって支えてくれた皆さんに僕のこれまでの人生のエンタメを全部全部置いて行きます。
今日はどうぞよろしくお願いします!」

また拍手がお寺を包む。

私も痛いほどに手を叩きながら、涙がこぼれそうになるのを堪えた。

その日舞台に上がったのは彼だけじゃなくて、
彼の友人たちもいた。

彼の友人たちは彼の好きな曲とか、彼に贈りたい歌を送った。

3時間半かけて運転してきた大学の2人組の同級生は、バクチ・ダンサーを歌ってギターとベースの演奏を彼に送った。

彼の弟は得意のバイオリンで彼のためにたくさんの曲を弾いた。

高校の時の同級生が、彼に向けてクリープハイプの「二十九、三十」を歌った時、彼は少しだけ泣いていた。

「クリープハイプって〇〇くんも好きで、私も大好きで。すっごく暗い歌詞を書くんですけど、その暗い中に希望があると信じたい。
その希望を〇〇くんに渡したいから、私は今日この曲を旅立つ君に贈ります」

優しいギターの音と、力強くも優しい女性の声で

「前に進め、前に進め、不規則な生活リズムで。」

という言葉の中に私も少し泣いてしまった。

ヘラヘラと、本音をこっちに見せてるようで一番深くて苦しいところ。

受け取った人が重みに感じるような一番毒のある感情だけは自分1人で抱え込んで逃げない不器用で損な性分の彼にぴったりな曲だと思った。

「嘘をつけば嫌われる
本音を言えば笑われる
ちょうどいいところは埋まってて
いまさら帰る場所もない

現実を見て項垂れる
理想を聞いて呆れ返る
なんとなく残ってみたものの
やっぱりもう居場所はない」

そんな思いで同じところをぐるぐる回って。
大量採用大量離職の悪質な採用を行う企業の理想に転がされて、
一度は壊されそうになりながらも、
自分の一番大事なものを守り切るために道を外れて、裸一貫になって戦った彼のことをきっとこの場にいる三十人はいろんな角度から見守ってきたんだろうな。

それが、少し羨ましかった。

だけど、それもまた。
彼が私にそうしたように、彼自身がいろんな人の一線を勇気を持って踏み越えてその人の心に手をかけてきた結果なんだろうなあ。

と、彼のことを心の底からすげえ奴だと尊敬した。

あっという間に時間は過ぎ去り、

「最後の演目まで15分ほど休憩いただきまーす」

と言って、一度奥に下がった彼は15分後、

その日一番真剣で爛々とした光の灯った眼球をギラギラとさせて着物姿でみんなの前に現れた。

懐かしい出囃子は、彼の決めていたお気に入りの曲を流していた。

落語だった。

自分の人生のエンターテイメントを全部置いていくと言った彼が、この日最後に自分の大切な人たちに見せると決めたのが落語だった。

それが本当に嬉しかった。

目の中にあるキラキラした光をみて、泣きそうになりながら笑った。

あの日、地獄の底の楽園で全てを諦めた亡者みたいな光のない二つの目を、顔の中に埋め込んでいた彼とは別人だ。

こんな顔して。

こんな目をする人だったんだね、君は。

大学時代はそんなに関わんなかったし、
ちゃんと話したのは目が死んでるときだったから。

君が、こんなにも澱みなく覚悟を決めた潔い目ができる人間だったってこと私知らなかったよ。

君のこと誤解してた、ごめんな。

その日そこにいた私以外の人が多分落語を見たことがなかった。

落語を見たことがない人に、彼がぶつけたのは
「愛宕山」という演目だった。

男芸者、太鼓持ちが出てくるその話は、
落語を聞いたことのない人にぶつけるにはチャレンジングなお話だ。

だってほとんどの人が、お茶屋がどんなところとかもわかってないし、太鼓持ちも男芸者も知らないんだから。

それでも、丁寧にみんなにそれを説明して彼は彼が一番みんなを連れて行きたかった愉快で楽しいある春の日の若旦那と太鼓持ちとお茶屋の人たちの世界へ連れて行こうとしていた。

最初は戸惑っていた人たちも、物語が進むに連れて、ぐいぐい彼の世界に入り込んで最後に会場は大爆笑に包まれた。

その日、その場に私が来た事を彼は感謝していたけど。

私はその日その場に居させてくれた事。

いつもめんどく下がって一歩を踏み出さない私を、しつこいくらい引っ張ってこの場にいさせてくれた事を彼に感謝した。

「もー帰ってくんなよ」

と、心の底から思った。

東京で、死に物狂いで掴んだその仕事が。

今度こそ彼のやりたかったことにつながり続けて、彼が二度とあんな目をしなくて済むようなそういう世界を期待させてくれ、世界。

そんな事を思いながら私は彼と何回も握手して、寺を後にした。

真冬のある日。

名古屋のよくわからない寺に行って、
名も知らぬ人たちと、一緒に1人の幸せを祈りながら1人の人間の人生とエンタメの詰まった2時間を見つめた不思議なその日のことを、私は多分一生忘れないと思う。

ああ、そういや。

まだ彼のくれた小説は完結していなかった。

「最後はアッと言わせる」と言ったくせに、広げるだけ広げた物語を私の目の前において彼は東京に行ってしまった。

今度は私がひとつ、一線を踏み越えて彼に近づき会いに行ってみようか。

彼がそうしてくれたように、物語の完結編を回収しに、次の東京出張の時は終電で帰らないで彼を飲みに誘ってみようか。

せっかくだから東京にいる、長い長い間会えてない落研の仲間も集めようか。

待ってるだけでは、いけないんだってこと。

それをひしひしと感じる日だった。
だから今度は私から声をかけて人に向けて手を伸ばそう。

そうしたら会いたい人にはいつでも会える。

それに気がついて、なんだか嬉しくなって名古屋の夜の星も見えない空の下で、
私はいつまでも1人で高速バスを待ちながらニマニマと笑っていた。

おしまい

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