変わったお店と最高の冷麺の話
GWは職場のある関西から、まあまあな量の仕事をほっぽり出してとっとと新幹線に飛び乗って地元の九州へと逃亡した。
食っちゃ寝て食っちゃ寝てを繰り返していたところ、両親は何やら私が帰ってくるとのことで旅行を企画していたらしく、半ば強引に車に乗せられて1泊2日の大分旅行に行くことになった。
くじゅう花公園で、なんか青い花の群生しているのを眺めたり。
このネモフィラが群生してるのを遠くから見えると、湖に見えんこともない…
まあ、そんな感じで。
夜更かしと飲酒と寝不足でふらふらな足で真っ昼間の大自然を連れ回されていた私だったけど、
この旅を結構楽しんでもいて、
大分のナイアガラの滝とも謳われる、
原尻の滝をみて喜んだり、花公園で写真を撮ったりしてちゃっかりエンジョイもしていた。
社会人にもなって両親のお金で散々美味しいものを食べさせていただき、
温泉にもふやけるほどに浸かりまくり、
綺麗なものも見れたこの大分旅行だったんだけど、
私がこの旅行で一番感動したのは、
道の駅のカフェで食った冷麺だったのだ!
と、いうわけで。
今日はそんな、不思議な冷麺のお話を書いて行きたいと思う。
くじゅう花公園、腹尻の滝を見た後ゆっくりゆっくり観光していた結果、午後2時というお昼ご飯を食べるには何とも中途半端な時間になってしまったが、お腹が空いてきた。
連休真ん中というところで滝の周りの道の駅の食堂は全部満杯で、もうおにぎりでも買ったほうがいいかなあ、と言っていると少し外れた場所にカフェを見つけた!!
冷麺やビビンバをやってるということで、
とにかくこの日は暑くて汗もダラダラだったので冷麺という言葉に惹かれてお店に入ることになった。
お店の中に入ると、静かな厨房の中で黙々と冷麺を作るおじいさんとお婆さん。
入店して派手に鈴の音が鳴り響いたが、
店の中は静まり返っている。
いつも大阪のけたたましい
「いらっしゃーい!」に慣れきってる私は少し面食らった。
すると、わたしたちの後からお店に入ってきたおばさんがわたしたち家族に気がついて、
あわてて「いらっしゃいませえ」と言って水を持ってきてくれた。
お水を渡してくれながらおばさんは、
「店長耳が遠いから、オーダーはそこにあるしゃもじを使って注文してね。」
と言った。
テーブルの上には1から7まで数字が書いてあるしゃもじがのせてあって、
メニューには1から7番まで番号がうってある。
つまり、お客さんは希望のメニューの数字のしゃもじを持って厨房にいる店長さんに伝えればいい、ということらしい。
なるほど、そうすれば確かに目だけで注文を受けることができるのか、と感動した私は早速父と母と私の冷麺3杯とおばあちゃんのビビンバを1つ注文に行くことにした。
ビビンバは①番、冷麺は③番だから、
この場合①と③と書いてあるしゃもじを持っていけばいいというわけだ。
私は店長さんがこちらを向いてくれるのを待って、③を3つと①を1つとジェスチャーと番号付きしゃもじで伝えると、店長さんはしっかりとした声で、
「冷麺3つとビビンバ1つね!」
と叫んだ。
注文が伝わり、何だか嬉しくなってしまった私は大きく大きく何度も頷いた。
厨房の中で店長さんとお婆さんはゆっくりゆっくり丁寧に冷麺を作っていた。
そして、満を期して出てきた冷麺はというと、
み、見るだけでこんなに美味しそうな冷麺が今まであっただろうか…。
分厚くて大きなチャーシューが存在感を放ち、
冷麺でありながらミョウガやシソやネギなどの薬味もたっぷり入っていてキンキンに冷えたスープがとにかくギラギラとした太陽光で火照った身体に染み渡った。
大阪の鶴橋という西日本最大のコリアンタウンからほど近いところに居を構えているので、
冷麺もそれなりに食べてきたけれど、
本当に今まで食べた冷麺の中で一番美味しかったのである!
夢中でズルズルと冷麺を食べ終わり、
半ば放心状態でお店の中を見回すと有名人のサインがたくさん飾ってあった。
三島由紀夫、というサインには日本文学部を卒業した血が騒ぎまくった。
その色紙の謎が知りたかったけど、
私たちにしゃもじの注文のやり方を教えてくれた親切なおばさんはすでに帰ってしまっており、
お店の中には黙々と片付けをしている店長だけが残っていた。
名残惜しいながらも、
「お会計お願いしまーす」
と大きな声で言うと店長さんはすぐに振り向いてくれた。
そして、奥からツカツカと歩いてくるとこちらの顔をじいっと見ながら、
「今日はどうも長くお待たせしてしまってすいませんでした。」
とはっきりとした口調で言った。
「いえ、そんなことないです。
本当に今まで食べた中で一番美味しい冷麺でした!」
と言うと、
「ほんまかいな」
と、店長さんは照れたように笑った。
その関西弁が大分の山の中で不思議に感じたので、
「あれ?関西の方ですか?」
と聞いてみると、キラリと店長さんの目が光った。
「お客さんは?」
「私は大阪、難波の方。ミナミのど真ん中に住んでます」
と言うと、
「私は兵庫にいました。故郷は関西ですよ。
あのね、43年間〇〇株式会社にいたんです。
そこで営業、製造、海外事業いろんなことやった」
片田舎のカフェ食堂で、黙々と冷麺を作っていた店長さんの口から飛び出したのは、
日本人なら誰でも知ってる超大手ハムメーカーの名前だった。
「だからなんですか!
あの冷麺のチャーシューすごくすごく美味しかったです。」
「ありがとうございます。はは、〇〇株式会社には本当43年間身を捧げて、ともにした家族と思ってます。
台湾、香港マカオ、オーストラリア、中国、ニュージーランド、アメリカ、ハムと一緒にいろんなところに行きました。本当に楽しくて仕事に夢中でしたよ。
43年間大好きな会社で働いて、その後ここに来て十数年。最近突発性難聴になってしまいましてね。まいりましたわ」
イキイキとした目で、鮮やかに語られるその人生は彼の誇りと自信に彩られて、私の頭の中に彼がスーツ姿で商談や会議をしている姿を容易に描き出すことができた。
私の顔をじいっと見て話す店長が、私の唇の動きを見ながら会話をしてくれているのに気がついたから、
私は食事が終わり、つけようとしていたマスクをポケットの中にしまい込み、いつもより大きく唇を動かした。
大分に来て会社の取引先や人脈を活かして、
今もこの地の豚肉を仕入れては、秘伝のタレで漬け込んで自分でチャーシューを漬け込んでいるんだ、と自信げに話す店長は、本当にハムに誇りを持って人生を捧げているのだと感じてとても眩しく思った。
結局私は、三島由紀夫の色紙の意味を聞きたかったことなどすっかり忘れて、店長さんの話に夢中になってしまいあの色紙のことは分からずじまいだった。
それでも、あの不思議なカフェ食堂でギラギラとした高度経済成長期のかつてのジャパニーズビジネスマンに出会えたこと。
そして、店長さんがその人生とハムに大きな自信とこだわりを持って貫いていること。
そして何よりあの冷麺が死ぬほど美味しかったこと。
どれをとっても素敵な気持ちになれる。
今、かつての彼のように日本のとあるメーカーで日々奮闘する私は店長さんのようにいつか自分の人生に自信を持って貫けるものを置くことができるのだろうか。
大分九重のナイアガラとも言われる原尻の滝で滝よりも思わぬ出会いと感情の動きと最高の冷麺と。
次にあの店に行った時には必ず、三島由紀夫の色紙について聞いてやるんだ思いながら帰路に着いたGW中頃でございましたとさ。
おしまい!