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29歳の週報 第2号 絵本を爆買いした話
姉、私。
弟2人。
三兄弟で兄弟仲は悪くない。
3人とも譲り合いを知っていたし、いいことや美味しいものがあれば3人で分け合いたいという思いも自然と持って育った。
私はいちばん年上ということもあり、
私のおもちゃを指さして足元でわんわん泣きまくる弟に対して
「あーもういいよ!お姉ちゃんのあげるよ!」
と譲ってきたことは星の数ほどあるし、
いまだに弟はたまに大阪にやってきては、
「姉ちゃんお腹すいたー」
と言ってくる。
その度に、
「お前金持ってねえくせになんでこんな高いものを食べたがるんだー!おかしいだろ!」
と言いながらも、美味しい美味しいと言って目の前でご飯を頬張る弟たちはやっぱりかわいい。
かわいいから、つい姉として気前のいいところを見せたくなって、
「おいおい、飲み物も頼んでいいんだぞ?」
などと余計なことを言って痛い目を見る。
さて、そんな可愛い弟2人がいたとしても絶対に私が譲れないものがある。
それが、実家に数百冊ある夥しい量の絵本である。
これだけは、弟たちがなんと言おうとも一冊残らずこのお姉様がいただくと決めている。
いつもでかい声で、
「この絵本は一冊残らず姉ちゃんのだからな!」
と、年季の入った絵本の前でことあるごとに絶叫する姉を冷めた目で見る弟2人だが、
私は至って真剣なのだ。
母は、本が好きな人間である。
コテコテの理系でありながら、源氏物語を原書で読むし、歴史や映画についての知識も豊富だ。
そんな母は、父に嫁いだ後は私たち三兄弟を育てることにその人生の大部分を割くことになったが、
母はこれがびっくりするぐらいにブランド物やジュエリーの類に興味がなく、着飾ったりすることは一切なかった。
母はその手のものにマジで興味がなかったのである。
基本的に節約家だったその母が、
めずらしく大金を費やしたのが今も実家に鎮座してる色とりどりの絵本の山である。
幼稚園の図書室を見て、
「うわー、絵本がたくさんある」
と喜ぶ児童たちがいたけれど、
「本がたくさんあると聞いて楽しみにしていたのに、うちよりちょっとしかおいてないな」
などと舐め腐ったことを園児の私が思うほどに、
私の家は絵本や本で溢れていた。
実家の廊下の突き当たりの壁は全て本棚になっており、その本棚の下から四段目。
つまりは子供の手が届くギリギリのところまでは、この母が購入した絵本でびっしりと埋まっていた。
私が幼き頃には、我が家には絶対なる習慣があった。
お風呂が終わって歯を磨いて、家族みんなが寝る寝室に入る前に、三兄弟が1冊ずつ好きな本を持って寝室に入っていく。
そこには、父が母かどちらかがいてこの3冊を順番に読んでくれるのである。
母も父もガチガチの理系なので、お世辞にも芸達者とは言えず。
父に至っては、
「もしも私が辞書編纂者なら、『棒読み』の項目には父親の朗読を入れたい」
と思うほどに絵に描いたような棒読みだった。
が、なんとなくもはや習慣になっていたので父親の棒読みでも私たち兄弟はありがたく拝聴させていただいていた。
本当にいろんな絵本があった。
外国の絵本、日本の絵本、悲しい絵本、嬉しい絵本。
文字のある絵本、文字のない絵本。
オチのある話、オチのない話。
擬音語ばかりの、二歳児向けの絵本から、
小学校高学年向けの硬派な社会派問題を盛り込んだ絵本。
何百冊のストーリーを父親や母親の下手くそな朗読にのせて、無意識に頭の中に詰め込んでいったあの時間は、今の私の最も大切な礎になっている気がしている。
絵本に関する思い出はここに書けば果てしない。
3人ともそれぞれ大好きな本があった。
なぜか3人とも他の2人の絵本を読まれている時も隣で聞いているので、誰かが一冊の絵本に執着すると、他の2人も毎晩その絵本を聴くハメになる。
それでも、不思議とおとなしく聞いていた。
3人ともそれぞれ別の本が好きだったけど、
全員成人した今になっても、それぞれが好きだった絵本の名前が言える。
手袋の中で生活する動物たちの物語。
最後は全部死んでしまう狐の物語。
愉快な山男と風呂吹き大根の物語。
大きな木の上に住むことを想像する少年の物語。
押入れに閉じ込められて大冒険する物語。
紫色のクレヨンで自分の思うままに世界を描いて冒険する物語。
わがままなで、すぐ泣いてしまうダンボールでできた困ったロボットの物語。
たくさんの物語に囲まれたあの時代は、
両親が私にくれたあの瞬間にしか与えることのできないギフトだったと思っている。
だから、きっと。
そんな時間がページをめくる父の手垢と一緒に残っているあの絵本たちを一冊残らず手元におきたいと言うエゴを私は募らせている。
さて。
私には大切な大切な友達が1人いる。
高校3年間を一緒に過ごした、地球でいちばん大事な友達だ。
そして彼女は最近子供を産み、母になった。
彼女については、この記事にめちゃくちゃ書いたのでよかったらこっちも読んでほしい。
高校生から一緒にバカなことばっかりやってた親友が母親になるというまあまあ衝撃的な事件にしっかりよろめいて。
同じ歳なのにフラフラとしていて一向に結婚のけの字とも無縁な自分を比べなきゃいいのに比べて、複雑でセンチメンタルな気持ちになってみたり。
いろんな過程を経て、さて。
彼女のところに赤ちゃんがやってきたのである!
そして彼女は私を「赤ちゃんを見においでよー」と招待してくれた。
と、いうことは出産祝い!
どうしたもんかと思い悩んで、悩んで、悩んだ。
可愛いベビーバッグ?
それともミキハウスの可愛いベビー服?帽子とか?
それとも。
プッシュギフト的な、お手軽なネックレス?
百貨店やらショッピングモールをぐるぐる回ったけど、これというものはなくて。
さあいよいよどうしたもんかと頭を抱えていた時に、会社のクソみたいな自己啓発セミナーに使う本を買うというのを理由に暇すぎた週末に、
「せっかく大阪に住んでるんだしたまにはでかい本屋でも冷やかしにいくかあ」
などと呑気なことを考えて、ふらふらと梅田の丸善兼ジュンク堂にいそいそと出かけたのである。
このジュンク堂、なんと六階建の全部が本屋さんで、大阪でいちばん大きな本屋さんなのである。
別に薄っぺらいビジネス書一冊くらい職場の近くの本屋で十分なのだが、その日の私は少しおしゃれをして梅田の街を歩きたい気分だったのだ。
そうしてやってきた本屋で、
お目当てのビジネス書を早々と見つけた私は、せっかくきたんだから6階の語学書のコーナーでも見て帰ろうと思いエスカレーターに乗ると、3階の可愛らしいコーナーに目を引かれて吸い込まれるように入っていった。
そこは、絵本コーナーで絵本やその絵本のキャラクターのグッズが所狭しと並べられていた。
そして、私は数々の大好きだった絵本との再会をはたした。
「おーこれは大好きだった絵本だ。今もあるのか」
「あー!この本あった!いまの今まで忘れてたけどすごく好きだったのにどうして忘れちゃってたんだろう」
大量の絵本を前にすごく楽しい気分になって、
手に取った絵本のページを巡るたびに、大切な家族の記憶を思い出す。
私が、父や母から読み聞かせを受けた期間は本当に短かった。
絵本を通して書籍の世界の面白みを知った私は、
父や母が追いかける文字を自分で追いかけるようになり、いつしか読み聞かせを聞くよりも自分で文字を追いかけるようになっていった。
でも、あの時間は幸せだった。
お風呂に入りたての石鹸の香りのする兄弟と丸まって、同じくお風呂から上がりたての少し湯船の温もりが残っている父親や母親にまとわりついて本を聞いていたあの時間が絵本をめくればその香りや温度感までもが蘇る。
そうか、絵本だ。
絵本にしよう。
いや、絵本以外にありえない。
そう思い立ち、自分が大好きだった本や、衝撃を受けた本を次々と手に取った。
全編言葉らしい言葉はなく、オノマトペで構成される谷川俊太郎作の『もこもこ』
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かわいいこぐまちゃんがホットケーキを作る、
「こぐまちゃんのホットケーキ」を読んで自分でもホットケーキが作ってみたくなって土曜の朝に作ってもらえたこと、粉まみれになりながら作らせてもらったことも大切な思い出だ。
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それから、せな けいこさんの「寝ない子だれだ」
遅い時間まで寝ない子供がお化けの世界に連れてかれる、その圧倒的な結末は子供の時は衝撃的で、やっぱり今ページをめくっても独特の不気味さは感じる。
お化けの世界に連れてかれるから早く寝なさい、ってよく言われたっけ。
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あとは、もう少し年齢をあげてみようか。
かわいい11匹の猫たちがいつも少し不気味でシュールなトラブルに巻き込まれるシリーズの11匹の猫の中でも1番好きだった「11ぴきのねことあほうどり」
不思議なアホウドリの島で猫たちがコロッケを作らされるというこれまたなんとも不思議なシチュエーション。
でも、本当に大好きだった。
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それから、カラスの家族が営む愉快なパン屋さんの話、「カラスのパン屋さん」
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雪だるまの大切なお友達スノーマン、冬だけのお友達との優しい優しい物語「スノーマン」
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それから、こぐまちゃんのホットケーキのこぐまちゃんのぬいぐるみと、ねないこだれだのお化けのタオルを買った。
こうやって見返すと、絵本の世界は結構不気味で容赦ないこともおおくて。
はたまた。大人にはシュールに映るような不思議な設定やキャラクターに彩られている。
だけど、その理不尽さや不思議さを真白だった子供の心にまるでペンキで色とりどりの絵を描き散らかすように描きだしていくなかで、子供の私なりにそれを消化して自分の感情として言葉にしてみると、その言葉を父や母や弟たちが聞いてくれて、言葉が返ってきて。
私はあの時間と絵本を通して言葉を紡ぐことや、心にあるまとまらぬ思いをあえて言葉にしていくことの喜びを知ったと思っている。
そしてこうして今も溢れ出る思いを止められずにこうやってここに書き連ねている。
言葉を書いていくこと、紡いでいくこと。
言葉を通して誰かの心に手をかけることは私の人生で無上の喜びで、この喜びの種である絵本を大好きな彼女の子供に送ろうと思った。
聞こえる音がオノマトペとして言葉に変わる。
ハッピーエンドも明快な結末もない世界に直面した時、「そのあとどうなったの?」「その結末を受けて自分がどう思ったの?」
一つ一つのやりとりがきっと、
大きくなって何かを自分が伝えたいことができたときの大きな翼となって言葉の大空を自由自在に飛び回る羅針盤のようになる。
私は父と母がくれたこの羅針盤を抱えてこれまでも今からも生きていく。
綺麗にラッピングしてもらった大きな袋を持って、彼女の家を訪れて。
「何その大きな袋は?」
戸惑ってる彼女に、
「出産お疲れ。これ、、あ。。
赤ちゃんの名前なんだっけ?」
〇〇ちゃんに、って言おうとして。
名前もまだ知らないって知った。
それに気がついて戸惑ってる私の何が面白かったか、彼女は大笑いして
「この子の名前は、〇〇よ。私の文字を1文字使ったの」
といわれて、
「お、そっか。じゃあこれ。〇〇ちゃんに!」
と。初めて大好きな彼女の名前から1文字漢字をいただいた赤ちゃんの名前を呼んだ。
「うわっ、重いな!これ何?」
「絵本!」
「あはは、蒼子らしいね」
「ねえねえ、〇〇ちゃん。ママの友達の蒼子ちゃんがプレゼント持ってきてくれたよー。」
そう言って彼女は丁寧に包装を解いて、まだ光の判別くらいしかできないはずの赤ちゃんに一冊一冊丁寧に絵本を見せていった。
「わかんないじゃねえの?」
ときいたら、
「わかるよ、たぶん。蒼子ちゃんの贈り物だもん」
と言って、懸命に赤ちゃんの視界の中に絵本を持っていく。
意外と痩せてるその赤ちゃん。
みんなが想像するようにぷくぷくと肉付きが良くなるには少し時間がかかるのだと彼女は言った。
そんなことすら知らなかった。
買っていったケーキを一緒に食べて、お茶を飲んで。
いろんな話をして、「それじゃあね」って手を振って彼女の家を後にした。
名残惜しいように、彼女は赤ちゃんを抱っこして近くの交差点まで着いてきてくれた。
「絵本ありがとう。たくさんたくさんたくさん擦り切れるまで読むからね!」
と、彼女が言って、
「おうよ。擦り切れたらまた持ってくるからな」
なんか照れてふざけたことを半分本気で言った。
まだ、あーとうーしか言えない彼女の子供。
これから、言葉の世界に入ってくる瞬間がやってくる。
言葉の世界が、出来るだけ幸せで素敵で明るいものに彩られてるといいね。
生きてる限り、嫌な言葉や信じられないほどに鋭い刃物のような言葉を投げつけられたり、ひどい言葉を浴びなきゃいけない時もあるかも。
だけど、それを素敵な言葉で上塗りしていけるように。自分の言葉で戦えるように。
言葉の世界の第一歩を送りたくて、
自分の幸せな記憶たちを辿って、
梅田のジュンク堂で絵本に囲まれて、
絵本を選んだ時間はまた新しい私の大切な記憶になった。
今週の週報はそういう話。
それではみなさん来週の週報で会いましょう!