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29歳の週報 第4号 忘年会大作戦
1年浪人して、中国を放浪するために1年間大学を休んだので、
社会人になったのは24歳の時だった。
今から5年前、2020年4月。
まだまだコロナが未知の恐ろしい伝染病で、奈良かどっかのバスの運転手が感染したとかで大騒ぎになってて、
感染したらそこでアウト。
とんでもない社会的制裁を受ける、そういう時代だった。
こんなバカ騒ぎなら、どうせ3か月もすればみんな飽きるだろう、と思っていたが。
ところがどっこい2020年、2021年、2022年、と3年間もコロナ騒ぎは日本に居座り、
私の社会人の新卒3年間は飲み会とか社内の運動会とか、そういうものとは無縁で。
新入社員が経験する忘年会での出し物とか、幹事とか、いかにも新社会人!みたいな経験をしないままに
あれよあれよと中堅どころの年次になってしまった。
2023年にようやく飲み会が再開されたころには社会人4年目に突入し、
飲み会の幹事や出し物はぴちぴちの新卒の子たちが担当していて。
私はおとなしくその飲み会の出欠メールに返信をするだけでよかった。
気分が乗れば行くし、乗らなければいかないで。
時々「たまには飲み会来てくださいよ」と後輩に言われるのをのらりくらりとかわしながら、
社会人五年目を迎えた私はお世話になった営業所を後にして、内勤の部署に移った。
さて。
典型的な日系企業で働きながらも、私の所属している部署は少し変わっていて。
中国関係のビジネスを担当する部署なので、上司も先輩も中国人しかいない。
かねてから中国が大好きだった私はこの部署に所属したくて希望を出していたのが5年目にしてようやくかなった形になる。
体育会系だった営業所の空気とは違い、国際系の内勤部門に所属している人たちは、
どこまでも自由で個人主義で、自分の世界を持っている人が多く。
営業所のように仕事ができない人をしっかり育てるノウハウを持っていて、
幅広い年齢層の人や雇用形態の人が所属していて、メンバーも多く、
バチバチの体育会系で統率が取れているカッチリした組織特有の居心地の良さというか安定感に慣れていた私は、
最初はその距離感や自由さにと大いに戸惑い、
「ううう、営業所に戻りたいよお」
とおいおい一人で泣いたりするほどに情けないありさまだった。
それでも半年たつと、よろめきながらも居場所を見つけて、
毎日大好きな中国語に囲まれて幸せな気持ちで働けるようになったのである。
さて、そんな私に11月。
とんでもない話が飛び込んできたのである。
「忘年会の幹事、お願いね~」
と、部署の部長に中国人の先輩と一緒に呼び出された先で軽い口調でカジュアルに、フランクに指名されたのである。
突然の話に中国人の先輩と私はお顔が真っ青になり、
そのまま自分たちのデスクに帰りことの顛末をこれまた中国人の上司に報告すると
「それは大変なことだ!」
と、大騒ぎになった。
古き良き日系企業を地で行く弊社には、トップの社長が全部署の忘年会を回るという恐ろしすぎる風習がある。
北は北海道営業所から南は沖縄営業所まで。
私が関西営業支店に所属していたころは、上長と忘年会幹事チームが、
「中部営業所の忘年会は、社長が楽しかったから二次会まで行ったらしいで。」
「なんやて!負けてられへんわ!」
とほかの営業所の情報を聞いてきて馬鹿真面目に熱くなっている場面を何度も目撃した。
さて。
中国人とは競争心の強い人たちである。
「やるからにはトップを取ること以外考えないぜ」
という彼らのスタンスはわかりやすくシビアでどんなことに対しても真剣だ。
「蒼子ちゃん、最高の忘年会作ろうぜ!」
と、熱くなる先輩と、
「二人とも、絶対に私たちがどこの部署よりも社長を楽しませるんだよ!最強の忘年会をつくるのよ!
私も協力を惜しまないわ!」
とさらに熱くなっている中国人上司。
こうして私は長い長い忘年会大計画にからめとられることになったのである。
部署の人数は全部で40人とちょっと。
それから、幹部の人たちと社長を合わせたらMAX45人。
この巨大な忘年会を、中国人先輩が総監督、私が助手。上司がスペシャルアドバイザーで、もう1人の中国人のしっかり者のベテランの先輩が私たちへっぽこコンビの抜け漏れを拾う役として強制的に巻き込まれて。
さて、忘年会大計画始動である。
「まずは、社長の予定を押さえなきゃダメだね」
というアドバイスのもと、私と先輩は2人でアウトルックで社長のスケジューラーを開いて睨めっこ。
案の定、広告部門や各営業支店が良さげな日程をがっちりと押さえていた。
「なんか、完全に出遅れた感じですね」
と、ため息をつく私の横で先輩はいそいそと裏紙を集めて束にして作ったお手製のメモ帳に社長の空いてる日をピックアップして行く。
「この日かこの日かこの日にしよう!」
といいながら、とりあえず候補日程を決めて。
招待のメールに取り掛かる。
社長には総監督の先輩からメールを出すことになった。
先輩が書いた日本語のメールをネイティブの私がチェックし、心配してくれてもはや主要メンバーのように忘年会計画に真剣に向き合ってくれている中国人上司が最終チェックを行い、送信という流れである。
中国人が書いた日本語を、日本人の私がチェックして、日本人の私がチェックした日本語を中国人が最終点検する。
という、謎の流れだが、全員マジで真剣である。
営業所にいた頃、
「へー今度の忘年会も社長くるんだー」
と。完全に他人事でぼけっと見守っていた私だったけど、社長がくるということは、その裏で社長の日程を調べて秘書課に問い合わせて、返答をもらい、緊張して社長にメールを出している人がいたのか、、。
と、途方もない気持ちになった。
社長からの返事は次の日きた。
「招待ありがとう。〇〇日がいいな。楽しみにしてます〜」
という緩い返信に、先輩とほっと胸を撫で下ろした。
第一ミッション完了といったところだ。
さて、
次はさっきと同じ流れで役員の人たちにアポイントを取り、それが終わればいよいよ部門の人たちに出欠をとる段階である。
会社員の人や大学生ならわかると思うのだが、
大きな飲み会をするときに、「調整さん」というツールを使って
参加者に出欠を取ることが多い。
これがどんなものなのかというと、
調整さん上で例えば「蒼子の飲み会」というページを作り、
リンクを発行し、
そのリンクをみんなに共有すると、
みんなが参加か不参加かを書き込んでくれて、最後は表形式に出欠状況をまとめてくれるというすぐれものである。
私も今までたくさんの飲み会の幹事の人から送られてくる
「調整さん」のリンクを踏み、参加不参加を入力していた。
それすらも私はレスポンスが遅いぐうたらした女なので、期日までに回答せず
幹事役の後輩が申し訳なさそうに
「先輩、入力お願いします。。。」
といいに来て初めて入力するという、マジで迷惑なタイプの非協力的参加者であった。
人から送られてくる「調整さん」のリンクに書き込むことすら満足にできない私が、
ついに自分で「調整さん」を使って人に出欠を訪ねる時代がやってきたのである。
部内の人たちに作った調整さんのリンクを添えて、
出欠の入力をお願いするメールを過去自分が受け取った飲み会お誘いメールの見よう見まねで送ってみると。
ものすごい速さでみんなが入力してくれることに驚いた。
「幹事ありがと。楽しみにしてるよ」
と、いつも忙しそうで話しかけるのにためらってしまう先輩が一番に返事をくれた。
「おつかれー。蒼子ちゃんが企画する飲み会って楽しそう~。当日は旦那に子供預けて私も満喫する予定です〜」
と。飲み会に来たことがない子育て真っ最中のあんまり話したことがない時短勤務で隣のチームの先輩がそんなメッセージをくれて参加の返信をくれた。
飲み会の参加のアンケートに添えられた短い言葉の中に、それまで近くで仕事をしていたのに知らなかったし見ることもなかった、その人のまた別の顔を覗き見るようで。
それがすごく新鮮に感じた。
参加表明の返信が来るたびに、心の中でガッツポーズを決める自分に気がついて少し驚いた。
参加表明が来るたびに「ああ、忘年会うぜーって思われてなくてよかったぁ…」とホッとするのだ。
面倒くさいこと企画しやがって、なんて煩わしがられるのも怖くてドギマギしながら企画は進む。
結局30人以上が参加の返信をくれて、
ミッション2の出席確認は完了である。
さて、次は店選びである。
忘年会は普通の飲み会と違い、パフォーマンスやゲームが行われるし、今回も何かしたいと思っていたので、普通の居酒屋ではいけない。
動画やパワポが投影できて、
前に出てきて何かができる十分なスペースも必要だ。
それから、一般のお客さんに迷惑をかけたりしなくていいように貸切OKかもしくは完全個室も条件からは外せない。
それに社長も来るわけだから料理も一定の水準は求めたいところ。
が。
忘年会のハイシーズンで、オフィスから近いめぼしいお店は埋まってしまっていて。
私と先輩が頭を抱えたところで、
もう1人の先輩が「結婚式 二次会 って検索ワードで調べたらいくらでも出てくるよ。
あと、ここは僕が昔幹事やった時に使ってた店ね。見てみたら?」
と、神様みたいなアドバイスをくれたので、
すぐさま私と先輩は「結婚式 二次会」と検索をかけまくり、めぼしい店をピックアップして電話をかけまくった。
かけまくったところ不思議なことが起きたのだ。
「結婚式 二次会 レストラン」と検索をかけて出てきた良さげなレストラン3軒に電話をかけると、
3回とも同じところに繋がったのである。
どうも、レストランと幹事の間に入っていろんなことをアレンジしてくれる会社に電話がつながっているようで、私たちのお目当てのレストランは全てこの会社が間に入っているとのことで、後日この三つを下見に行くことになり、
なんと下見の現場にはこの会社のコーディネーターが同行してくれるようだ。
まず、下見があるということにもびっくりしたが、
あとで営業時代の後輩に確認したところ営業部の忘年会も同じように下見が執り行われていたらしい。
しかも営業の場合は、下見に所長も同行してたらしく、それもまた大変だったと後輩は話した。
たかが飲み会に下見…、、、。
たった一つの飲み会に、自分の知らなかった数々の裏舞台があったのだと知った。
下見の予約をとった次の日に1軒目の店に行くとすでに「the 営業マン!」みたいな。
スーツを着こなし、ビジネスバッグを手に下げた人が立っていた。
「今回担当になりました〇〇と申します。
どうぞよろしくお願いいたします」
と、挨拶してくれてテキパキとお店を案内してくれた。
下見なんて大袈裟だろ
と思っていたが、これが大間違いであったことを私が知るのに10分もかからなかった。
飲み放題付きでお願いしていたが、
お店に実際行ってみると「飲み物は自分で取りに行く方式」だったりすると、
ゆっくり話してほしいのにみんなが飲み物取りに行って慌ただしくなるのはちょっとやだなあ、と思ったりして。
「これ、お店の人がサーブする方式にできませんか?」
と交渉すると、
その場合1人あたり500円上乗せ料金がかかるらしい。
何故かと聞いてみると、
サーブする場合さらに人員を割かなきゃいけなくて、例えば本来であれば3人で回せる時間帯に5人雇わねばならなくなりその分の人件費が加算されるということだった。
説明されると非常に理解ができたし、
なるほどそりゃそうだよなあ。
と思って、納得してみたりもした。
それから、お店によっては最低保証金額なんて制度もあって、パーティー予約の場合は最低〇〇円からじゃないと受けませんよー、みたいなのもある。
いいなあと思っていたお店に、
「うちは最低保証金額17万円です」
と言われて、瞬時に同行していたコーディネーターの人が電卓を叩いて
「だとすれば、今回の人数だと1人8000円超えますよ」
と耳打ちしてくれると、
「いや、これは高すぎるから無理だ」
と判断できる。
1番の有力候補は、行ってみたらタバコくさくて諦めた。
2番目の有力候補は最低保証金額感高すぎてやめた。
3番目の有力候補は歩いてみると会社から遠すぎて道がややこしすぎてやめた。
こっちで用意した三つの候補全部がダメっぽくなり途方に暮れていると、
コーディネーターの人が「じゃあ僕のとっておきを教えます」
と言って、別の店に案内してくれた。
会社からも近くて、値段も思った通りで、清潔で、
ゲームや出し物ができそうな空間もあり、完全個室という全てが完璧な会場で、
「なんでもいいからここにしてくれ。いますぐおさえてください!ここに決定します!!」
という騒ぎを経て、なんとかお店も決定。
ここまででヘトヘトなのに、全部外側が整えば今度は中身を考える時間が始まる。
どんなゲームにしようか。
罰ゲームを用意するけど、もしも社長や役員が罰ゲームに当たった場合にもなんとか洒落になるくらいのレベルで、でも生ぬるくないやつを…。
とか。
「みんなにあったかい気持ちになってほしいから、みんなの一年を振り返る動画を作ろう」
と言い出した先輩と一緒に、部内勢員のコメントと写真を集めたり。
社会人たちが頭を突き合わせて、仕事じゃないことでああだこうだと真剣に悩めるのがなんだか面白くて、悪戯を計画する子供のような気持ちになりながら忘年会の準備もいよいよ大詰めになってきた。
当日私は司会者を仰せつかり、
総監督の中国人先輩の思いと苦労を乗せた忘年会を盛り上げる最後のバトンを引き継いでラストマイルを任されることになった。
当日は、自分を明石家さんま師匠だという暗示をかけて、「おお天の神様仏様、今日のこの時間から2時間限りは、私に明石家さんま様を憑依させてください‥」
と、トンチンカンなお祈りを真剣にしてマジで緊張しながら始まった忘年会だったけど。
みんなよく笑いよく飲んでよく話した。
1番印象的だったのは、
「みんなの一年」というテーマでみんなの写真やコメントを集めた1分半くらいの動画を笑ったりちゃかしたりして大盛り上がりで見てる人たちを見つめてる総監督の中国人先輩の表情だった。
誇らしいようなしてやったような表情で幸せそうに見たことないくらい柔らかく笑っていた。
そして私と目が合うと、イタズラがバレた子供みたいに気まずい顔をして誤魔化すように小さなピースサインを送ってきた。
やってやったね。
ってその目が物語っていた。
忘年会は大盛り上がりで、
社長だけでなく
なんといつもは絶対に二次会に来ない役員の人たちも二次会に来ることになり。
今度はニ次会担当の人が
「想定よりも10人ほど増えたのですが…」とお店との交渉に追われていた。
その光景を見ながら、
私と先輩は顔を見合わせてにんまり笑って。
「いやー、みんな楽しんでくれてよかったなあ。
今回は大成功なんちゃう?」
と中国訛りで関西訛りの先輩しか話せない日本語で先輩は照れくさそうに笑った。
先輩は、土日返上で動画を作ったり、
何回もお店に確認に行ったり、
協力者の人とのランチミーティングをしたり
とにかく大真面目に必死で今回の忘年会を作り上げたのだ。
「先輩のおかげですよ、こんなにいい忘年会。
私この会社に入って初めてでした」
というと、先輩は言葉をそのままに受け取って素直にニカっとわやって
「本当ですか?でもそうやろなあ!
僕もめっちゃかんばったんよお」
と言いながら忘れ物がないか会場の最後の点検を終えた。
なんか少しだけ寂しくなって、
「先輩、今回は本当に大成功でしたね。
こんなに成功させちゃったら、来年もやる羽目になっちゃったりして」
と冗談を言うと、
先輩は大きく笑って
「いやー、もう2度とごめんだわ!」
とやりきったように中国語で爽やかに言い切った。
言い切ったあと2人でもう一度大笑いをした。
先輩の言うとおり。
来年は、新人も入ってきて別の人が忘年会担当者になるし、忘年会自体あるのかどうかもわかんないけど。
20代最後の29歳の年末に私は忘年会の幹事をやって。
滑り込みで20代のうちに初めての忘年会の幹事という典型的なサラリーマンイベントを体験できたことが本当はとっても嬉しかったのである。
コロナが勝手に持ち去って行った私の20代の忘れ物をまた一つこの手の中に取り戻すことができた。
お店の人にお礼を言って外に出て、
賑やかな梅田の街を2人で歩いてすでに大騒ぎになっている二次会の会場へ向かう。
冬の冷たい風が酒と達成感にほてった肌に当たって気持ちがいい。
吐いた息が白く変わって消えていくのをぼんやりと見つめながら、
忘年会大作戦、これにて終了。
そして今週の29歳の週報もこれにて終了。
来週もまたよろしくお願いします!
おしまーい。